私を知る

自覚を中心に悟りのヒントを書いています。自覚とは「私」に意識を向け、一切は「私」の考えであることを自覚していくことです。

悟りのゲートと盲点

2015年05月16日 18時39分43秒 | 悟りの階梯
◇悟りのゲートと盲点◇

悟りのゲートは、まさに盲点なんだなあと改めて思ったので、ちょっと書いておきますね。

小悟のゲートは、「私」の明け渡しです。
この小悟のゲートも盲点と言えば十分に盲点ですが、まあ見つけるのはそう難しくはありません。

しかし、大悟のゲートは、また「私」なのです。
これは本当に難しい。
明け渡しで「私」という自我の感覚が薄くなり、多くの方はそれで終わりだと思ってしまいますから。
でもまだ終わりじゃない。
小悟が、外側に向けての受け入れなら、大悟は「私」という中心に向けての受け入れ(明け渡し)なのです。

そして、最終的な悟りである解脱のゲートは、また「私」なんです。
正確には、「苦」という私の根っ子なんです(性と言ってもいい)。
これは本当に、本当に難しい。
大悟では、多くの人が「私」を見失ってしまいます。
そしてその静かな平穏さに酔ってしまう。
にもかかわらず、それを見つけることは、まさに奇跡です。

最後の最後まで、「私」がキーなのです。


◇「私」に意識を向ける自覚についてのご紹介は、例えばこの文章をお読みください(「自覚を始められる方へ」)。
◇セッションのご案内はこちらです。

※現在、スカイプセッションについては一部又は全部を無料化する方向で検討中です。
 近日中に結論を出して、公表したいと思っています。


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苦に気づき、苦に浸りきる

2015年05月16日 10時25分06秒 | 自覚ワーク等の紹介
◇苦に気づき、苦に浸りきる◇

悟って楽になった、幸せになったと言っておられる方、確かにあなたは幸せな方です。
あなたはまだ、幸せを追いかけておられるのです。

私(慧空)は、そのような方には用がありません。
そのような方にとって、私はむしろ邪魔ものです。

しかし、そういう方の中にも、苦と楽の関係(あるいは、幸、不幸の関係)について、自分の思い込みに対する気づきや、何か本質的な違和感を感じる方が出てきます。

例えば、最初の着眼は次のようなポイントかもしれません。

・楽を求めるから迷うのであって、そうすることにより余計に苦しくなっているのではないか。
・果たして楽とは本質的なものなのか。
・むしろ、楽こそが幻で、苦は常にあるものではないのか。
・苦にどっぷりと浸りきれば、それで済むのではないか。


敢えて申し上げます。

深い悟りとは、深い深い苦しみに気づき、その中に入っていくことです。

決して楽になっていくものではありません。

深い深い苦しみの中にどっぷりと浸りきり、そこに安住できたとき、最終的な悟りに至ります。

それには、苦から逃げる気持ちが限りなく薄くなり、またどんな苦も受けて立つという、本当に深い覚悟が必要なのです。


◇「私」に意識を向ける自覚についてのご紹介は、例えばこの文章をお読みください(「自覚を始められる方へ」)。
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