ニノの写真と、にのみやかずなり、の文字(自筆?)のオープニング。
(2007年)2月(14日)パリの目抜き通りは集まった報道陣でごった返していた。
そして、その中心に彼がいた。
嵐二宮和也(23歳)。
世界的な映画スターとして、彼はそこにいた。
クリント
「ここにいる坊やのことかい?」
ニノ
「ちょっと。なにそれ。」
クリント
「彼はこの映画で実によく演じてくれた。
とても豊かな才能を持った男だと思うよ。
彼がこの作品に参加してくれたことを誇りに思うよ。
彼はユーモアのセンスも抜群だしね。」
たしかにあの映画は、
二宮という新しい才能の出現を世界に伝えるものだった。
去年話題となった硫黄島からの手紙(映像が流れる)。
二宮が見せた演技は、いわゆるアイドルという概念を大きく覆すものだった。
玉砕覚悟で島を守ろうとする日本軍の中で、
1人生き残ろうとする一兵ソツ;西郷。
その姿は戦争の悲しみを静かに伝え、
世界中に感動を呼んだ。
実際に会う彼は、まだあどけなさの残る普通の若者に見えた。
一体どこから世界をもうならせる力が生まれてくるのかとたずねると、
彼の答えは予想しないものだった。
ニノ
「あの、世の中の同じくらいの、それより若いくらい男の子たちに、
馬鹿にされながら、仕事してるのがすごく面白い。
なんか、ジャニーズってだせえよなみたいなこと言われると、
なんか、すごくやりがいが出てくるんだよね。
やっぱり、みんなの頭の中に、
ジャニーズっていうアイドル帝国の形があって、
その形がまぶしすぎて、みんなが嫌って、
影に入って、しゃべるから、
からこそオレはそれを陰口って呼んでるんだけど。
そういう馬鹿にされたりとかしてる人に支えられてることの方がオレは大きいから。
なんか、反発されてる方が、いやすいんですよ。」
Q
「やっぱりアイドルって面白いですか?」
ニノ
「面白い!」
<タイトル>
”「アイドルは伊達じゃないんだよ」と知る、二宮和也の、いくつかの事柄
東京 ベルリン パリ 2007”
二宮が所属するアイドルグループ嵐が結成されたのは、
1999年のことだった。
バレーボールの世界大会のイメージキャラクターとして、
ジャニーズジュニアから5人の少年が選抜され、
その1人が二宮(当時16歳)だった。
それから8年。
▼2007年4月1日東京フォーラムでの黄色い涙試写会の映像
嵐は、今日本でも指折りの人気グループとなった。
普段はメンバーそれぞれが、独自に活動している嵐の5人。
櫻井翔 → ニュース番組にも出演中
大野智 → 嵐のリーダー。舞台出演多数。
相葉雅紀 → バラエティ番組を中心に活躍
松本潤 → ドラマを中心に活動
彼(ニノ)のプロ意識は、どんな場でも盛り上げずにはいられない。
二宮で印象的なのは、この表情だった。
時折周りの状況を確かめながら、
いつもなにごとかを考えている様子なのだ。
▼メンズノンノ取材@東京六本木スタジオの風景
この日二宮は、雑誌の取材のため六本木のスタジオに現れた。
今日はこれで3つ目の仕事だという。
ニノ
「ダメだね忙しくて。」
メイク室へ入るところを恐る恐る追った。
夢を売るアイドルにとって、
メイク室はあまり見せたくない場所に違いないからだ。
カメラ
「勝手に撮ってますから、どっから先はダメとか言ってくださいよ。」
ニノ
「いや僕全然大丈夫ですよ。なんでも。」
スタイリスト
「こういうのがいいとかありますか?今日。」
ニノ
「いや、もうお任せします。
もう完全にお任せですよ。
わかんないから。」
ニノ
「ドライヤーください。」
意外だった。
髪の毛のセットも自分でやり、メイクもあまりしないという。
▼横浜イエロースタジオでWe can make it!のPV撮影。
新曲のプロモーションビデオ撮影。
この日の二宮は、意外な一面をカメラに覗かせた。
そして、そのことをまた、独特の表現で説明してみせた。
メンバーとスタッフ全員で映像チェックをしているときだった。
真剣にチェックしているメンバーの後ろで、
二宮はゲームに夢中だった。
これが当たり前の風景なのか?メンバーはなにも言わない。
ニノ
「面白いですよ。すげえ面白い。」
二宮のゲーム好きはファンの間でも有名で、
どんな現場でも空いた時間はゲームに費やしているのだという。
とにかくゲーム。
演出に参加することも、自分のことを言うことも一切ない。
そのくせ、周りのことはちゃんと把握している様子なのだ。
振付師からの指示も、メンバーからの確認も。
ニノ
「やりますか!」
本当に不思議な若者だった。
・・・たしかにこの日二宮はNGを出すことはなかった。
また、なにかあったとしても、
自分からやり直したいと願い出ることはないのだという。
一体二宮にどんな考えがあるのか?
Q
「いつもみんながモニターを見てても、ゲームをやっているじゃないですか。
別に興味ないわけじゃないんですか?」
ニノ
「ちゃんと監督の話聞いてますよ。
だからできるでしょ(笑)。
ゲームやってたほうが、いろんなもの入ってきやすい。
PVのことばっかりやって、PVのこと言われると、
自分の考えが生まれちゃうでしょ。
それが一番厄介なんです。
自分の考えを殺しさないと簡単なことでも動けなくなっちゃう。」
簡単なことでは決してない。
積み重ねた稽古があるからこそ、言える言葉だ。
午後8時撮影終了。
しかし、これで家に帰れるわけではない。
1ヵ月後に控えた嵐初のドーム公演。
彼らはリハーサルへと向かっていった。
(車で移動。)
二宮は、1983年で工場を営む家に生まれた。
(1983年東京都葛飾区生まれとテロップ)
子供の頃から運動神経がよく、
夢はプロ野球選手だった。
しかし、12歳のとき従姉妹が勝手にジャニーズ事務所に履歴書を送り、
合格してしまう。
そこで、歌や踊りだけでなく、礼儀作法も躾けられた。
デビューしてからは、地元の学校に通いながらの芸能活動。
修学旅行の記憶もない。
▼車中
ニノ
「お父さん、信号赤だよー。」
ニノ
「あれ?ここなにあったっけ?」
運転手
「ベルファーレ!」
ニノ
「これなんだよなあ・・・。」
運転手
「クラブとか行くことないですか?」
ニノ
「絶対ないですね。」
たしかにそんな時間はないのかもしれない。
▼拝啓、父上様撮影現場風景@日活スタジオ
ドラマに歌にバラエティ番組。
現場から現場への毎日だ。
しかし、先輩たちとのこうした時間(で)教わったことも少なくない。
撮影の合間、二宮がグローブを持ち出してきた。
ニノ
「少年野球のグローブ。」
Q
「誰が買ってくれたの?」
ニノ
「お年玉で買ったの。
なんか、いまだに捨てらんなくて。」
Q
「ジャニーズではどこ守ってるんですか?」
ニノ
「ジャニーズでは、ピッチャーです。」
Q
「ピッチャー?」
ニノ
「そう。でも、亀梨くんがくるとセンターとか(笑)。」
Q
「本当はどこやりたかったんですか?」
ニノ
「本当は?」
Q
「本当はポジションどこやりたかったんですか?
ピッチャー?」
ニノ
「キャッチャー。」
Q
「キャッチャー?」
<二宮語録>
やりたいポジションは、キャッチャー。
光を浴びるピッチャーではなく、
あえてまとめ役のキャッチャー。
Q
「いい球じゃないですか!今の!」
▼ランチ
二宮とゆっくり昼食を共にする機会があった。
アイドルとは二宮にとってどんな職業なのか?
彼の言葉で聞いてみたかった。
ニノ
「すいません!
えっと、きざみと黒豚うどんと黒豚カレー南蛮を2つ。」
(うどんを食べながら)
Q
「一言じゃ言いづらいでしょうけど、
(ジャニーズ事務所とは)どんな会社なんですか?
一言で言うと。
二宮さんにとっては?」
ニノ
「総合案内所みたいな。
はい!これ行ってきて!みたいな。
はい!みたいな。」
Q
「それで不満は言わないんですか?」
ニノ
「(不満は)ないですね。」
Q
「みんな言わないですね。
みんな言わないよね?」
ニノ
「アイドルってホント空気読めるよな、あいつら。
あいつらって(笑)、その場で言っちゃいましたけど自分。」
Q
「空気読める?」
ニノ
「なにを求められてるか分かるんですよね、多分。
こういうことをわかるんだろうな、とか。
なんかそれが好きなんでしょうね、きっと。
あんまり自分を主導で生きてきたことがないから。」
Q
「ゆるぎない自分ってなにかあるんですか?
誰ともいないときの自分。」
ニノ
「ありますね。
適度に悪口言って、なにかを解消して、・・・寝る、みたいな。
なんか、なんすかね。
<二宮語録>アイドルってなんなんですかね?」
しかし、そうして歩んできた道が、あの映画へとつながっていたのだ。
▼2007年2月11日ベルリン国際映画祭
2月、過密なドラマ収録の合間を縫って、
二宮はドイツのベルリンを訪れていた。
ドイツ女性からも沸き起こる、ニノ!というコール。
その中で、二宮が微笑んでいた。
会見場には、世界中からおびただしい数のジャーナリストが詰めかけていた。
そして、そのうちの1人が二宮に、こう尋ねた。
この映画で俳優としてどんな経験をしたのか?と。
ニノ
「<二宮語録>俳優ではございませんし、
日本では歌って踊っていますし、
5人でグループとして活動していますし、
ただ本当に淡々と伝えられたらな、と思って、
参加している最中はそれに尽くしていました。」
アイドルでいることへこだわりを強烈に感じさせる一言だった。
翌日、二宮はベルリンの街へ出た。
嵐のメンバーへお土産を買うためだ。
次の目的地パリで、わずかに空いた時間も同じだった。
あわただしい3泊5日の旅。
(2007年2月14日パリ;シャルルドゴール空港)
着替える時間もままならなかった。
Q
「明日はこれで休めるんですか?帰ったら。」
ニノ
「ううん。ドラマ。」
Q
「ドラマ行くんですか?」
(微笑むニノ)
▼ドラマ;マラソン撮影風景@代々木国立競技場/2007年3月25日
3月末ドーム公演のリハーサルに追われる二宮に、
また新たな仕事が舞い込んでいた。
秋のスペシャルドラマで、
自閉症の若者がトレーニングを積み、
マラソンを完走するという韓国の実話をもとにしたものだ。
瀬古さん
「あなたななに、走ったことあんのか?
どこかで大会に出たこととかないの?」
ニノ
「あー、全然ないです。」
瀬古さん
「ないの。駅伝大会とかさ。」
ニノ
「は、ないですね。」
瀬古さん
「ないの。マラソン大会もないんだ。」
ニノ
「ホント見るくらいですね。」
瀬古さん
「そうか、ハハハ!」
問題は、その走りに加えて、
自閉症の若者をどう演じるかにあった。
実は二宮、この日までに自閉症の子供数人と会い食事をしていた。
あれこれ考えるより、
その方が自然に演じられると考えたからだ。
ニノ
「手がね、すごい敏感だね。
握手したがりませんでしたね。」
Q
「握手したがらなかった?向こうが?」
ニノ
「うん。
たぶんオレたちの何倍もわかっちゃうんだろうな。」
二宮は彼らの手の動きに手がかりを見つけたようだ。
しかし、時間はあまりない。
▼マラソン撮影シーン@多摩川撮影現場
撮影が始まっていた。
ドラマの成功は、ひとえに二宮の演技にかかっている。
自閉症の若者をどう演じるのか?
手を動かし始めた。
そして、振り向いた瞬間にもう演技が始まっている。
本番。
・・・一体いつ練習したのか?
実際、二宮のスケジュールは生半可でない。
それでも表情には余裕がある。
陰の努力を感じさせることもない。
その上走り方までもう身につけていた。
語りがらないのを承知で陰の努力を聞いてみた。
Q
「もう練習したんですか?自分で?」
ニノ
「なんとんーく走って、なんとなーくイメトレして。」
Q
「一体いつやるんですか?」
ニノ
「いつやるって?」
Q
「時間ないんじゃないですか?」
ニノ
「いやいや・・・。」
Q
「ドームの・・・。」
ニノ
「リハね。」
Q
「練習もあるし。
走るのは何時くらいに走っていたんですか?」
ニノ
「リハ終わって帰ってきてからすぐです。
テンション上がってるでしょ。」
Q
「夜中の2時3時に走ってたんですか?」
ニノ
「不審者ですよね、完全に。
<二宮語録>本気ですから。」
アイドルは顔とスタイルだけでつとまるほど甘くはない。
そんな風にも聞こえた。
▼嵐東京ドーム公演 ARASHI AROUND ASIA in DOME 2007年4月29日30日
4月末、嵐初めての東京ドーム公演。
この日彼らは5万5千人の観衆を迎い入れる。
(午後2時本番前リハーサル映像)
ジャニーズのコンサートは最高のエンターテイメントでなければならない。
(午後6時本番直前)
そのことは、彼らが一番良く知っている。
スタッフ
「晴れ姿を!」
しかし二宮は、普段となにも変わらなかった。
Q
「普段と変わらないですか?」
ニノ
「でも、毎回出る瞬間だけは(緊張する)。
ホント出る瞬間ですよ。
もう、ゲロ吐きそうなぐらい緊張します。ハハハ!」
<二宮語録>緊張は出る瞬間だけ
わずか一瞬の緊張。
開演前恒例の儀式(の円陣)。
ジャニーズに入って10年。
数え切れないほどこの円陣を組んできた。
潤くん
「準備はいいか!客はもう平気だぞ!
おまえらどうなんだ!どうなんだ!どうなんだよ!!
どうなんだよ!!どうなんだよ!!
もっと!もっと!もっと!もっと!もっと!もっと!
OK!最終日よろしく!行くぞ!」
気持ちのコントロールなど出来て当たり前なのかもしれない。
彼らはプロのアイドルなのだ。
▼ホテル
二宮への最後のインタビューは、連日続く仕事の合間、
ホテルの一室だった。
(ギターを弾くニノの映像)
ニノ
「すごいなあ。」
尋ねたのは、二宮和也という才能が次に目指す場所。
(手書きの二宮年表が貼ってある。
年表には・・・。
1983年0歳6月17日東京都新小岩に生まれる。
1990年小学校入学
1996年中学校入学
ジャニーズ事務所に入る
1999年高校入学
嵐としてデビュー
2002年ジャニーズ運動会MVP受賞
2006年硫黄島からの手紙アカデミー賞ノミネート)
ニノ
「目標はね、でもね、持ったことがないですよ。
(年表)怖いもん書いたら。
あ、ここで死ぬのかって。
死ぬのかっていうのは極端だけど。
<二宮語録>なんか遺言書書いてる感じでしょ、未来予想図って・・・。
そんな気がする。
(年表を見ながら
全然アイドルだろうな30(歳)は。
全然アイドルですねって日本語も面白いけど。」
▼嵐東京ドーム公演 ARASHI AROUND ASIA in DOME 2007年4月29日30日の模様
♪A・RA・SHI
♪a Day in Our Life
5万5千人ソールドアウト。
その中心に立つ彼らは、まさにアイドルだった。
♪秘密
ここへたどり着くまでどれほどの汗を流したのか、我々は知らない。
♪明日へ向かって吠えろ
アイドルは、それを語らない。
ニノ(コンサート終わりのコメント)
「<二宮語録>ドーム公演としては、僕の中では夢のような目標のような通過点です。
この点が、どの点と結ぶか、僕は楽しみでしょうがありません。」
♪Love so sweet
二宮は、そして彼らは、きっと知っている。
たとえどれほどの大舞台であっても、
涼しい顔でいられなければその先を夢見る資格のないことを。
(コンサート終了直後映像)
Q
「今日はありがとうございました。」
ニノ
「いえ、こちらこそ。」
Q
「今日も帰ってちゃんとゲームやるんですか?」
ニノ
「やります!今上でずっとやってたから。」
Q
「今日もやってたんですか?」
ニノ
「そう。」
Q
「ありがとうございました!」
ニノ
「ありがとうございました!」
明日もドラマの撮影が待っている。
(2007年)2月(14日)パリの目抜き通りは集まった報道陣でごった返していた。
そして、その中心に彼がいた。
嵐二宮和也(23歳)。
世界的な映画スターとして、彼はそこにいた。
クリント
「ここにいる坊やのことかい?」
ニノ
「ちょっと。なにそれ。」
クリント
「彼はこの映画で実によく演じてくれた。
とても豊かな才能を持った男だと思うよ。
彼がこの作品に参加してくれたことを誇りに思うよ。
彼はユーモアのセンスも抜群だしね。」
たしかにあの映画は、
二宮という新しい才能の出現を世界に伝えるものだった。
去年話題となった硫黄島からの手紙(映像が流れる)。
二宮が見せた演技は、いわゆるアイドルという概念を大きく覆すものだった。
玉砕覚悟で島を守ろうとする日本軍の中で、
1人生き残ろうとする一兵ソツ;西郷。
その姿は戦争の悲しみを静かに伝え、
世界中に感動を呼んだ。
実際に会う彼は、まだあどけなさの残る普通の若者に見えた。
一体どこから世界をもうならせる力が生まれてくるのかとたずねると、
彼の答えは予想しないものだった。
ニノ
「あの、世の中の同じくらいの、それより若いくらい男の子たちに、
馬鹿にされながら、仕事してるのがすごく面白い。
なんか、ジャニーズってだせえよなみたいなこと言われると、
なんか、すごくやりがいが出てくるんだよね。
やっぱり、みんなの頭の中に、
ジャニーズっていうアイドル帝国の形があって、
その形がまぶしすぎて、みんなが嫌って、
影に入って、しゃべるから、
からこそオレはそれを陰口って呼んでるんだけど。
そういう馬鹿にされたりとかしてる人に支えられてることの方がオレは大きいから。
なんか、反発されてる方が、いやすいんですよ。」
Q
「やっぱりアイドルって面白いですか?」
ニノ
「面白い!」
<タイトル>
”「アイドルは伊達じゃないんだよ」と知る、二宮和也の、いくつかの事柄
東京 ベルリン パリ 2007”
二宮が所属するアイドルグループ嵐が結成されたのは、
1999年のことだった。
バレーボールの世界大会のイメージキャラクターとして、
ジャニーズジュニアから5人の少年が選抜され、
その1人が二宮(当時16歳)だった。
それから8年。
▼2007年4月1日東京フォーラムでの黄色い涙試写会の映像
嵐は、今日本でも指折りの人気グループとなった。
普段はメンバーそれぞれが、独自に活動している嵐の5人。
櫻井翔 → ニュース番組にも出演中
大野智 → 嵐のリーダー。舞台出演多数。
相葉雅紀 → バラエティ番組を中心に活躍
松本潤 → ドラマを中心に活動
彼(ニノ)のプロ意識は、どんな場でも盛り上げずにはいられない。
二宮で印象的なのは、この表情だった。
時折周りの状況を確かめながら、
いつもなにごとかを考えている様子なのだ。
▼メンズノンノ取材@東京六本木スタジオの風景
この日二宮は、雑誌の取材のため六本木のスタジオに現れた。
今日はこれで3つ目の仕事だという。
ニノ
「ダメだね忙しくて。」
メイク室へ入るところを恐る恐る追った。
夢を売るアイドルにとって、
メイク室はあまり見せたくない場所に違いないからだ。
カメラ
「勝手に撮ってますから、どっから先はダメとか言ってくださいよ。」
ニノ
「いや僕全然大丈夫ですよ。なんでも。」
スタイリスト
「こういうのがいいとかありますか?今日。」
ニノ
「いや、もうお任せします。
もう完全にお任せですよ。
わかんないから。」
ニノ
「ドライヤーください。」
意外だった。
髪の毛のセットも自分でやり、メイクもあまりしないという。
▼横浜イエロースタジオでWe can make it!のPV撮影。
新曲のプロモーションビデオ撮影。
この日の二宮は、意外な一面をカメラに覗かせた。
そして、そのことをまた、独特の表現で説明してみせた。
メンバーとスタッフ全員で映像チェックをしているときだった。
真剣にチェックしているメンバーの後ろで、
二宮はゲームに夢中だった。
これが当たり前の風景なのか?メンバーはなにも言わない。
ニノ
「面白いですよ。すげえ面白い。」
二宮のゲーム好きはファンの間でも有名で、
どんな現場でも空いた時間はゲームに費やしているのだという。
とにかくゲーム。
演出に参加することも、自分のことを言うことも一切ない。
そのくせ、周りのことはちゃんと把握している様子なのだ。
振付師からの指示も、メンバーからの確認も。
ニノ
「やりますか!」
本当に不思議な若者だった。
・・・たしかにこの日二宮はNGを出すことはなかった。
また、なにかあったとしても、
自分からやり直したいと願い出ることはないのだという。
一体二宮にどんな考えがあるのか?
Q
「いつもみんながモニターを見てても、ゲームをやっているじゃないですか。
別に興味ないわけじゃないんですか?」
ニノ
「ちゃんと監督の話聞いてますよ。
だからできるでしょ(笑)。
ゲームやってたほうが、いろんなもの入ってきやすい。
PVのことばっかりやって、PVのこと言われると、
自分の考えが生まれちゃうでしょ。
それが一番厄介なんです。
自分の考えを殺しさないと簡単なことでも動けなくなっちゃう。」
簡単なことでは決してない。
積み重ねた稽古があるからこそ、言える言葉だ。
午後8時撮影終了。
しかし、これで家に帰れるわけではない。
1ヵ月後に控えた嵐初のドーム公演。
彼らはリハーサルへと向かっていった。
(車で移動。)
二宮は、1983年で工場を営む家に生まれた。
(1983年東京都葛飾区生まれとテロップ)
子供の頃から運動神経がよく、
夢はプロ野球選手だった。
しかし、12歳のとき従姉妹が勝手にジャニーズ事務所に履歴書を送り、
合格してしまう。
そこで、歌や踊りだけでなく、礼儀作法も躾けられた。
デビューしてからは、地元の学校に通いながらの芸能活動。
修学旅行の記憶もない。
▼車中
ニノ
「お父さん、信号赤だよー。」
ニノ
「あれ?ここなにあったっけ?」
運転手
「ベルファーレ!」
ニノ
「これなんだよなあ・・・。」
運転手
「クラブとか行くことないですか?」
ニノ
「絶対ないですね。」
たしかにそんな時間はないのかもしれない。
▼拝啓、父上様撮影現場風景@日活スタジオ
ドラマに歌にバラエティ番組。
現場から現場への毎日だ。
しかし、先輩たちとのこうした時間(で)教わったことも少なくない。
撮影の合間、二宮がグローブを持ち出してきた。
ニノ
「少年野球のグローブ。」
Q
「誰が買ってくれたの?」
ニノ
「お年玉で買ったの。
なんか、いまだに捨てらんなくて。」
Q
「ジャニーズではどこ守ってるんですか?」
ニノ
「ジャニーズでは、ピッチャーです。」
Q
「ピッチャー?」
ニノ
「そう。でも、亀梨くんがくるとセンターとか(笑)。」
Q
「本当はどこやりたかったんですか?」
ニノ
「本当は?」
Q
「本当はポジションどこやりたかったんですか?
ピッチャー?」
ニノ
「キャッチャー。」
Q
「キャッチャー?」
<二宮語録>
やりたいポジションは、キャッチャー。
光を浴びるピッチャーではなく、
あえてまとめ役のキャッチャー。
Q
「いい球じゃないですか!今の!」
▼ランチ
二宮とゆっくり昼食を共にする機会があった。
アイドルとは二宮にとってどんな職業なのか?
彼の言葉で聞いてみたかった。
ニノ
「すいません!
えっと、きざみと黒豚うどんと黒豚カレー南蛮を2つ。」
(うどんを食べながら)
Q
「一言じゃ言いづらいでしょうけど、
(ジャニーズ事務所とは)どんな会社なんですか?
一言で言うと。
二宮さんにとっては?」
ニノ
「総合案内所みたいな。
はい!これ行ってきて!みたいな。
はい!みたいな。」
Q
「それで不満は言わないんですか?」
ニノ
「(不満は)ないですね。」
Q
「みんな言わないですね。
みんな言わないよね?」
ニノ
「アイドルってホント空気読めるよな、あいつら。
あいつらって(笑)、その場で言っちゃいましたけど自分。」
Q
「空気読める?」
ニノ
「なにを求められてるか分かるんですよね、多分。
こういうことをわかるんだろうな、とか。
なんかそれが好きなんでしょうね、きっと。
あんまり自分を主導で生きてきたことがないから。」
Q
「ゆるぎない自分ってなにかあるんですか?
誰ともいないときの自分。」
ニノ
「ありますね。
適度に悪口言って、なにかを解消して、・・・寝る、みたいな。
なんか、なんすかね。
<二宮語録>アイドルってなんなんですかね?」
しかし、そうして歩んできた道が、あの映画へとつながっていたのだ。
▼2007年2月11日ベルリン国際映画祭
2月、過密なドラマ収録の合間を縫って、
二宮はドイツのベルリンを訪れていた。
ドイツ女性からも沸き起こる、ニノ!というコール。
その中で、二宮が微笑んでいた。
会見場には、世界中からおびただしい数のジャーナリストが詰めかけていた。
そして、そのうちの1人が二宮に、こう尋ねた。
この映画で俳優としてどんな経験をしたのか?と。
ニノ
「<二宮語録>俳優ではございませんし、
日本では歌って踊っていますし、
5人でグループとして活動していますし、
ただ本当に淡々と伝えられたらな、と思って、
参加している最中はそれに尽くしていました。」
アイドルでいることへこだわりを強烈に感じさせる一言だった。
翌日、二宮はベルリンの街へ出た。
嵐のメンバーへお土産を買うためだ。
次の目的地パリで、わずかに空いた時間も同じだった。
あわただしい3泊5日の旅。
(2007年2月14日パリ;シャルルドゴール空港)
着替える時間もままならなかった。
Q
「明日はこれで休めるんですか?帰ったら。」
ニノ
「ううん。ドラマ。」
Q
「ドラマ行くんですか?」
(微笑むニノ)
▼ドラマ;マラソン撮影風景@代々木国立競技場/2007年3月25日
3月末ドーム公演のリハーサルに追われる二宮に、
また新たな仕事が舞い込んでいた。
秋のスペシャルドラマで、
自閉症の若者がトレーニングを積み、
マラソンを完走するという韓国の実話をもとにしたものだ。
瀬古さん
「あなたななに、走ったことあんのか?
どこかで大会に出たこととかないの?」
ニノ
「あー、全然ないです。」
瀬古さん
「ないの。駅伝大会とかさ。」
ニノ
「は、ないですね。」
瀬古さん
「ないの。マラソン大会もないんだ。」
ニノ
「ホント見るくらいですね。」
瀬古さん
「そうか、ハハハ!」
問題は、その走りに加えて、
自閉症の若者をどう演じるかにあった。
実は二宮、この日までに自閉症の子供数人と会い食事をしていた。
あれこれ考えるより、
その方が自然に演じられると考えたからだ。
ニノ
「手がね、すごい敏感だね。
握手したがりませんでしたね。」
Q
「握手したがらなかった?向こうが?」
ニノ
「うん。
たぶんオレたちの何倍もわかっちゃうんだろうな。」
二宮は彼らの手の動きに手がかりを見つけたようだ。
しかし、時間はあまりない。
▼マラソン撮影シーン@多摩川撮影現場
撮影が始まっていた。
ドラマの成功は、ひとえに二宮の演技にかかっている。
自閉症の若者をどう演じるのか?
手を動かし始めた。
そして、振り向いた瞬間にもう演技が始まっている。
本番。
・・・一体いつ練習したのか?
実際、二宮のスケジュールは生半可でない。
それでも表情には余裕がある。
陰の努力を感じさせることもない。
その上走り方までもう身につけていた。
語りがらないのを承知で陰の努力を聞いてみた。
Q
「もう練習したんですか?自分で?」
ニノ
「なんとんーく走って、なんとなーくイメトレして。」
Q
「一体いつやるんですか?」
ニノ
「いつやるって?」
Q
「時間ないんじゃないですか?」
ニノ
「いやいや・・・。」
Q
「ドームの・・・。」
ニノ
「リハね。」
Q
「練習もあるし。
走るのは何時くらいに走っていたんですか?」
ニノ
「リハ終わって帰ってきてからすぐです。
テンション上がってるでしょ。」
Q
「夜中の2時3時に走ってたんですか?」
ニノ
「不審者ですよね、完全に。
<二宮語録>本気ですから。」
アイドルは顔とスタイルだけでつとまるほど甘くはない。
そんな風にも聞こえた。
▼嵐東京ドーム公演 ARASHI AROUND ASIA in DOME 2007年4月29日30日
4月末、嵐初めての東京ドーム公演。
この日彼らは5万5千人の観衆を迎い入れる。
(午後2時本番前リハーサル映像)
ジャニーズのコンサートは最高のエンターテイメントでなければならない。
(午後6時本番直前)
そのことは、彼らが一番良く知っている。
スタッフ
「晴れ姿を!」
しかし二宮は、普段となにも変わらなかった。
Q
「普段と変わらないですか?」
ニノ
「でも、毎回出る瞬間だけは(緊張する)。
ホント出る瞬間ですよ。
もう、ゲロ吐きそうなぐらい緊張します。ハハハ!」
<二宮語録>緊張は出る瞬間だけ
わずか一瞬の緊張。
開演前恒例の儀式(の円陣)。
ジャニーズに入って10年。
数え切れないほどこの円陣を組んできた。
潤くん
「準備はいいか!客はもう平気だぞ!
おまえらどうなんだ!どうなんだ!どうなんだよ!!
どうなんだよ!!どうなんだよ!!
もっと!もっと!もっと!もっと!もっと!もっと!
OK!最終日よろしく!行くぞ!」
気持ちのコントロールなど出来て当たり前なのかもしれない。
彼らはプロのアイドルなのだ。
▼ホテル
二宮への最後のインタビューは、連日続く仕事の合間、
ホテルの一室だった。
(ギターを弾くニノの映像)
ニノ
「すごいなあ。」
尋ねたのは、二宮和也という才能が次に目指す場所。
(手書きの二宮年表が貼ってある。
年表には・・・。
1983年0歳6月17日東京都新小岩に生まれる。
1990年小学校入学
1996年中学校入学
ジャニーズ事務所に入る
1999年高校入学
嵐としてデビュー
2002年ジャニーズ運動会MVP受賞
2006年硫黄島からの手紙アカデミー賞ノミネート)
ニノ
「目標はね、でもね、持ったことがないですよ。
(年表)怖いもん書いたら。
あ、ここで死ぬのかって。
死ぬのかっていうのは極端だけど。
<二宮語録>なんか遺言書書いてる感じでしょ、未来予想図って・・・。
そんな気がする。
(年表を見ながら
全然アイドルだろうな30(歳)は。
全然アイドルですねって日本語も面白いけど。」
▼嵐東京ドーム公演 ARASHI AROUND ASIA in DOME 2007年4月29日30日の模様
♪A・RA・SHI
♪a Day in Our Life
5万5千人ソールドアウト。
その中心に立つ彼らは、まさにアイドルだった。
♪秘密
ここへたどり着くまでどれほどの汗を流したのか、我々は知らない。
♪明日へ向かって吠えろ
アイドルは、それを語らない。
ニノ(コンサート終わりのコメント)
「<二宮語録>ドーム公演としては、僕の中では夢のような目標のような通過点です。
この点が、どの点と結ぶか、僕は楽しみでしょうがありません。」
♪Love so sweet
二宮は、そして彼らは、きっと知っている。
たとえどれほどの大舞台であっても、
涼しい顔でいられなければその先を夢見る資格のないことを。
(コンサート終了直後映像)
Q
「今日はありがとうございました。」
ニノ
「いえ、こちらこそ。」
Q
「今日も帰ってちゃんとゲームやるんですか?」
ニノ
「やります!今上でずっとやってたから。」
Q
「今日もやってたんですか?」
ニノ
「そう。」
Q
「ありがとうございました!」
ニノ
「ありがとうございました!」
明日もドラマの撮影が待っている。