私を知る

自覚を中心に悟りのヒントを書いています。自覚とは「私」に意識を向け、一切は「私」の考えであることを自覚していくことです。

滅私、無我という迷い

2015年01月25日 08時43分24秒 | 悟り
◇滅私、無我という迷い◇

悟りの道は、私という自我を滅することだと言われることがありますが、これは誤解です。
また、覚者の中には自分の自我は滅せられたと仰る方がおられますが、これも誤解です。

確かに、悟りが深まるにつれ、囚われや欲が薄くなり、私という自我も薄くなっていきます。
しかし、どんなに深く悟ろうと、私という自我が完全に滅せられることは決してありません。
存在が続く限り、世界が続く限り、最低限の私という自我は残ります。
なぜなら、存在、すなわち意識あるいは世界そのものが、私という自我なのですから。

自分の自我が滅せられたと仰る方は、自分の自我を見失い、主体性を喪失してしまっているのです。

そのような方は、もう一度、冷静に自分を観て、感じて、考えて頂きたいと思います。
目に入るものや感じたものを認識し、思考し、行為を起こしているあなた自身の自我から目を背けないでください。
あなたの手足は、あなたが思った通りに動いているでしょ?
手足は自由に動かせるでしょ?
そこにあなたの自由な意志があり、あなたの自我の主体性があることに気づいてください。
目の前のパソコン画面を観て、この文章を読み、ああだ、こうだと考えを起こしているのは誰なのか、気づいてください。

自分の自我を誤魔化さないでください。
自我から逃げないでください。
逃げているうちは、迷ったままです。


コメント大歓迎です。気軽にお書きください。
読んで頂いてありがとうございました。

スピリチュアル ブログランキングへ
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする