◇社会への依存について◇
私たちが持っている囚われには、社会や他者との関係に関連したものが多いです。
その中に、社会への依存が含まれています。
例えば、人は一人では生きていけないなどの思い込みがあります。
社会への依存心が強いため、社会から阻害されることなどに対して、とても強い恐怖心が生じます。
阻害されること、孤立すること、仕事等の居場所を失うこと、収入を失うことなどに対して、必要以上に恐れおののきます。
孤立するのはダメだ、孤立すると生きていけない等と思い込み、無用な不安や恐怖をつくっている自分自身に気づいてください。
孤立したって、一人きりになったって、収入がなくたって、生きていけます。
大丈夫です。
なるようになっていくだけです。
(例え仮に、死ぬようなことがあっても、死だって大したことじゃありません、笑)
社会を「私」の上に置かないでください。
社会に依存しているあなたは、社会の奴隷です。
社会を足の下に踏みつけるくらいの強い気持ちで、その依存心や恐れを断ち切ってください。
そして、社会を対等でフラットな視線で眺めて頂きたいと思います。
コメント大歓迎です。気軽にお書きください。
読んで頂いてありがとうございました。
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私たちが持っている囚われには、社会や他者との関係に関連したものが多いです。
その中に、社会への依存が含まれています。
例えば、人は一人では生きていけないなどの思い込みがあります。
社会への依存心が強いため、社会から阻害されることなどに対して、とても強い恐怖心が生じます。
阻害されること、孤立すること、仕事等の居場所を失うこと、収入を失うことなどに対して、必要以上に恐れおののきます。
孤立するのはダメだ、孤立すると生きていけない等と思い込み、無用な不安や恐怖をつくっている自分自身に気づいてください。
孤立したって、一人きりになったって、収入がなくたって、生きていけます。
大丈夫です。
なるようになっていくだけです。
(例え仮に、死ぬようなことがあっても、死だって大したことじゃありません、笑)
社会を「私」の上に置かないでください。
社会に依存しているあなたは、社会の奴隷です。
社会を足の下に踏みつけるくらいの強い気持ちで、その依存心や恐れを断ち切ってください。
そして、社会を対等でフラットな視線で眺めて頂きたいと思います。
コメント大歓迎です。気軽にお書きください。
読んで頂いてありがとうございました。
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(視点というのも概念に過ぎませんが)
他者などいないのですから。
『人』は一人では生きていけないですよね?
何かに依存して一喜一憂しているのが人です。
水を飲むにも水道を捻るだけですが、水道管を作る人がいて水を浄水する人がいて成り立つという、この世界では人は一人では生きていけないとも言えるのかもしれませんね。
慧空さんは究極的な事を語られいるのでしょうね。
しかし奥様などには、きちんと感謝心を持ってらっしゃる。
やはり奥様がいなくなってしまったら、悲しですよね。
そのバランスと言いますか?何と表現すれば分かりませんが、それがとても素晴らしいと存じます。
>『人』は一人では生きていけないですよね?
いえいえ、一人でも生きていけますよ。
現に、山や森、離れ小島などで長期間一人で生きている人がいます。
私(慧空)は、もし一人になっても生きていけますよ(自信あります、(^_^)v)。
>やはり奥様がいなくなってしまったら、悲しですよね。
確かにそのときは悲しむでしょうが、おそらく直ぐにそのような感情も流れていくのだと思います。
私の場合、どんな感情も考えも直ぐに流れていくので、そのときになってみないとどうなるのか、どう感じるのか、どうするのか、分からないのです。(^o^)
確かにそうですね。
無人島や山で暮らしている方はいますね。
慧空さんには人間としての生きる知恵や知識、肉体も備わっているのでしょうね。
奥さんがいなくなったら・・
全くそうだと思います。
>やはりその時により楽な生き方を自動選択してしまう
それが普通だし、それでいいんだと思いますよ。
普通の生活をしていて、わざわざ減食や絶食をする人の方は、何か強い囚われがあるはずだと思います。
いえいえ、そんな智慧なんで無いですよ。
自分でもよく分からないのです。
なぜかいまも家族と一緒に社会の中で暮らせています。
思い当たることばかりです。今日の記事を読んでまさに社会を「私」の上においていたことに気付きハッとしました。そんな囚われを掴んでいたなんて、これっぽっちも気付きませんでした。
本当に慧空さんの記事(特に最近の)にはいつもハッとさせられることばかりで本当に感謝しています。前は色々な方のブログを読んでいましたが、今は慧空さんのブログだけでいいと感じています。
なかなか自覚の進歩が感じられず、何度も「あ~、私には無理!もーやめた!」となるのですが、結局また自覚にもどってきて、「やっぱり自分には自覚しかないや~」となるのですよね(苦笑) 有無を言わせぬ発心が起こってくれればと思うのですが・・・。でも諦めずコツコツ続けます(^.^)
まるこさんに、私の文章がヒットしたみたいで嬉しいです。
こちらこそ、ありがとうございます。
はい、自覚は、まずは諦めずに続けることが最大のコツでありポイントです。
続けてくださいね(^^)
仕事中に意識できないのは大きな囚われがあるからと自分でも認識している次第です。
以前は心を病む寸前まで毎日仕事のことを考えてましたが、思考と私は別物であることを知ってから、ここ1、2年はだいぶ楽になりました。
言葉を変えるとだいぶいい加減になってしまったところがあります。
彗空さんも仕事が手に付かなくなり、顧客に迷惑をかけた経験があるとブログに書いておられましたが、私も勤め先に大きな損害を与えてしまい、現在残務処理中です。
だいぶ仕事への囚われを手放したつもりでしたが、最後はきれいに責任を果たしたいという囚われが最近は出てきてしまい、仕事中は非常に窮屈さを感じている状況です。
それでも、なるようにしかならないという確信もあり、仕事中以外は楽ではあります。
ここで書くようなことではないとは思いますが、今回の記事は考えさせられることが多く、話したいという衝動に駆られ書かせて頂きました。
>私も勤め先に大きな損害を与えてしまい、現在残務処理中です。
それは大変でしたね、また大変ですね。
でも、しょうがないことなのかも知れませんね。
>それでも、なるようにしかならないという確信もあり、仕事中以外は楽ではあります。
「なるようにしかならない」、これは一つの結論ですね。
どうしようもないです。
>話したいという衝動に駆られ書かせて頂きました。
書いて下さり、ありがとうございました。
比較的楽だと書かせて頂きましたが、やはりまだまだ苦しいのかもしれません。
だからこそこちらを拝見させていただいてるのでは?と内面を掘り起こしてみました笑
今日はわりと私に意識を向けられたと思いますので、引き続き自覚を実践して行こうと思います。
お名前を間違えるとは大変失礼致しました。
大変申し訳ございません。
今後もコメントさせていただくことがあるかと思いますが、間違えないように気をつけます。
宜しくお願い致します。
それに間違えてたっていいじゃないですか。
「間違えるのは良くない」というのは、誰の考えですか?^^
「間違えるのは良くない」と考えてるのは私です。
最新の記事にあるモヤモヤから、まさに発せられています。
囚われが強くでると、マインドフルが維持できなくなりますね。
まだまだです。