私を知る

自覚を中心に悟りのヒントを書いています。自覚とは「私」に意識を向け、一切は「私」の考えであることを自覚していくことです。

恐れについて

2014年05月23日 11時23分20秒 | 悟り
◇恐れについて◇

悟りの道を進むとき、その抵抗となる唯一の要素は恐れです。
まだ普通の感覚の意識で経験を続けたいからとか、まだ学びたいからとか、いろいろ理由を付ける方がおられますが、どんな理由を付けても、その抵抗となっている要素の根っ子には恐れがあります。

ですから、悟りの道を進む行程は恐怖心を克服していく行程でもあります。
恐怖心を克服し、私という存在の本質的な姿に向き合うことができれば、その克服した分だけ悟りの道を進めるようになっています。

まず最初に、病気になることや生活に困窮すること、そして死ぬこと等の一般的な恐怖心と向き合うようになります。

克服のやり方は、人それぞれですが、大凡のやり方は二通りです。
まず単純なやり方として、この現実世界で起こるすべての苦と死をただ受け入れてしまうことです。
もう一つは、死を含めたこの世界での出来事がすべて考えであり幻であることを理解し、その理解を通じてそれらを受け入れることです。
どちらのやり方でも大丈夫で、みなさん自分に合ったやり方で進んでいきます。

そうして恐れと向き合っているうち、私という存在が抱え込んでいる考えが徐々に剥がれ落ちていきます。

そして、いずれ虚無と向き合うようになります。


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7 コメント

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質問です。 ()
2014-07-02 01:47:08
こんばんは 教えて下さい。



まず最初に、病気になることや生活に困窮すること、そして死ぬこと等の一般的な恐怖心と向き合うようになります。

と、ありますが、これは悟りの道を歩もうとすると必ず起こるのでしょうか?
実際に、病気になったりすると言う事でしょうか?
悟りの道を歩もうとする事が原因と言う事でしょうか?
悟ろうとしなければ、起こらないと言う事でしょうか?
返信する
Re:質問です (慧空)
2014-07-02 09:08:37
>瞬さんへ
コメントありがとうございます。

書き方が少し簡略過ぎたかも知れませんね。
ごめんなさい。

おそらくすべての人は、真我に完全に覚醒する悟りを得るまでの過程で、人生の大きな困難や死に対する恐怖と向き合う局面が必ず来るはずだと考えています。
なぜなら、これらの恐れは、肉体に付随した根本的な恐れであり、そこに執着(カルマ)があるということなのです。
このカルマを解消なしには、真我の完全な覚醒も、その後の最終的な悟りである解脱の悟りも得られないのです。
真我に完全に覚醒する方の多くは、覚醒するその人生の中でそれらの恐れと向き合う局面が訪れるのだろうと思います。
ごく一部の方で、前世でその過程を終えている方がおられるのかも知れないと思います(そういう方は、大きな困難を経験することなく覚醒が訪れるのではないかと思います)。

また、真我に完全に覚醒する前段階である真我の外縁に触れる悟り段階に至る方も、その過程でそのような恐れと向き合われることになるケースが多いのだろうと思います。

さらに、そのような悟りに限らず、何らかの悟りを得られる方には、人生の大きな困難や苦しみを経験されている方がとても多いです。

上の「まず最初に、病気になることや生活に困窮すること、そして死ぬこと等の一般的な恐怖心と向き合うようになります。」とは、
そのような意味合いで書きました。

ですから、必ず最初にそのような困難を経験するようになるとは限りません(ここは少し言い過ぎでした、ごめんなさい)。
多くの方のケースでそのような方が多いというだけです。

人生の大きな困難は、訪れるときは否が応でも訪れてしまいます。
その人が悟りを目指していようといまいと関係ないです。
でも、悟り、特に深い悟りを得るためには、必ずと言っていいほど、大きな苦しみの経験が必要なのです。
苦しみの中でしか、自分自身を見つめ、握りしめた執着であるカルマを解消することができないのです。
ですから、大きな苦しみを経験する方は、悟りのゲートを潜るためのチケットを手に入れた人だということもできます。

もし瞬さんにが大きな苦しみを経験することになっても、過度に苦しみに翻弄されることなく、真っ正面からそれを受けて立って頂きたいと思います。
返信する
Unknown ()
2014-07-02 11:56:22
回答ありがとうございますm(._.)m

では、今生の中で、一度も苦等を経験せず、
瞑想などで、悟りを得るのは不可能なのでしょうか?
よろしくお願いしますm(._.)m
返信する
Unknown ()
2014-07-02 12:03:00
でも、悟り、特に深い悟りを得るためには、必ずと言っていいほど、大きな苦しみの経験が必要なのです。
苦しみの中でしか、自分自身を見つめ、握りしめた執着であるカルマを解消することができないのです。

ここです。そのような経験から得られる答えの他に、瞑想等の修行だけでは悟れないのでしょうか?
度々すみませんm(._.)m
返信する
Re: (慧空)
2014-07-02 13:12:56
>瞬さんへ
悟りは浅いものから深いものまで、大きく分けて4段階になっています。
ですから、どの段階の悟りを得るかによって、人生で経験する苦等の大きさも異なりますので、一概には言えません。

ただ、深い悟りの場合、今世の中で、一度も大きな苦しみを経験することなく、それを得る方は殆どいないのが実情なのだろうと思います。
ごく一部に今世で大きな苦を経験することなく、深い悟りを得られる方がおられるのかも知れませんが、その方は、前世で経験されているのだろうと思います。

またこんな例もあると思います。
今世で大きな苦を経験していない方で、深い悟りを目指される方は、その修行の道中で大きな苦を経験されるケースがあると思います。
返信する
Unknown ()
2014-07-02 14:20:28
回答ありがとうございますm(._.)m
僕の人生を述べますと、十代で精神疾患、引きこもり,父の精神疾患、その時かなり人生について考えました。20代前半で自殺未遂(橋から飛び降りました)現在37歳です。
現在も人間関係とうの悩みがあり、悟りについて興味をもつようになり、毎日瞑想を実践しております。まだ辛い事が起こるのかが怖いのです。 でも、ビィパッサーナ瞑想を行う事で辛い事を招くと言う事ではないのですよね?用は悟りの努力?をするがゆえに、苦が起こると言うのは間違いですよね?
楽に生きたいので、悟り、解脱に興味をもち、今は瞑想を実践しております。
返信する
Re: (慧空)
2014-07-02 15:16:07
>瞬さんへ
詳しく書いてくださり、ありがとうございます。
瞬さんは大変な人生を歩んでおられるのですね。
ご苦労さまです。

どうお伝えすればいいのか少々困惑しておりますが、
思ったことをできるだけストレートにお伝えするのが私の個性ですので、そうさせていただきますね。

>でも、ビィパッサーナ瞑想を行う事で辛い事を招くと言う事ではないのですよね?用は悟りの努力?をするがゆえに、苦が起こると言うのは間違いですよね?

はい、その通りです。
内観等をすることと、苦が起こることは別のことです。
悟りの道を進む過程で何らかの苦を経験するケースが結構多いというだけです。

ただ、瞬さんは、
「まだ辛い事が起こるのかが怖いのです。」
と書いておられるように、苦に対する恐れがありすので、
その恐れが滅せられるまで、折節何らかの形で苦や恐れと向き合われることになると思います。
これは瞬さんについてだけではく、恐れを持っているすべての方について言えることなんです。
幸せそうに暮らしている人も、いずれ苦を経験するときがきます(今世でなくとも、来世でそうなります)。
そして、この苦の経験は苦に対する恐れが滅せられるまで続きます。
そういうものなんです。
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