私を知る

自覚を中心に悟りのヒントを書いています。自覚とは「私」に意識を向け、一切は「私」の考えであることを自覚していくことです。

現象に囚われが反応する瞬間を捉える

2015年09月14日 08時45分21秒 | 自覚ワーク等の紹介
◇現象に囚われが反応する瞬間を捉える◇

悟りを深めるとは囚われを手放していくことです。
自覚はそのための手段です。

ですから、自分自身に徹底的に意識を向け、起こってきた現象に囚われが反応し、感情や思考、衝動が起こる瞬間を捉えてください。

例えば、強い怒りはまず間違いなく、あなたが握り締めている囚われの反応によって生じています。
走りだそうとする怒りの衝動に無自覚に呑まれてしまうのではなく、自らの意識に、自覚の杭を打ち込んでください。
そして、どうして自分は怒っているのか、自分の内面にどういう考えの反応が起こり、怒りが引き起こされているのかを、自覚の観点でしっかりと観てください。

意に反する現象が起こると、それに連動して怒りが生じることが多いです。
これは至極当たり前のことであり、それだからこそ、怒りが生じる本質的なプロセスが見過ごされています。
当たり前のこととして見くびらないで、どうして自分に怒りが起こっているのかを自覚の観点から追求して頂きたいと思います。
怒りが起こっている現場を自覚の目で捉えて頂きたいと思います。

怒りだけではありません。
起こってきた現実に対して、それをどうにかしようとして何らかの衝動があなたに起こるとき、そこでもあなたが握り締めている囚われが関与していることが多いです。
過ぎてしまったことに対し、「どうしてあんなことになってしまったのか」とか、「あんなことをしてしまったのか」等の考えが繰り返し生じ、過去を引き摺っているときは、間違い無く、そこには囚われが関与しています。

囚われは、その人の人格や世界観、そして人生のベースとなる部分をつくりだすものであり、いわばその人の存在としてのベースを構成しています。
ですから、囚われは、それを握りっている本人からすれば、余りにも当たり前のことであるため、それが自分が握り締めている考えであり、囚われであるということになかなか気づけないのです。

ですから、囚われに気づいていこうとするとき、自分が当たり前と思っていることに対して疑いの目を持つことが囚われに気づきにとても有効になります。
当たり前のことや、決まったことなど、何もないのです。

あらゆることがらに対し、疑いの目を持ち、自覚を実践して頂きたいと思います。


◇「私」に意識を向ける自覚についてのご紹介は、例えばこの文章をお読みください(「自覚を始められる方へ」)。
◇セッションのご案内はこちらです。


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読んで頂いてありがとうございました。

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