何かを決めて、実際に実行するためには決断する勇気と言うか、決めた事に納得して、悔いを感じる事が無い潔さと言う物が必要だろう。
潔いと言う言葉の意味は、この漢字から想像しても分かるだろう。
「未練たらしくなく引き際がよい様子。または、その度合い。」
「汚れのないこと、悪びれのない状態を表す名詞である。 日本の社会や日本の文化、特に歴史的封建時代の日本では潔さは美徳とされ、断固とした落ち着き、または男らしさと解釈されている。 潔さは、落ち着きと平常心で死を受け入れる能力である。 このような精神、忠誠心、勤勉さ、および定常のような他の美徳以外としても表される。 」
こうして意味からも、ある種の武士道を感じる事もある。
しかし、なかなか決断した選択を完全に受け入れる事も意外と難しく、本当に決断した事が自分に取って良い事、良く無くても、後悔することが無い事なのか?今後、将来的に同じ事を繰り返したり、手放した物を再び欲しがる日が来るかも知れないかもとか・・・。
所謂、断捨離を実行する時の最大の問題は、自分の所有欲とか、将来、再び欲しくなるかもしれないとか、将来、使いたい時が来るかもしれないとか、そうした将来を想像する事にある。
これは、所謂、妄想に翻弄される人間の煩悩の際たる物だろう。
私も以前から書いているのであるが、ギターを手放す事を決断したが、それでもまだ未練が残るのである。
どうしても損得勘定で物事を決めるのは人間の煩悩だろうと思うのであるが、これがなかなか簡単には切れ離せない感情なのである。
例えば、10万円で購入したギターがそれほど使用していない状態でも3万円程度の値だったりすると大きな損を感じるし、実際にその差額は現実なのであるので、どうしても過去に支払った金額に対する思いを捨てきれない。
まっ、これは致し方ない当然の感情なんだろうけど。
しかし、そうして決断を実行する事を長引かせて、何時までも気持ちがすっきりしない事はある意味ではストレスになるし、未来に向かって袖を引かれるような事になる。
特に決断した時から時間が過ぎる毎に自分の判断に対する疑いが生まれて来るので、決断した時には速やかに実行することが大切なのである。
私も残り3本の手放す予定のギターをまだ実際には手放すことが出来ていない。 これは不要になった物やすでに代替えが手元にある場合にはそうでもないけど、自分が好んで手に入れた物、それなりの費用を費やして購入した物などは、そうは簡単には手放すことが出来ない。
これは、例えば、置き場所に困るとか、資金が必要だとかの事情がある場合なら実行する事は意外と出来るだろう。
でも、特にそうした問題が無い場合にはどうしても手元に残して置く選択をする傾向になる。
さて、なので、私もこうしてなかなかギターを売却する事が出来ていない。
このギターを売却して、他のギターを購入する資金にするなら意外と躊躇するような事がないだろうが、今はすぐに欲しいギターもないし、仮に在っても、売却した資金では到底手に入れるには足りないので、今は売却してもそのお金をそのまま手元に残すだけになる。
それは将来的に新しいギターの購入資金にすると言う目的が明確ならその時まで貯蓄する事になるだろう。
いずれにしても、今は今あるギター(クラギ1本、アコギ1本)で十分に満足出来ているので、その他のギターを弾く余裕もないし、時間もないし、仮に弾く時間が在っても、今のクラギ優先することは間違いないので、やはり部屋の隅で放置状態になるのである。
ならば、いっそ手放してしまうことがクラギに集中する事も出来るし、今はまだまだいろんなジャンルを始めるにはそうした実力も足りないし、クラシックをある程度極める事が今の私にはギターの上達を目指すには最も近道になるだろうと言う思いは変わらない。
これまでは、以前のギターの経験から基礎練習などは意外と疎かにして、少しでも難しい曲に挑戦して、先を急ぐように練習して来たのであるが、ここに来て、やはり基礎をしっかりと固めて、基礎が容易に出来るような実力を身に着ける必要があると実感している。
基礎練習はどうしても楽しさに欠けるので、疎かにしがちだが、少なくとも、毎回最低限の時間をしっかりと基礎に費やすことが、逆に上達する為には必須なんだと言う事も実感している。
これは楽器に限らずだが、どうしても基礎的な単純で面白味が無い練習は疎かにしてしまうのは、独学の悪い所なんだろう。
レッスンを受けている人なら、講師の先生に指摘された事を次のレッスンまでには克服して置くことを優先するので、ある意味では楽しくない練習も義務的だろうとする以外にはないので、そうした基礎力が付くのである。
なので、レッスンを受けることはある意味では上達するには最も最短の道なんだろうと思う。
独学だとどうしても自分の思いを優先してしまうので単純で楽しくない練習を繰り返すのは意外と出来ていない。
なので、悪い癖も付き易く、難度が上がって来てから始めて自分の弾き方の間違いを修正する必要が生まれるし、先に進むことに限界を感じるのである。
さらには、譜面の解釈やその他の運指などでも、基礎的な方法論とは違う物をそのまま継続する事になり、どうしても独学の域から脱するには時間が掛かる。
私も、この2年半の間に独学で練習して来たけど、最近は基礎的な技術が足りない事を実感するのである。 なので、少し以前からもう一度基礎練習や基礎をしっかりと身に着ける練習に時間を費やしている。
これは独学でもそれなりの教本をしっかりと理解して、丁寧に自分で修正しながら練習することで、レッスンを受けるのと同程度の技術を身に着ける事も可能だろうと思う。
常に基礎を忘れる事が無いように練習を積み重ねる意識が必要だとつくづく実感するのである。
今月から一応はレッスンを受けているけど、まっそれほどの期待はしていない。 通常のプロのレッスンに比較すると、受講料も破格の安さで、1回の個別レッスンは数分程度なので、どこまで上達する要素を得る事が出来るのかは分からないからである。
しかし、これは継続することに決めていて、価格の安さは勿論だけど、ギターを弾いている他の人との交流や自分との比較などで、モチベーションを維持する要素になるし、少しでも自分が気づかない物を得る事が出来るなら続けたい。 まだ1回しか受けていないけど、それでも自分でも分かっている事でも、改めて意識出来ることになり、そうした意識付けとしてもレッスンを受けるのは意味がある。
ほとんどは講師の言うことは特別な事ではない事がほとんどだろう。 しかし、他人から指摘されると自分では意識していてもなかなか出来ていない事も、意識する強さが変わってくるので、練習時にはそうした意識が上がる事こそが上達に繋がるのである。
さて、年内には3本のギターの売却を完了しようと決めている。(すでに1本は売却済みである)仮に思っている以上の価格だったら、ギターを新調する事も視野に入れている。
まっ、今は購入することはないだろうが、来年からギターを弾く時間も増えるし、これまで以上に上達する事が期待できる。
ある程度自分でも納得できるレベルに達した時にはその時に新しいギターの購入資金にすることにしたい。