私を知る

自覚を中心に悟りのヒントを書いています。自覚とは「私」に意識を向け、一切は「私」の考えであることを自覚していくことです。

近況など(セッションや仕事のことなど)

2015年05月12日 16時44分31秒 | 個人的なこと
◇近況など(セッションや仕事のことなど)◇

セッションについて。
セッションのご依頼は、やっぱりというか、余りありません。
その理由も分かっています。
まずは、第一に、私の話に興味を持たれる方が少ないのです(私はワクワクしたり楽になるような話は殆どしませんし、(^o^))。
それと、ここは大きいところと思っているのですが、私がお伝えしようとしている自覚や悟りのヒントは、文章で十分に伝わるのです。
それに、悟りの道は私が何度も言っておりますように、本質的に一人で歩む、一人旅なのです。
そこには、師弟関係など存在するはずもないのです。
あるとすれば、ヒントを伝える側と、それを受け取る側だけす。
自覚を覚えたら、一人で歩み始めるものなのです。
自覚とはそういうものなのです。

そういうこともあって、私のセッションは細々とやっていくことになりそうです。
セッションから収入を得ることは、難しいそうです。
会場費用や自分の交通費等の赤字が余りにも続くようなら、講話等のセッションについては数ヶ月に一度等に回数を減らそうかと思っています。
でも、始めた以上、半年くらいは少々赤字が出ても懲りずに毎月講話セッションをやろうと思っています。

それと、私や私が伝えようとすることは、細々と続けるくらいでちょうどいいのだろうと思っています。
なんせ、私の言っていることは悟りの業界の中でも、相当な異端ですから。(^o^)


次に仕事について。
まだ働いてません。(^o^)
セッション収入は、上記の通り望めそうにないので、何か仕事をしないといけないと思っています。
しかーーし、やっぱりやる気がしないのです。(^o^)
福祉系の仕事や、工場労働や、ハウスクリーニングの仕事も考えました。
イザとなると、どれもピンとこないし、やる気が出ません。
私もいい歳(現在49歳)なので、年齢制限にもひっかかるし。
やだなー、働きたくねーなー、うえぇーーー、という具合に、まるでどこかのニートと同じ状態です。(^o^)

それで、やっぱ、FXでもやっか!、とか思って相場を見たりしているのですが、いまの相場はとても難しい状況だし、手が出ねーーー、ダメだこりゃーーー、なんて言っています。(^o^)

それで、いまは、しょうが無いなあ、元やってた仕事がやれないかと思ってそれを検討しているところです。

思わず、早くお迎え来ないかなー、なんて思ってしまいます。(^o^)


また書きますね。
取りあえず、なんとかやってます。
まだ余裕です。(^_^)v
(どこまで余裕でいられるか(^o^))


◇「私」に意識を向ける自覚についてのご紹介は、例えばこの文章をお読みください(「自覚を始められる方へ」)。
◇セッションのご案内はこちらです。

コメント大歓迎です。気軽にお書きください。
読んで頂いてありがとうございました。

哲学・思想 ブログランキングへ
コメント (17)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

自我は都合がいい

2015年05月12日 15時31分28秒 | 自覚ワーク等の紹介
◇自我は都合がいい◇

私という自我は、どこまでも都合良くできています。
その途方もない徹底ぶりは、あきれるばかりです。

例えば、法や真理に対するときの自我がそうです。
全体とか、根源とか、不二や、ひとつのもの、神もそうです。
それらを主張する方は、この現実や私という自我については幻や幻想であると仰るのに、全体や不二等についてはそれを真実であると仰います。

しかし、そんな都合のいい話があるでしょうか。
冷静によく考えてみてください。
現実や私という自我と、全体や不二等との間にどんな違いがあるというのでしょう。
現実や私という自我が幻だと仰るのなら、現実や私という自我が幻であるというその主張に根拠や証拠となり得るものがあるのか、しっかり確認して頂きたいと思います。
また、全体や不二等が真実であると仰るのなら、現実や私という自我とどのような違いがあり、それらが真実であると主張されるのか、その根拠をちゃんと確かめて頂きたいと思います。

現実や私という自我についてはそれが幻であると見破ったのに、全体や不二等については追求も確認もろくにせず、それを簡単に受け入れてしまうのは、あまりに都合がよすぎるとは思いませんか?
そこに何も違和感を感じませんか?

何も違和感を感じないのは、あなたの自我の都合がよすぎるからです。

あるいは、それはあなたが幼稚だからだと言ってもいい。

幼稚だから、まだ何かに甘えて依存したいのでしょう。

ちょっと言い過ぎましたか。
まあ、まあいいでしょう。(^o^)


少し話しは変わりますが、楽や幸せについても同じようなことが言えます。

私という自我は、苦楽や幸不幸を感じます。
この苦楽や幸不幸の営みは当たり前のことなのです。

しかし、自我は都合がいいものですから、楽や幸福を感じるとそれにしがみつこうとします。
それだけでなく、楽や幸福こそが真実であると思い込んでしまいます。
そして、苦や不幸な状態は本来の状態ではない等として、排除しようとします。

どこに、楽や幸福こそが真実であるという根拠があるというのでしょう。

いつまで、そうやってぼーっと、自我の都合のよさに付き合っているつもりなのですか。

シャキッと目を覚まして、冷静によく見てください。

私という自我の都合のよさに気づいてください。

そして、あなたが自我の都合のよさに流されて安易に繰り返しているその判断や、その主張の矛盾に気づいてください。


◇「私」に意識を向ける自覚についてのご紹介は、例えばこの文章をお読みください(「自覚を始められる方へ」)。
◇セッションのご案内はこちらです。

コメント大歓迎です。気軽にお書きください。
読んで頂いてありがとうございました。

哲学・思想 ブログランキングへ
コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする