◇道は各自が決めるもの◇
人が歩む道は人それぞれ。
どの道を歩むかは各自の自由です。
各自が自分で決めることです。
自分で決めるしかないのです。
これまでもそうだし、これからもずっとそうなのです。
あなたも、自分の道は自分で決めてきたでしょう?
そして、これからもそうしていくでしょう?
みんなそうなのです。
他人ができることは、その人が行こうとしている場所への道を教えてあげることくらいです。
その場合でも、最終的に道を決めるのは、やっぱりその人自身なのです。
しかし、私たちはついお節介が過ぎてしまいます。
他人の目的地や通るべき道まで決めたがります。
それはどうしてでしょう?
あなたはそれを「愛」というかも知れません。
でもそれは本当に「愛」でしょうか?
満足感や評価など、何らかの報酬を期待していないでしょうか?
あなたから見ると、危なっかしく思え、つい世話を焼きたくなるのかも知れません。
でもそこを堪えて、その人の歩みを尊重してあげてください。
なぜなら、それがその人の意志なのですから。
次は今週水曜日にでも書かせていただきます。
コメント大歓迎です。気軽にお書きください。
読んで頂いてありがとうございました。
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人が歩む道は人それぞれ。
どの道を歩むかは各自の自由です。
各自が自分で決めることです。
自分で決めるしかないのです。
これまでもそうだし、これからもずっとそうなのです。
あなたも、自分の道は自分で決めてきたでしょう?
そして、これからもそうしていくでしょう?
みんなそうなのです。
他人ができることは、その人が行こうとしている場所への道を教えてあげることくらいです。
その場合でも、最終的に道を決めるのは、やっぱりその人自身なのです。
しかし、私たちはついお節介が過ぎてしまいます。
他人の目的地や通るべき道まで決めたがります。
それはどうしてでしょう?
あなたはそれを「愛」というかも知れません。
でもそれは本当に「愛」でしょうか?
満足感や評価など、何らかの報酬を期待していないでしょうか?
あなたから見ると、危なっかしく思え、つい世話を焼きたくなるのかも知れません。
でもそこを堪えて、その人の歩みを尊重してあげてください。
なぜなら、それがその人の意志なのですから。
次は今週水曜日にでも書かせていただきます。
コメント大歓迎です。気軽にお書きください。
読んで頂いてありがとうございました。
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返信ありがとうございます。
>エゴを大いなる存在に明け渡してしまいました・・・
素晴らしいです。
私はもうちょっとかな....(笑)。
焦らずやっていきます。
私のコメントに返信をありがとうございます。
ほんとに歯がゆくはありますが、こちらの道のほうが楽に進めるとわかっていても、相手の学びである以上余計な口出しはかえって逆効果なのかもしれません・・・
私は以前は、家族や身近な人に対していろいろお説教?みたいなことしていたように思います。けれど、今はやはり見守るだけです。
万が一、家族が人殺しをしたいとか自殺したいと言った時は、真実の愛からそれを止めると思いますが、それ以外は基本見守りしかないように思います。
自分自身に対しても同じ・・・ほんとですね!
エゴの頭でどうしようこうしようとしても、結局は苦しいだけのように思います。
真我にお任せする、身を委ねるという感覚はよくわかります。
実は私自身もまだまだエゴに振り回されることも多々あったのですが、このところの一連の痛い出来事で思い知りました。そして、エゴを大いなる存在に明け渡してしまいました・・・
ほんとに、人はいつか自力の限界を感じ、エゴに振り回されることに疲れ果てて「委ねる」という方向へシフトしていくのでしょうね、私もそんなふうに思います。
上の私のコメントの補足に来ました。
コメント後段の「自分自身に対しても同じ」という意味は、
肉体の私に対してもそうで、積極的にどうこうしようとせず(これはエゴがやることですから)、
ただ見守るというか、真我にお任せするというか、流れに身を委ねるというか、
段々とそういうふうになっていくんだということです。
コメントありがとうございます。
そうなんでね~。
相手の意志、存在を尊重するという方向にシフトしていくと、何もできなくなるんですよね~。
ただ見守るという感じになっていくんですね~。
それは身近な家族に対しても同じなんですよね~。
それで、これは今 改めて気がついたんですが、
自分自身に対しても 同じなんですね、きっと。
ああ、これは私自身が今日気がつくべきことだったようです。
すみれさんがコメントを下さったことで、またひとつ気づけました。
ありがとうございました。
この記事には思い当たることばかりです。
私は人の行くべき道に過干渉したり、本来その人がやるべきことを何でもやってあげることが愛だと勘違いして、痛い経験をしました。
私の優しさは人をダメにする優しさであって、それは本物の愛なんかではありませんでした。
本物の愛は厳しさも持っていますし、時には遠くからの見守りも必要です。
危なっかしく見えても、それはその人の選んだ道であり、経験しなくてはならない出来ごとなのですよね。
昨年の手痛い出来事を思い出し、自戒の意味も含めてついコメントしたくなってしまいました。