私を知る

自覚を中心に悟りのヒントを書いています。自覚とは「私」に意識を向け、一切は「私」の考えであることを自覚していくことです。

悟りの本質について

2024年08月31日 11時01分29秒 | 悟り
◇悟りの本質について◇


最近になって、悟りについて、正確には悟りの捉え方についてまた理解が進みまして、今回はそれを記事にまとめてみたいと思います。

悟りと言うと、体験として大きな意識の変化が生じるので、どうしてもその体験や、意識がどう変化したか等に目を取られてしまいがちになります。
そして、多くの悟りを体験をした者は、自分の体験や意識の変化に基づいて、自らの悟りを語ります。
かくいう私自身もそうでした。
このブログに書いてきた悟りの体験談や悟りに関する文章は、悟りによって意識がどう変化したとか、どうなったか等が中心になっています。
これを振り返り、悟りを語るには私自身まだまだだったなと思う次第です。

端的に言えば、悟りの本質は何を悟ったかなのです。
どんな体験をしたとか、悟ってどうなったとかは、どうでもいいんです。
何を悟ったかが重要なのです。

核心部分について書く前に、少しお膳立てをしておきたいと思います。
そのお膳立てとは、悟りは階層的に捉えられるのか否かです。
多くの場合、悟りの行程は段階的に進んで行くので、一見すると悟りに階層構造があるように思われます。
しかし、改めてその階層構造について考えたとき、最後の解脱は非常に明確でハッキリしているのに対して、途中の節目については、どこをどう分けても、ぼやけてしまい、明確性に欠けるのです。
そのため、私は最近、悟りの行程は一続きのものとして捉えるべきであり、途中で分けるのは好ましくないのではないかと考えたりもしています。
そのような事情がありまして、今回の記事ではこれまで通り、悟りの行程を、小悟、大悟、解脱の三つに分けていますが、小悟、大悟については、明確なものではなく、それなりにぼんやりとしているものだと考えて頂きたいと思います。

では、悟りの本質について階層ごとに説明します。

小悟では、真我を悟るのです。
真我とは、ただ観ている意識である観照意識です(気づきの意識と言っていいです)。
私の本質として、観照意識を悟るのです。

大悟では、私とは意識であり、世界そのものであることを悟るのです。
少し補足すると、この段階で縁起を悟るケースもあると思います。
縁起を悟るとは、私、即ち世界は連鎖的に連なる識の連鎖であることを悟ることです。

解脱では、苦を悟るのです。
私、即ち世界は苦であることを悟るのです。

悟りの本質は、たったこれだけなのです。


◇「私」に意識を向ける自覚についてのご紹介は、例えばこの文章をお読みください(「自覚を始められる方へ」)。
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読んで頂いてありがとうございました。

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