私を知る

自覚を中心に悟りのヒントを書いています。自覚とは「私」に意識を向け、一切は「私」の考えであることを自覚していくことです。

足下の苦に気づく

2015年06月13日 07時44分39秒 | 悟り
◇足下の苦に気づく◇

みなさんはどうして、楽や幸福を求めるのでしょう。
希望や理想を追うのでしょう。
大凡多くの方は、いつも忙しく何かを追い求めているか、それが上手くできない自分を責め、さげすみ続けてているかのどちらかです。
あるいは、自らが得たと思い込んでいる幸福を、それが幻だとも知らずに握り締め、高らかに周囲に誇っている方もおられます。

どうしてそのように、楽や幸福に執着し、囚われるのでしょう。
そうやって延々と楽を追っておられますが、あなたの望む楽は得られたでしょうか?
ただ衝動的に幸福を追うのではなく、幸福を追っている自分自身の姿を冷静に省みてください。

あなたの足下には、苦があるのではありませんか?

不足感やもどかしさ等の苦を感じているから、そうやって楽に囚われ、楽を追い求めてしまうのではありませんか?

何か現象を切っ掛けとしてあなたの衝動が起こるとき、そこには苦がありませんか?

苦があなたの衝動を引き起こしているのではありませんか?

その苦は常にあるものではありませんか?


◇「私」に意識を向ける自覚についてのご紹介は、例えばこの文章をお読みください(「自覚を始められる方へ」)。
◇セッションのご案内はこちらです。

※次回の講話セッション、個人セッションは6月28日(日)です(上のリンクを参照ください)

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依存と感情

2015年06月12日 16時17分41秒 | 悟り
◇依存と感情◇

依存と感情の関係について書いてみます。

多くの方は、何か出来事があると怒ったりして、感情的になります。
嫌な相手に対してほど、強い感情が起こってきたりします。

そこには、あなたが嫌いなその相手に対するあなたの依存があります。
強い感情が起こる程、あなたは強くその相手に依存している訳です。
その相手のことで始終感情的になっている人は、その相手に対してどっぷりと依存していることになります。

そんなことは無いと、わなたは否定されるでしょうが、私は、いいえそんなことは無いですよ、と言います。
そもそも、依存していないと、そんな強い感情など起こるはずがないのです。
仮に強い感情が起こっても、時が経てばスッと流れていくはずなのです。
感情が留まり、その感情が繰り返し起こってくるのは、依存がある証拠なのです。

依存には、いろいろなものがあります。
相手のことを大切に思う余り生じる依存もあります。
逆に相手に否定的な考えを握り締めることにより生じる依存もあります。

この依存という観点から、あなたとあなたの周りとの関係を見つめ直してみて頂きたいと思います。

あなたの依存が見えてくると思います。


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現象に関与しようとする衝動に気づく

2015年06月11日 11時00分34秒 | 悟り
◇現象に関与しようとする衝動に気づく◇

出来事はただ起こってきて、過ぎ去っていきます。
あなたの内面に起こる感情や思考も、ただ起こってきているものであり、過ぎ去っていくものです。
つまり、ただ現象が起こっているだけなのです。
あなたの内面で起こる感情や思考も、ただの現象にすぎません。

そのようにただ現象が起こっているだけなのに、私という自我は、その現象を自分の都合よく解釈し、それに関与しようとします。
いくらやっても切りがありません。

ただ起こってくる現象を都合よく解釈している自分自身に気づいてください。

ただ起こってくる現象に、自分の都合で関与しようとするその衝動に気づいてください。

あなたの都合の良さを見逃さないでください。

あなたの都合でやっているその衝動を野放しにしないでください。

その衝動に呑み込まれないでください。

衝動の奴隷にならないでください。

衝動にあなたの主導権(主体性)を譲らないでください。


あなたは、衝動に翻弄され続けているいまのままでいいのですか?


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大切なことは身近なところにすべてある

2015年06月10日 16時12分43秒 | 悟り
◇大切なことは身近なところにすべてある◇

悟りを得るために、聖者に会う必要もないし、どこか特別なところに行く必要もありません。

大切なことは、あなたの身近にすべてあります。
もっと言えば、日常を生きる中であなたの内面に生じる心の動きにそれはあります。

中でも、日常を生きる中で生じる満足感や納得感は特に大切です。
例えば、結果はどうであれ、「やるだけはやった」、あるいは、「自分は精一杯やっている」という後悔の無い納得感です。

多くの方の場合、その方のやりたいことや大切なことは、日常の中にあるのだろうと私は思っています。
大切なことが日常の中にあるのに、それをなおざりにして、野山の中や、どこかの修行集団の中に逃げ出しても、悟りが成就できるはずはないのです。
ここに、そのような方々の悟りが成就しない原因の一つがあるのだろうと私は思っています。
大切なこと、自分の本心から逃げているのに、そもそものところで成就するはずがないのです。

あなたの一番大切なことはなんですか?
あなたは悟りに逃げていませんか?
悟りは逃げ場ではありませんよ。


後悔を抱えて生きておられる方に申し上げたいことがあります。
自分にとってとても大切なことをやり過ごしてしまったと、後悔している方がおられるかもしれません。
何かやりたいことがあったなに、それにチャレンジしなかった自分を後悔したり、
頑張りきれなかったことを後悔したり、
何かの選択を誤ったことを後悔したり、
大切な人を失ったことに対する様々な後悔があったり、
後悔の内容は様々だと思います。

後悔による苦しい気持ちは分かりますが、後悔しても仕方が無いということを早く分かって頂きたいと思います。
いくら後悔しても、過去は過ぎたことであり、もうどうにもなりません。
大切なのは、「いま」です。
いまの自分であり、いま自分にとって何が大切かです。
早くそこに気づいて頂きたいと思います。

これ以上、後悔しても仕方ありません。
もう後悔は十分されました。
これ以上後悔しないためにも、「いまの自分」、「いま自分の一番大切なこと」に精一杯取り組んでください。


自分にとって何が一番大切なのか。
このブログで紹介してます自覚は、それを知る手段としてもとても有効です。
ぜひ、自覚をやってみて頂きたいと思います。
ご自分の本心と向き合って頂きたいと思います。

そして、自覚を友として、あなたの日常を生きて頂きたいと思います。


◇「私」に意識を向ける自覚についてのご紹介は、例えばこの文章をお読みください(「自覚を始められる方へ」)。
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どこに逃げようと言うのか

2015年06月06日 08時53分43秒 | 悟り
◇どこに逃げようと言うのか◇

あなたは、すべてが考えであり幻であるということが分かっておられるのかもしれない。
しかし、あなたの心の衝動はまだ止まっていないようです。
いまもあなたの心は忙しく何かを求めて彷徨っている。

そうやって、あなたが彷徨ってしまうのは私にもよく分かります。
あなたの身体、否、あなたそのものが苦しみの炎で燃えているからです。
その苦しみの炎をどうにかしようと必死になるのは無理もありません。

しかし、一度冷静になって、周りをよく見渡してみてください。

どこに逃げようというのですか?

本当にどこかに逃げ場はあると思いますか?

その苦しみの炎ですが、それはどうにかなるようなものですか?

それは常にあるものではないですか?


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否定と肯定と悟りの階梯

2015年06月06日 08時20分59秒 | 悟り
◇否定と肯定と悟りの階梯◇

否定と肯定について改めて書いてみようと思いました。

否定と肯定は、意識の使い方がまるっきり異なります。
悟りの階梯のそれが有効に作用する段階もまるっきり違っています。

肯定が最も有効に作用するのは、小悟(明け渡し)を得る段階やその直ぐ後の段階です。
この段階では、受け入れ、特に外側に向けた受け入れが有効に作用しますから、それにはすべてを肯定していくという意識の使い方がとても有効になります。
これを徹底することで、小悟のゲートを超えて、小悟階層の大凡中間点であるすべてはニュートラルであるということを理解する段階まで至ることができます。

しかし、肯定が有効に作用するのはこのあたりまでなのだろうと思っています。
肯定は、受け入れや意識を拡大させる方向に作用します。
このため、肯定の意識の使い方では、どうしても意識が緩慢になり、私という自我の足下の細かな囚われや意識の動き(迷い)になかなか気付けないのです。

一方、否定はそれを徹底することで、必然的に意識を「私」の内面に振り向けさせ、引き締める作用があります。
あらゆる対象を徹底的に否定することにより、「私」の意識は中心に向けて凝縮されていくとともに、自分自身の足場や拠り所も崩れ去っていきます。
小悟階層の途中からは、肯定よりもこのような否定が有効に作用するようになっていきます。

私という自我は、自我が握り締めた考えである幻(囚われ)や、その囚われから誘発される感情や思考等の考えでできた幻の雲のようなものですから、それらが考えであり雲であるということを見破っていくためには、肯定よりも否定が有効なのです。

否定を使った具体的なやり方としては、自覚がそれです。
自覚は、五感を使って経験することや、内面に起こってくる感情や思考等のすべてのことを「私の考え」として自覚しますから、本質的に否定を含んでいるのです。

大凡すべてのことがらを考え(幻)だとして否定できたときに、自分自身も含めて、すべては考えだという理解が附に落ちます。

そうしたら、あとはそれでも残りかすのように残っているいくつかの囚われに対して、それに気づくことで手放していきます。
そして最後は、私という存在の根本である苦と向き合うことになります。


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確信と囚われ

2015年06月01日 09時17分12秒 | 悟り
◇確信と囚われ◇

悟りの道を歩んでいると、いくつかの特徴的な理解(気づき)やそれに伴う確信が生じることがあります。
例えば、言葉で言うと、神、根源、真我、全体、不二、ニュートラル、無、空などです。
感覚的なもので言えば、幸福感、無我や観照の感覚、見るものは見られるものという主客の統合感などです。

この「確信」という感触、これは悟りの行程において気づきに伴って生じる極めて当たり前の感触ですが、これがとてもやっかいなのです。
それが起こった瞬間、そのとき得た気づき等の理解や感覚を、「これだ!」と握り締めてしまうのです。
そして、握り締めた人はそれの握り締めた考えを外に向かって主張したりします(そういう私も散々やってきましたが、笑)。

「確信」とは、その文字の通り、何かをしっかりと信じてる訳なんです。
つまり、何かをしっかりと握り締めている訳です。

そのままでは、それまで握り締めていた考えを、その何か別の考えに握り替えただけです。

ですから、悟りの道を歩んでおられる方で、自分に何か確信がある方は、その確信についてまずは疑って頂きたいと思います。
あなたは考えである幻を後生大事に抱え込んでいる可能性があります。

誰がそれを確信しているのですか?

誰がそれを絶対に間違いないと考えているのですか?

あなたでしょ?

そもそも、この世界に絶対に間違いないなんて断言できることなどあるのでしょうか?

ご自分の口から確信を持って放たれているその言葉について、一度振り返ってみて頂きたいと思います。


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最も実存を感じさせるものは「私」です

2015年05月19日 23時03分16秒 | 悟り
◇最も実存を感じさせるものは「私」です◇

「私」の不在を主張される方は、「私」をまだ知らない方か、「私」を見失っている方です。
そういう方は、自分の内面をもう一度よく確かめてみる必要があります。

なぜなら、「私」こそがこの世界で最も確かで実存を感じさせる存在だからです。
ですから、悟りの過程で本当に「私」が落ちるのは、一番最後です。
必ず、一番最後です。

世界を認識しているのが「私」であるのに、そして世界がまだそこにあるのに、「私」が落ちるはずがないのです。

「私」の不在を主張している人の場合、その主張をしているのはあなた自身である自我に他なりません。
あなたの自我は、「私は居ない」という考えをしっかりと握っています。
握るから主張が出て来ます。
握っていなければ、そのような主張は出て来るはずがないのです。

これを読んでいる、そこのあなた、またいろいろ考えをつくっているでしょ。
その考えをつくっているのは誰ですか?
それが、あなたという自我です。

そのあなたを中心とした世界を認識しているのも、あなたという「自我」です。

自我は最後の最後まで、あなたと一緒です。(^^)


「私」の不在を主張される方には、当店自慢の「自覚」がお勧めです。
ぜひお試し頂きたい。(^^)


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どんな人生でも取り組む覚悟

2015年05月17日 07時08分41秒 | 悟り
今日も思いっきり、偉そうなことを書きます。
目障りな方は、スルーしてください。
思わず自分の考えを吐き出したくなった方は、コメント欄にどうぞ。
遠慮なく、思う存分、あたなの考えを吐き出してください。
私は、どんな考えでも一応はすべて受け取らせていただきます。


◇どんな人生でも取り組む覚悟◇


どんな人生でも、しっかりとそれに取り組む覚悟、あるいは姿勢。


生きることや人生に対して大切なことを一つだけ言えと言われたら、私はそう答えます。
多くの方は、選り好みをします。
なんで自分は、自分の境遇はこうなんだ、など。
そして、自分がしっかりやれてないことを、境遇や社会のせいにします。

要するに、覚悟が足りないんです。
それじゃあ、いくらやってもダメなんです。

どんな辛く惨めな境遇や人生でも、自分の大切にしていることや、やりたいこと、やれることはきっとあるんです。

絶対ある!

だから、簡単に逃げたり、投げ出したりしてはいけないのです。
諦めてもいけない。
そのような姿勢だと、自分の大切なことが疎かになり、悔いが残ってしまうのです。

結果はどうあれ、自分は精一杯やったという、揺るぎない確信、納得が得られるまで取り組むしかないんです。

苦労、困難、苦しみ、これこそが最高のギフトであり、成果なのです。

それが分かるときがきっときます。

この人生に何度でも取り組んでやる、くらいの覚悟を持って、あなたの人生に取り組んで頂きたい。


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※現在、スカイプセッションについては一部又は全部を無料化する方向で検討中です。
 近日中に結論を出して、公表したいと思っています。


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その感情や判断の出どころを見る

2015年05月15日 08時31分00秒 | 悟り
◇その感情や判断の出どころを見る◇

いまあなたに起こったその感情や判断、あるいは主張の出どころを見てください。

既に出てしまったその主張等についてはもう仕方がありません。
いずれ直ぐにまた新たな判断や主張等が出てくるはずです。
あなたの内面をしっかりと見張っていてください。

そして、何かの感情や判断や主張等が出て来そうになったら、そのときは、見逃さず、その判断や主張等の出どころを見てください。
その感情や判断、主張に結びつき、それらが生まれるプロセスを見てください。

ぜひやってみてください。



  *  *  *  *



どうですか?
見えましたか?
それで、何か分かりましたか?



  *  *  *  *



答えを書いてもいいですか?(^^)

そこには、あなたが握り締めている考えである囚われがあり、その囚われから、感情や判断や主張等が引き起こされているのが見えるはずです。

そして、その自分が持っている囚われに本当に気づくことができたなら、その瞬間、ふわっとその囚われの解消が起こるはずです。

自覚とは、その繰り返しなのです。(^^)


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自分を縛っているものに気づく

2015年05月14日 14時13分45秒 | 悟り
◇自分を縛っているものに気づく◇

そもそもところ、制限なんてないのです。
やりたいようにやればいいんです。
それだけなんです。

法に触れようが、人の道から外れようが、構うことありません。
あながたやりたいように、思うようにやったらいいんです。

本当にそれだけのことなのに、多くの方は、それはいけないことだとか、そんなことをしたら大変なことになるとか、なんだかんだ言って、躊躇し、自分を制限してしまいます。
そして、他の人がそれをやると、自分は我慢しているのに、お前も我慢しろと言わんばかりに、その人のことを批難し、攻撃します。

そうやって、多くの方々は、自分を縛り、他人を縛り、互いに縛り合ってとても窮屈に生きています。
その姿は、互いの身体を鎖で繋ぎ合った、まるで奴隷集団のようです。

それはダメ、こうあるべきだ、それは間違いでこれが正しいなど、誰がそう考えているのですか?

誰がそう決めて、自分や他の人を縛り付け、制限しているのですか?

そんな奴隷集団のような縛り合いをいつまで続けるつもりですか?

私(慧空)はそんなのはご免です。
とっとと止めました。

みなさんは、まだ続けるのですか?

続けるのか、止めるのか、その選択権は常にあなたにあります。
そこに気づいてください。


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全体という妄想

2015年05月14日 08時25分45秒 | 悟り
◇全体という妄想◇

悟りの世界には、全体や不二に対する妄想を抱いている方が多いです。
悟りの行程の一過程として、全員ではないですが、そのような妄想を抱く時期があります。
私(慧空)もそういう時期がありました(このブログの過去記事には、そのような文章が残っています、笑)。

全体という妄想に取り憑かれている方は、全体こそが真実であり、あるのは全体のみであり、この現実や私という個は幻だと仰います。
そのような方にとって、全体とは絶対であり、普遍的なものなのです。

しかし、一度立ち止まって冷静に考えてみて頂きたいのです。

私が特に指摘したいのは、その全体と言っているものを認識しているのは誰なのか、という点です。
誰がその全体というものを認識して、それが絶対的なものだと判断しているのか、という点です。

それを認識して判断しているのは、「私」という個(自我)じゃないですか?
違いますか?

その全体と言っているものがどんなに素晴らしいものであったとしても、それを認識している「私」が無ければ、全体という認識も起こり得ないんじゃないですか?

ここのところをよーく考えてみて頂きたいのです。


しかし残念ながら、「私」という意識と、全体のどちらがより本質かという議論には結論は出ません。
なぜなら、一切のことがらに確固たる根拠となり得るものが無いからです。
この世界のどこを探しても、根拠などどこにも無いのです。
根拠が無い以上、結論も出ませんし、断言も出来ないのです。

それでも、敢えて言いますと、なんとなくぼんやりとしたものではありますが、私(慧空)なりの結論はあります。
私の結論は、「私」という個(自我)が本質なのであり、全体は本質ではないのだろうというものです。
なぜなら、「私」という自我の意識が存在しなければ、全体という考え(認識)も起こり得ないからです。
「私」という自我も考えですが、それが本質(最初)であり、全体という考えは、「私」という自我がつくり出した二次的な考えなのだろうと思っています。
ただ、何度も言っておりますように、根拠がありませんから、断言はしません。

みなさんも、よく考えてみて頂きたいと思います。


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自覚と自立

2015年05月09日 08時28分15秒 | 悟り
◇自覚と自立◇

私という存在である自我に対する表現の一つとして、依存の塊のようなものだということができます。
依存が感情や思考、衝動を引き起こしています。
また、依存が依存を呼び、依存の連鎖が起きています。

依存とは、何かの考えを握り締めることです。
考えに頼り、縋り付くことです。
考えを絶対と思い込み、信じることです。

自覚をやっていると、自分が依存している考えに気づくようになります。
そして、依存が減り、自立していきます。
自分の力で立ち、一人で歩み始めます。

あなたは、自立できていますか?


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「私」について中途半端に納得しない

2015年05月07日 13時13分51秒 | 悟り
◇「私」について中途半端に納得しない◇

悟りと「私」の関係について、誤った情報が余りにも氾濫しています。
例えば、最も多い誤解は、「私」という自我を滅することが悟りであるというものです。
他の誤解として多いのは、「私」が幻であることに気づけばそれで終わりだというものです。

「私」が滅せらるというようなことは、決してありません。
「私」とは意識そのものであり、この世界そのものです。
世界がある限り、決して「私」が滅せられることなどないのです。

あなたは、「私」が幻であることに気づいているのかもしれません。
でもあなたは本当に、自分の悟りの行程がそれで終わったと確信できていますか?
一切の迷いはないと言い切れますか?
あなたの内面に、まだ何かもやもやとしたものがありませんか?
そのもやもやを誤魔化していませんか?

「私」について中途半端に納得せずに、また誤魔化さずに、もう一度しっかりと「私」を見てください。
見極めてください。

内面にあるもやもやを安易に誤魔化さないで、それに向き合って頂きたいと思います。
それに徹底的に取り組んで頂きたいと思います。


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<余談です>
・人気ブログランキングのカテゴリを、スピリチュアルから哲学・思想に変えました。
 スピリチュアルのカテゴリは、占いやヒーリング等の方が主なので、微妙な違和感を感じておりました。
・5月24日の講話セッションは、現在のところ5名の方からお申し込みを頂いております。
 お陰様で参加者ゼロは免れそうです。(^o^)
 当日は家内も会場に来たいなんて言っておりまして、皆さんが驚かれないように予めここに書いてみました。

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苦から逃げない、私から逃げない

2015年05月04日 22時37分05秒 | 悟り
◇苦から逃げない、私から逃げない◇

普通の人はもちろん、悟りの道を歩む人の殆どの人も、苦に対して逃げ腰です。
苦から逃げようと目を背けてばかりです。

それだから、意識は定まらず、ふらふらと彷徨ったままだし、直ぐに何かの考えに縋り付き、それに頼ろうとします。
考えを握り締めると、それにより分別や感情、衝動が引き起こされ、ますます意識は右往左往と騒ぎ出します。
そして、自らの考えを外側に向けて主張します。

しかし、そうやって右往左往している本人たちが自分の姿に気づくことはありません。
意識が外側に向いてしまったままでは、気づきようもないのです。

それに気づくためには、意識を中心である「私」に向ける必要があるのですが、多くの方は、苦から逃れようとするあまり、意識が外側に向いてしまうのです。

苦と向き合う覚悟がないのです。

どんな苦も受けて立ってやろうという気概がないのです。

苦から逃げない、私から逃げない。

そう覚悟を決めて頂きたいと思います。

覚悟さえ決まれば、自覚も必要ないくらいです。
あとは自ずと解け、定まっていきます。


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