私を知る

自覚を中心に悟りのヒントを書いています。自覚とは「私」に意識を向け、一切は「私」の考えであることを自覚していくことです。

私の生い立ち(大学入学から就職前まで)

2022年07月19日 15時43分26秒 | 私の生い立ち(■有料記事)
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文字数は約7800字で、文庫本にして約13ページです。
値段は200円です。


◇私の生い立ち(大学入学から就職前まで)◇
◇大学時代

 大学には、1年の自宅浪人を経て入りました。大学は、東京に出てみたかったので東京の大学にしました。入学した大学は、夜間部の物理学科で都心部にありました。なぜ夜間部にしたかと言うと、私の学力レベルでも入れたのと、もしお金が足りなくなっても昼間働けばいいだろうと考えたからでした。必要な学費等は、母からの仕送りと、奨学金をあちこちから3つ借りて賄いました。
 下宿は、大学から見て西側方面(中野、吉祥寺方面)よりも下町の東側方面(錦糸町、新小岩)の方が家賃が安そうなので、総武線沿線に住むことにしました。部屋は四畳半一間で、小さな流し台と半畳の押し入れが付いていました。ガスコンロがある台所とトイレは、共同になっていました。風呂は銭湯でした。
 入学当初は、大学に入るという気持ちの高まりと、東京に住むというワクワク感で期待が大きく膨らんでいたように思います。しかし、東京での学生生活が日常化するに連れ、そのような期待感も落ち着いていきました。
 部活は、物理研究部とSF研究部に入りました。物理研究部では、空き時間に部室に集まって過ごしたり、一緒に酒を呑んだり、遊びに行くのが主な活動でした。その他、高学年生が後輩に物理や数学のポイントを教えるセミナー活動もやっていました。SF研究部では、毎週土曜の午後に大学近くの喫茶店に集まって過ごすというのが主な活動で、年に何回か書評を中心とした同人誌を作成していました。アルバイトは余りガツガツせず、気が向いたときに何か見つけてしていました。
 大学に入った一応の目的は、物理を学び研究するためだったのですが、浪人していたときに、物理を含む理屈の限界に気づいてしまって以来、物理に対する意欲が大きく減退していたため、物理の勉強にはそれ程身は入りませんでした。大学院へも行くつもりで、物理で身を立てられるのならそれもいいかもと考えるところもありましたが、心のどこかで、いずれ気が変わり物理をやめることになるような予感がありました。大学、大学院時代は、私にとって、何かやりたいことが見つかるまでのモラトリアム期間のようなものでした。
 異性関係についても、異性を求める強い気持ちや衝動は常にあるのですが、自分探しの方が忙しく、踏み込めず引いたような状態のまま時間が過ぎていきました。大学で気になる女の子はいたりするのですが、見ているだけで何もアクションは起こしませんでした。女の子から何度か誘われて、お茶をしたり、ご飯を食べたことはありました。
 大学4年間は、特にこれというエピソードもなく過ぎていきました。東京での学生生活も期待していた程ではなく、つまらんなぁと思うようになっていきました。細々としたエピソードはないこともないのですが、敢えてここに書く程のこともないなぁという程度のことばかりでした。敢えて書くとすれば、自分探しに関連して、人との出会いを求めて動いていたのと、自分の可能性を探っていたところがあったと思います。その辺りのことを少し書いてみようと思います。
 具体的に人との出会いを求める行動については、例えば大学やアルバイト先で面白そうな人を見つけては話しかけて友だちになったり、帰省に鈍行列車を使い、その列車内で話しかけ、途中下車して話し込んだり、下宿に連れてきたりしていました。それによって相当な数の人と話したのですが、そこから得られるものは余りありませんでした。今から思うと、一向に変化しない現状に対して、それを何とかしようと人から受ける刺激に期待していたのだろうと思います。
 自分の可能性を探る行動については、例えば高校時代から作家になりたいという気持ちがあり、何か小説みないなものが書けないかと何度か頑張ってみたことがありました。同世代の作家が出てくる度、自分もと思い、何か書こうと頑張っていたように思います。しかし、残念ならがいくら頑張っても小説のテーマもストーリーも、何も出て来ませんでした。それであるとき気づいたのです。自分には他人に伝えたいものが何もないに。伝えたいメッセージがないのに、形だけ何かを書こうとしてもダメだとわかったのです。それが分かった後は、小説家になろうとは思わなくなりました。
 その他には、自分に音楽の才能があったらと思い、大学の春休みにアルバイトで稼いだお金20万をつぎ込んで、シンセサイザーとシーケンサーを買ったことがありました。ピアノもオルガンも触ったことがないのに、いきなりシンセサイザーを買うとは、自分でもバカなヤツだと思います。結局、殆ど弾くことなくガラクタになってしまいました。
 あと、誰かと一緒に酒を呑むのが好きで、誘ったり誘われたりして時々酒を呑んでました。調子が出てくると終われなくなるタイプで、終電が過ぎてしまい、下宿まで何時間も歩いて帰ったり、始発電車まで呑み続けたりすることが多かったです。そんなに酒が強い訳でもないので、呑み過ぎて翌日の昼頃まで吐き続けたりしていました。
 そうこうしている間に、大学に入って3年が過ぎ、大学4年になりました。私は大学院に行くことを決めていましたので(というよりまだ就職する気になれなかったので)、大学院の受験のための勉強を嫌々ながら始めました。大学院も大学受験のように試験を受け、試験に合格する必要があるのでした。試験科目は、物理と英語が一般的なのですが、私は英語が苦手というか大嫌いで、大学院の受験のときも英語には苦しみました。物理も真面目に勉強していませんでしたから、大変だったように思います。よくあれで大学院が受かったなと思う程です。
 大学院は、3つ受けました。1つ目は国内屈指の研究機関に付設されたところで、2つ目と3つ目は、地方の国立大学の大学院で、現実的な観点から自分の実力に合ったところを選びました。結果は、やはり1つ目は合格に遠く及びませんでしたが、どうかなぁと思っていた2つ目、3つ目にはどうにか受かりました。


ーーーーーーーーーーーーーー 以下、有料です ーーーーーーーーーーーーーー


今回の記事では、大学入学後から27歳で就職するまでの出来事について書いています。
次回は、就職後から結婚前までの出来事について書く予定です。
そして、最終的な悟りの前後までのことを何回かに分けて書いていく予定です。

◇「私」に意識を向ける自覚についてのご紹介は、例えばこの文章をお読みください(「自覚を始められる方へ」)。
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読んで頂いてありがとうございました。

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