◇無我、非有非無、無根について再考する(補足編)◇
以前に、「無我、非有非無、無根について再考する」という記事を書いたのですが、これについてもう少し補足的なことを書いておこうと思います。
無実(無我)と非有非無の違いについて書いてみようと思います。
簡単におさらいすると、無実は一切に実体がないという意味で、非有非無は一切にあるともないとも言えないという意味です。
おそらく釈迦は、無我(釈迦は無我ではなく、どちらかというと非我と言ったという話もありますが、ここはそれほど本質的なことではありません)に、無実という意味だけではなく、非有非無の意味合いも持たせたかったではないかと考えています。
あるいは、釈迦は無実と非有非無の意味の違いを深く理解しないまま、曖昧に一緒くたにして扱っていたのかも知れないと考えています。
かく言う私自身も、つい最近まで無実と非有非無の意味の違いについて、曖昧にしたままほったらかしにしていました。
しかし、無実と非有非無とは本質的に別ものなのであり、一緒くたに扱えるものではないのです。
非有非無は、シンプルにものごとの有る無しについて言っています。
これに対し、無実は、ものごとに実体があるのかないのか、つまりものごとの実体性について言っているのであって、ものごとの有無については言及していないのです。
突き詰めて考えてみると、これは当たり前のことであり、ものごとに実体があるのか否かと、ものごとの有る無しとは別の問題なのです。
一緒くたにできるものではないのです。
このように文章で書くと、無実(無我)と非有非無の違いが明確であり、わかったような気にもなりやすいだろうと思います。
しかし、この違いを本当に理解するのは至難なのです。
これは大問題であり、無実と非有非無の公案と名付けてもいいのかも知れません。
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