◇最後に残る迷いは苦に対する衝動◇
大切なことについて、改めて書きたいと思います。
握りしめている考えが私という意識の連鎖や迷いを引き起こしていますから、握りしめている考えをすべて捨て去ることができれば、解脱の悟りとなります。
その手放しを進めていく過程で、どうしても最後に残るものがあります。
それが「苦」です。
私という存在の根本のところに「苦」があり、私という存在である意識の迷いは、すべてその「苦」を何とかしようとする衝動に伴って起こっています。
その「苦」についてもう少し具体的に表現すると、不足感、不自由さ、閉塞感、苦しさなどです。
私たちの意識には、その根底にある「苦」に対して、それを何とかしたいとか、それから逃れたいとか、あるいはそれを何とかできるはずだ等の衝動が常に働いています。
その衝動が意識の迷いを延々と引き起こしています。
その意識の迷いから抜け出すためには、その「苦」から生じる迷いの衝動を停止させる必要があります。
その迷いの衝動を停止させない限り、いくら握りしめた考えの手放しをしても、また掴んでしまいます。
そのためには、「苦」は、私の意識の中に何らかの態様で常に有るものであり、決して逃れられないことに気づくと共に、「苦」から逃れようと衝動的に彷徨い続けている自らの姿に気づく必要があります。
そこに気づけば、あなたの意識の迷いはきっと止まります。
どうか、自覚を続けられ、そこに気づいて頂きたいと思います。
コメント大歓迎です。気軽にお書きください。
読んで頂いてありがとうございました。
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大切なことについて、改めて書きたいと思います。
握りしめている考えが私という意識の連鎖や迷いを引き起こしていますから、握りしめている考えをすべて捨て去ることができれば、解脱の悟りとなります。
その手放しを進めていく過程で、どうしても最後に残るものがあります。
それが「苦」です。
私という存在の根本のところに「苦」があり、私という存在である意識の迷いは、すべてその「苦」を何とかしようとする衝動に伴って起こっています。
その「苦」についてもう少し具体的に表現すると、不足感、不自由さ、閉塞感、苦しさなどです。
私たちの意識には、その根底にある「苦」に対して、それを何とかしたいとか、それから逃れたいとか、あるいはそれを何とかできるはずだ等の衝動が常に働いています。
その衝動が意識の迷いを延々と引き起こしています。
その意識の迷いから抜け出すためには、その「苦」から生じる迷いの衝動を停止させる必要があります。
その迷いの衝動を停止させない限り、いくら握りしめた考えの手放しをしても、また掴んでしまいます。
そのためには、「苦」は、私の意識の中に何らかの態様で常に有るものであり、決して逃れられないことに気づくと共に、「苦」から逃れようと衝動的に彷徨い続けている自らの姿に気づく必要があります。
そこに気づけば、あなたの意識の迷いはきっと止まります。
どうか、自覚を続けられ、そこに気づいて頂きたいと思います。
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