私を知る

自覚を中心に悟りのヒントを書いています。自覚とは「私」に意識を向け、一切は「私」の考えであることを自覚していくことです。

自我の本質と自己認識

2022年04月15日 08時45分13秒 | 私の成り立ち
◇自我の本質と自己認識◇

私という自我は本当に不思議なものなのですが、その仕組みや、それが何故起こったのかについては誰も知り得ません。
これは間違いありません。
さらに、一切のことがらに実体がありませんから、私という自我にも実体はありません。
私という幻のような現象が起こっているに過ぎません。

そんな捉えどころのない自我について、本来切れないものを私なりに無理やり切ってみたいと思いますw

自我の本質について一言に集約するなら、私は自己認識だと考えています。
自己認識とは、認識が認識を認識する、あるいは、あたかも私があるように感じる(自我感覚)ことです。
認識が認識を認識するとは、目が目を見る、あるいはカメラがカメラを撮影するようなものであり、理屈で説明しようとしても無理です。
しかし、自我という現象には本質的にそのような要素が含まれているようです(あるいは、含まれているように感じます)。

次に、自己認識とその機能要素について考えてみたいと思います。
自己認識が起こるために必要な機能要素は何かと、私なりに考えた訳です。

その機能要素は三つあると考えています。
一つ目は、持続性を有する観点。
二つ目は、その観点に基づく何らかの認識。
三つ目は、その観点と関連付けられた記憶。

しかし、このように要素に分解すると、大切な何かが抜け落ちしてしまうようです。
何かが足りないのですが、その何かを見つけようしてもおそらく無理なのでしょう。
残念ながら、私の刃では切れ味が足りなかったようですですw


◇「私」に意識を向ける自覚についてのご紹介は、例えばこの文章をお読みください(「自覚を始められる方へ」)。
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10 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown ()
2022-04-26 10:45:44
すごいです
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Unknown ()
2022-04-26 10:50:09
自分が自分を認識する活動を駆動しているエネルギーについて何か思い当たることはありますでしょうか?
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Unknown ()
2022-04-26 10:55:39
認識を認識する現象が起こるとして、そういう現象が幻のなように顕在化する媒質のような物、音を伝える空気、マグマの泡を見えるようにするマグマのような対象について何か思い当たることはありますでしょうか?
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Unknown ()
2022-04-26 10:59:04
以前精神の探求はそれ以上進めない、とおっしゃっていました。宇宙の外に宇宙を仮定するように、それを始めると終わらない輪廻に陥るのだ、、そんなものは解答ではない、というように理解しました。

でも認識が認識を起こすループを仮定したら、それを担っている対象とループを駆動するエネルギーについて知りたくなります。

それでもすいくうさんはもう知りたいという欲求が湧かないのでしょうか?
返信する
Unknown ()
2022-04-26 15:19:55
自分を自分で見る時には鏡を使います。もし、自分自身が鏡なら自分が映った像を自分で見らという現象がループします。合わせ鏡に現れる世界のアナロジーが使えないでしょうか?
返信する
Unknown ()
2022-04-26 15:23:21
三つの要素の中に欠けている重要な要素に、自分が他とは違う唯一の自分自身であるという認識があるのではないでしょうか?
返信する
あさんへ (慧空)
2022-04-26 20:21:56
あらら、凄い連投ですねw
ともあれ、コメントありがとうございます。

ご質問の件ですが、可能な範囲で順番にお答えしますね。

>自分が自分を認識する活動を駆動しているエネルギーについて何か思い当たることはありますでしょうか?

おそらく、エネルギーのようなものは無いでしょうね。
延々と展開していく現象があるだけでしょうね。
なぜそうなっているのか、なぜ生じたのかは、誰にも解明不可能でしょう。

>認識を認識する現象が起こるとして、そういう現象が幻のなように顕在化する媒質のような物、音を伝える空気、マグマの泡を見えるようにするマグマのような対象

媒質のようなものも無いででしょうね。

>でも認識が認識を起こすループ

おそらく、ループと捉えてしまうとちょっとズレてしまうのだろうと思います。
認識が認識を認識するという現象は、何らかのステップをループ的に順番に繰り返すのではなく、おそらく、同時に起こっていると捉えるべきなのだろうと思います。
例えば、音を認識したときに、その音を認識する認識と、その認識を認識することが同時に起こっているということです。
ここが、おそらく自我の本質的な現象の一つであり、理屈を超えているところです。
説明不可能なシンギュラリティー、あるいはアノーマリみないなものでしょうか。

>自分を自分で見る時には鏡を使います。もし、自分自身が鏡なら自分が映った像を自分で見らという現象がループします。合わせ鏡に現れる世界のアナロジーが使えないでしょうか?

ですから、私という現象と合わせ鏡の構造は、本質的に異なっているでしょうね。

>三つの要素の中に欠けている重要な要素に、自分が他とは違う唯一の自分自身であるという認識があるのではないでしょうか?

唯一の自分自身は、観点そのものがユニークなものですから、そこから説明できないこともないかもしれませんね。
三要素の中に欠けているものについてですが、敢えて書きますと、三要素は、機能分解的、かつ静的な切り口であり捉え方ですよね。
欠落はそこが関係しているだと思います。
動的な要素や、全体機能的な要素といいますか。
機能分解の観点だと、私というアノーマリが観えなくのだと思います。
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Unknown ()
2022-04-28 19:32:18
ずっと興味があったテーマだったので興奮してしまいました。お騒がせしてすみません。
ちょっと話題が変わるのですが、ゲーデルお詳しいでしょうか?私はもちろん分かりませんでしたのでこれで勉強しました。
https://www.amazon.co.jp/不完全性定理とはなにか-ブルーバックス-竹内-薫/dp/4062578107/ref=asc_df_4062578107/?tag=jpgo-22&linkCode=df0&hvadid=295699891199&hvpos=&hvnetw=g&hvrand=8911495435241204108&hvpone=&hvptwo=&hvqmt=&hvdev=m&hvdvcmdl=&hvlocint=&hvlocphy=1009224&hvtargid=pla-526577114098&psc=1&th=1&psc=1

自己言及というのが出てきます。すいくうさんの話を念頭に読んでみたら焦点が絞れてすこし理解しやすかったです。それでたしか、ゲーデル、少なくともブルーバックスで説明している問題は、自己認識の話ではなあのですが、少し少し少しだけかすっているテーマのように感じました。少なくとも自己認識が出て来る仕組みを知りたいと思ったら何かを考える土台を提供してくれているような感じがします。

もしすいくうさんがこの筋にお詳しかったらと思いコメントしました。
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Unknown ()
2022-04-28 19:33:53
当てにならないコメントでしたが自分には難しすぎら問題だから諦めて自己認識を与えてくれる神さまがいることにして先に進もうかと思います。
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あさんへ (慧空)
2022-04-28 20:15:53
ゲーデルの不完全性定理は、ザックリとですが理解しています。
簡単に言いますと、無矛盾に論理体系を構築することは不可能であるという定理です。
論理体系の矛盾発生の典型例として、自己言及の例があります。
例えば、「私は嘘つきです」です。
この文章は論理的に矛盾をはらんでいて、破綻しています。

せっかく考えておられるのに恐縮ですが、自己認識と不完全性定理とは関係ないだろうと思います。
自我の本質について、理解したり説明できる人は、絶対いませんし、未来永劫そうですから、安心してくださいw
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