私を知る

自覚を中心に悟りのヒントを書いています。自覚とは「私」に意識を向け、一切は「私」の考えであることを自覚していくことです。

生死、夢、涅槃

2015年01月28日 12時00分47秒 | 私の成り立ち
◇生死、夢、涅槃◇

悟りには関係のないどうでもいいことですので、暇つぶし程度にお読み頂きたいと思います。

私たちの意識の状態には、意識が有る状態と、意識が全く無い状態の二つの状態があります。
私たちの意識はその大半が、意識が有る状態にあります。
意識が全く無い状態とは、一切の感覚も意識も無くなった完全な無我のことであり、涅槃です。

普段、私たちの意識は、その完全な無我である涅槃からパッパッパッと断続的かつ連鎖的に起こってきています。
しかし、皆さんなかなかそれに気づかれないのですが、時折、その涅槃が一定時間継続することがあるのです。
それは、深い瞑想でそうなる場合もありますし、ふとしたきっかけでそうなってしまうこともありますし、睡眠中にそうなっていることもあります(睡眠中は比較的よく起こっているようです)。
その涅槃が続く時間の長さは、1秒未満の非常に短い時間のときもありますし、1秒から数秒程度のときもありますし、数十秒から数分のときもあり、様々です。

そのように、涅槃からパッパッパッと生じている私たちの意識は、涅槃に落ちているとき以外は、当然ながら常に有るのです。
どういうことかと言いますと、私たちの意識は世界そのものですから、涅槃に落ちているとき以外は、常に何らかの世界があるのです。
そして、それに付随した私という自我の感覚も意識も常に有るのです。

目が覚めているときはこの現実世界の意識が起こり、眠りに入ったときは夢の世界の意識が起こります。
またそれと同様に、この現実世界に生まれてきたときは現実世界の意識が起こり、死を経た後は死後の世界の意識が起こるのです。
現実世界から死後の世界への切り替わりは、眠りに落ちたとき意識が現実世界から夢の世界に移行するのとまったく同じようにして起こります。
そうやって、私たちの意識の展開は、解脱により私という存在が消滅するまで、つまり私たちの認識している世界が完全に消滅するまで、生死を超えて延々と続いていきます。
私という自我と共に。


私がこんなことを言っても、コイツはまた馬鹿なことを言っていると思われる方が大半なのだと思います。
ぜひ、あなたが死ぬときに確かめて頂きたいと思います。
それで、もし本当にそうだったら、何とかして私(慧空)に、「あんたの言ったこと、本当だったよ」と知らせて頂きたいと思います(笑)。


コメント大歓迎です。気軽にお書きください。
読んで頂いてありがとうございました。

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コメント (23)
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