私を知る

自覚を中心に悟りのヒントを書いています。自覚とは「私」に意識を向け、一切は「私」の考えであることを自覚していくことです。

最後に残る迷いは苦に対する衝動

2015年01月30日 20時40分58秒 | 自覚ワーク等の紹介
◇最後に残る迷いは苦に対する衝動◇

大切なことについて、改めて書きたいと思います。

握りしめている考えが私という意識の連鎖や迷いを引き起こしていますから、握りしめている考えをすべて捨て去ることができれば、解脱の悟りとなります。
その手放しを進めていく過程で、どうしても最後に残るものがあります。

それが「苦」です。

私という存在の根本のところに「苦」があり、私という存在である意識の迷いは、すべてその「苦」を何とかしようとする衝動に伴って起こっています。
その「苦」についてもう少し具体的に表現すると、不足感、不自由さ、閉塞感、苦しさなどです。

私たちの意識には、その根底にある「苦」に対して、それを何とかしたいとか、それから逃れたいとか、あるいはそれを何とかできるはずだ等の衝動が常に働いています。
その衝動が意識の迷いを延々と引き起こしています。

その意識の迷いから抜け出すためには、その「苦」から生じる迷いの衝動を停止させる必要があります。
その迷いの衝動を停止させない限り、いくら握りしめた考えの手放しをしても、また掴んでしまいます。

そのためには、「苦」は、私の意識の中に何らかの態様で常に有るものであり、決して逃れられないことに気づくと共に、「苦」から逃れようと衝動的に彷徨い続けている自らの姿に気づく必要があります。

そこに気づけば、あなたの意識の迷いはきっと止まります。

どうか、自覚を続けられ、そこに気づいて頂きたいと思います。


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読んで頂いてありがとうございました。

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六根からの意識の展開に気づく

2015年01月30日 11時01分57秒 | 悟り
◇六根からの意識の展開に気づく◇

私という存在は移ろいゆく意識そのものなのですが、私の意識として現実世界に対応した意識が起こっているときは、必ず六根からの入力とその認識(あるいは反応)から意識の連鎖が起こります。
六根とは、五感と意識の意です。

現実世界という実体がある訳ではなく、六根から始まる意識の展開があるだけなのです。
そこに気づいて頂きたいと思うのです。

まずは、あなたの目に見えるその景色について、その景色の世界が本当に実体として有るのか、その景色に対応した認識(意識)が起こっているだけなのか、徹底的に観察し、考察してみてください。
もし、あなたが見ている世界が実体として有ると思われるのなら、そう結論を出す前に、有ると結論されるその根拠を追求して頂きたいと思います。

何かを信じてしまう方は、根拠を曖昧にしたまま、信じてしまう方が多いです。
根拠もないのに、どうして信じることができるのでしょう。
皆さん、そこが安易なのです。
甘いのです。
依存心があると言ってもいいでしょう。

あらゆるものに対して徹底的に根拠を追求されると、一切根拠なんてものは無いということが分かります。
そうすると、実体や絶対と言われるものは一切無いこが分かり、信じるものなど無くなります。

まずは、私に意識を向け、六根から起こるあなたの意識の展開を徹底的に観察して頂きたいと思います。
そして、そこに何か実体的なものや絶対的なものがあるか、徹底的に追求して頂きたいと思います。


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