◇教団と悟り◇
ツイッター記事で軽く書こうかと思って書き始めたのですが、単独記事として書くことにしました。
これは、仏教系を含めた方々に対する批判です。
教団内にいて深い悟り、特に解脱が生じ得るものなのかについて、私は非常に困難だろうと考えています。
無理と言ってもいいのではないかと考えています。
主に仏教系の教団を念頭に言っています。
大乗だけでなく、上座部も含めての話です。
それはなぜかと言いますと。
第一に、教団に対する依存があるはずであり、それが邪魔になります。
教団に守られ、依存している状態でやれるほど甘いものではない。
第二に、教団に属するような方は、釈迦に対することを含め、仏典や先人の言動を含めた教団の伝統に関する囚われが強すぎるのです。
それらをフラットに見れず、信じ込んでしまったり、頼ってしまうのです。
教団の教えが合っているという根拠など何処にも無いのにです。
と、ここで私が何を言っても無駄でしょうが。
◇「私」に意識を向ける自覚についてのご紹介は、例えばこの文章をお読みください(「自覚を始められる方へ」)。
◇自覚の要領をひとつにまとめた有料記事「自覚のヒント」のご案内はこちらです。
◇有料のスカイプ個人セッションのご案内は、こちらです。
コメント大歓迎です。気軽にお書きください。
読んで頂いてありがとうございました。
哲学・思想 ブログランキングへ
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これは、仏教系を含めた方々に対する批判です。
教団内にいて深い悟り、特に解脱が生じ得るものなのかについて、私は非常に困難だろうと考えています。
無理と言ってもいいのではないかと考えています。
主に仏教系の教団を念頭に言っています。
大乗だけでなく、上座部も含めての話です。
それはなぜかと言いますと。
第一に、教団に対する依存があるはずであり、それが邪魔になります。
教団に守られ、依存している状態でやれるほど甘いものではない。
第二に、教団に属するような方は、釈迦に対することを含め、仏典や先人の言動を含めた教団の伝統に関する囚われが強すぎるのです。
それらをフラットに見れず、信じ込んでしまったり、頼ってしまうのです。
教団の教えが合っているという根拠など何処にも無いのにです。
と、ここで私が何を言っても無駄でしょうが。
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