◇ツイート記事(20240403~)◇
<4月3日>
◇地球防衛軍
ここのところ、本業の農業を頑張っていて頭がそっちに行っているせいもあり、ネタがひと段落していることもあり、ブログの更新が休み勝ちになっています。
春が来る前にやっておきたかった作業が全然終わっておらず、焦っています^^;
今から12年くらい前、明け渡し体験があって4、5カ月した頃、私は毎日、地球にエネルギーを送っていました。
本当にエネルギーが送れていたのかどうかはかなり怪しいですw
でも当時は真剣にやっていました。
まずは自分が住んでいた神奈川から始めて、次に日本列島全体にエネルギーを送り、次に地球全体にエネルギーを送っていました。
このワークは3、4カ月くらいやっていたように思います。
最後の頃は、宇宙全体に向けてエネルギーを送ることもやっていました。
その頃、私の頭に「地球防衛軍」という言葉が浮かんできて、「おう、自分はそれだ!」と思い、地球を守ろうと毎日ワークをやっていました。
なぜワークをやめたのかと言いますと、私の意識がさらに変化し、地球に対するスタンスが変わったからなのです。
具体的に言えば、守ろうとすることのマイナス面についてわかってしまったからということです。
胎内記憶を話す子供たちに、「地球を守るために生まれてきた」なんてカッコいいことを言う子がいるようで、そういえば自分もそういうところがあったなぁ、と思い出した次第です(#^.^#)
<4月22日>
◇無常、無我と涅槃(無常の破れと誤り)
さっき、あさんというハンドルネームの方から興味深いコメントをいただき、無常、無我と涅槃について考えたことを書いておこうと思います。
私は無常と無我の関係について余り興味が無く考えたこともなったのですが、それらが同義であるいう議論が昔からあるようで、私はそれになんとなく違和感を感じていました。
今回、無常と涅槃の関係を考えたことを切っ掛けにして、無常と無我の違いが少しハッキリしました。
最初に前提として、無常、無我についての意味の確認から。
無常とは、一切のことがらは常に変化するものであるという意味です。
無我とは、一切のことがらに実体あるいは絶対はないという意味です。
まず、無常と涅槃の関係について。
本当にそういう現象が起り得るのかどうかはわかりませんが、解脱者が入滅し、涅槃に入ると言ったりします。
もしそれが本当に起こるのなら、涅槃は何も起こらず、何も変化しませんから、素直に考えると、涅槃は無常とは言えません。
涅槃という現象があるとすれば、それは無常の例外ということになります。
私はこの無常の破れに軽い衝撃を受けたのです。
それで、直ぐに涅槃と無我との関係について考えました。
涅槃は無我の範疇に入っていました。
この無常と無我の涅槃に関連した食い違いから、それらの違いについて考えました。
それで次のことがわかりました。
無常は、ものごとの変化するという性質について言っているのに対して、
無我は、ものごとに対するああだ、こうだと言及するその言及そのものについても絶対はないという意味が含まれており、その意味合いがさらに深いことがわかりました。
つまり、無我の観点から言うと、一切は常に変化するという無常は言い過ぎであり、そのような言い切りは誤っているということになります。
厳密に言うと、無常という考えは間違っているということになります。
無常は間違っている、というこの結論に改めて自分でも少し驚いでいますw
私は今後、無常という言葉は使わないようにしようと思います。
最終的には、悟りの理解は無我と苦だけでいいようです。
◇「私」に意識を向ける自覚についてのご紹介は、例えばこの文章をお読みください(「自覚を始められる方へ」)。
◇自覚の要領をひとつにまとめた有料記事「自覚のヒント」のご案内はこちらです。
◇有料のスカイプ個人セッションのご案内は、こちらです。
コメント大歓迎です。気軽にお書きください。
読んで頂いてありがとうございました。
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<4月3日>
◇地球防衛軍
ここのところ、本業の農業を頑張っていて頭がそっちに行っているせいもあり、ネタがひと段落していることもあり、ブログの更新が休み勝ちになっています。
春が来る前にやっておきたかった作業が全然終わっておらず、焦っています^^;
今から12年くらい前、明け渡し体験があって4、5カ月した頃、私は毎日、地球にエネルギーを送っていました。
本当にエネルギーが送れていたのかどうかはかなり怪しいですw
でも当時は真剣にやっていました。
まずは自分が住んでいた神奈川から始めて、次に日本列島全体にエネルギーを送り、次に地球全体にエネルギーを送っていました。
このワークは3、4カ月くらいやっていたように思います。
最後の頃は、宇宙全体に向けてエネルギーを送ることもやっていました。
その頃、私の頭に「地球防衛軍」という言葉が浮かんできて、「おう、自分はそれだ!」と思い、地球を守ろうと毎日ワークをやっていました。
なぜワークをやめたのかと言いますと、私の意識がさらに変化し、地球に対するスタンスが変わったからなのです。
具体的に言えば、守ろうとすることのマイナス面についてわかってしまったからということです。
胎内記憶を話す子供たちに、「地球を守るために生まれてきた」なんてカッコいいことを言う子がいるようで、そういえば自分もそういうところがあったなぁ、と思い出した次第です(#^.^#)
<4月22日>
◇無常、無我と涅槃(無常の破れと誤り)
さっき、あさんというハンドルネームの方から興味深いコメントをいただき、無常、無我と涅槃について考えたことを書いておこうと思います。
私は無常と無我の関係について余り興味が無く考えたこともなったのですが、それらが同義であるいう議論が昔からあるようで、私はそれになんとなく違和感を感じていました。
今回、無常と涅槃の関係を考えたことを切っ掛けにして、無常と無我の違いが少しハッキリしました。
最初に前提として、無常、無我についての意味の確認から。
無常とは、一切のことがらは常に変化するものであるという意味です。
無我とは、一切のことがらに実体あるいは絶対はないという意味です。
まず、無常と涅槃の関係について。
本当にそういう現象が起り得るのかどうかはわかりませんが、解脱者が入滅し、涅槃に入ると言ったりします。
もしそれが本当に起こるのなら、涅槃は何も起こらず、何も変化しませんから、素直に考えると、涅槃は無常とは言えません。
涅槃という現象があるとすれば、それは無常の例外ということになります。
私はこの無常の破れに軽い衝撃を受けたのです。
それで、直ぐに涅槃と無我との関係について考えました。
涅槃は無我の範疇に入っていました。
この無常と無我の涅槃に関連した食い違いから、それらの違いについて考えました。
それで次のことがわかりました。
無常は、ものごとの変化するという性質について言っているのに対して、
無我は、ものごとに対するああだ、こうだと言及するその言及そのものについても絶対はないという意味が含まれており、その意味合いがさらに深いことがわかりました。
つまり、無我の観点から言うと、一切は常に変化するという無常は言い過ぎであり、そのような言い切りは誤っているということになります。
厳密に言うと、無常という考えは間違っているということになります。
無常は間違っている、というこの結論に改めて自分でも少し驚いでいますw
私は今後、無常という言葉は使わないようにしようと思います。
最終的には、悟りの理解は無我と苦だけでいいようです。
◇「私」に意識を向ける自覚についてのご紹介は、例えばこの文章をお読みください(「自覚を始められる方へ」)。
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読んで頂いてありがとうございました。
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