こんばんは 鈴木有機農園です。
町内会班長で市政だより配布をして、東日本大震災当時実行組合長だった、敏雄さん宅でお茶飲みしてきました。津波でゴミが堆積した水田を家族で撤去して、稲を栽培するときにJAや地区の実行組合長を説得してくれたのが敏雄さんです。説得は出来ませんでしたが敏雄さんの力強いサポートで、ペトロの堆積した田圃で稲を栽培出来たのです。10年前の回顧のお茶飲みでした。私と敏雄さんは悪者扱いされ、勝手な男とレッテル貼られたものでした。10年たってあの情熱が懐かしいと思える年齢になりました。
30a残してあった田圃を午後から耕しました。これで所有する田圃は全て耕しました。この次は堆肥を散布して耕します。他ではやってない有機物だけで、化学肥料を使わない農法で自立出来ました。