20年以上前、日本一周した時の野宿の思い出を綴ってみました。
札幌駅前ロータリーには無料で寝られる場所を求めるバイク乗りがまわりの様子をキョロキョロと気にしては、情報交換していた。それぞれが一人旅で初対面同士なのだが、まるでそこに吸い寄せられるように一人旅のライダーが集まり屋根のある歩道の上に寝袋を広げて寝るしかない!都市部での野宿は危険と恥ずかしさがあって一人ではなかなか難しいのである。
青森駅前ロータリーではこれから北海道を走る者、自分みたいに北海道を走り終えた者が入り混じりの野宿村が出来上がる。夕方青森市内に入った自分に声をかけてくれて翌日には京都に帰るNS-250Rくん(この後京都でばったり再会を果たす)が思い出にねぶた祭りに参加しよう!ということで飛び入りでハネトになる。彼の積極的な性格は野宿村でも生かされて、歩道の上に段ボールを敷き車座になっての大宴会には地元の人や観光客が加わり大盛り上がり。目の前の終バスの乗客が不審そうに見てるのでバスに乗り込み「怪しいものではありません。私たちは数時間前に知り合ったばかりの旅人です。みな貧乏旅行なので今晩はここで野宿をさせていただきます。いやぁ~、今日はねぶた祭りに参加してハネトになりました。青森でのいい思い出になりました。ありがとう!青森!」ゲラゲラと笑われてバスから降りるように言われましたが、乗客の方からおせんべいを1袋いただきました。
京都に入って一日目は暗くなってからも寝場所を見つけられずに、郊外の公園にテントを張りました。朝ザワザワと人の声で目が覚めてあの歌が聞こえたのです。♪あーたーらしーい朝が来た♪おしっこしたくてどうしようもないけど、ラジオ体操第一が終わるまでは我慢するしかない。はずかしい朝を迎えたこの日に営業車のライトバンに乗ったNSR-250くんにばったりと会って!!この日は彼の家にお世話になりました。(不思議ですよ!)
地方の無人駅は時々ヤンキーのたまり場所にもなっていて、ホームにあるベンチで寝てる時に爆音をたてながら原チャリがホームを行ったり来たりしてこちらの様子を探る。表に停めてある自分のバイクが心配だけど、族車ではないしましてや江戸川区ナンバーのバイクが九州の駅にあるものだから察しがつくのだろう、しばらく我慢すればいなくなる。全財産の入ったウエストバックは寝袋の足元にしまい、腰には折りたたみのナイフが差してある。調理に使うものだけど護身用でもある。
翌日は当然寝不足です!あまり無理せず距離も少なめの走行にしとく。
長崎駅前ロータリーで21歳の誕生日を迎えた。話しかけてきたバイク乗りも一緒に野宿する事になり缶ビールで祝ってくれた。あとで聞いたのだがそれぞれ一人旅をしてる相棒はこの五日前が誕生日で関門大橋の下で誕生日を迎えていた。
いずれも少し寂しい、でも一生忘れない誕生日でもある。
都井岬では逆ナンパされる?お泊り交渉してる時に、2週間ぶりくらいの相棒が走ってきた!その女性に事情を説明したところ涙を流さんばかりに感激して、もう今夜はおもいっきり飲もう!こうなれば下心は捨てて、酒好きの旅人として振る舞うしかないのです。しかし彼女のピンクのネグリジェは刺激が強かった。
ホモ男田ホモ男の話はつらい思い出なのでいつかお話します。
九州最後の夜はなかなか寝場所が見つからず、関門国道トンネルを通り抜け長府駅で野宿。距離を多く走ったせいか翌朝は寝坊です。待合室のベンチは女子高生がびっしりと座っており、寝袋で寝てる頭の上と足先にも女子高生。「ヤダッ!動いたよ」、「生きてるじゃん」、すごい視線を感じる。枕にしてあるリュックサックから洗面道具を取り出したとたん「ウソ~、ビオレUなんて使ってるよ!」爆笑されてるそこから逃げるようにトイレへ向かいました。
日本一周最後の野宿場所は知多半島の常滑市でした。無人駅にはトイレはあるが水道が無い。バイクで走っていると排気ガスで顔がベタベタなのでビオレUでさっぱりしないと吹き出物が出来てしまう。近所の親子連れがいたのでバケツに水を入れて貸してもらった。翌朝子供が水を取り替えにきて、母親があとからお盆に朝食をのせて「口に合うかわからないけど」。あったかいご飯に味噌汁の朝食は、77日間の旅を終わらせるに十分な効果があって、浜松で一泊しようか悩んだけど深夜の箱根越えをして20時間くらい走って帰宅。ぬるい風呂に静かに入り死んだように眠りに就いて旅が終わりました。
札幌駅前ロータリーには無料で寝られる場所を求めるバイク乗りがまわりの様子をキョロキョロと気にしては、情報交換していた。それぞれが一人旅で初対面同士なのだが、まるでそこに吸い寄せられるように一人旅のライダーが集まり屋根のある歩道の上に寝袋を広げて寝るしかない!都市部での野宿は危険と恥ずかしさがあって一人ではなかなか難しいのである。
青森駅前ロータリーではこれから北海道を走る者、自分みたいに北海道を走り終えた者が入り混じりの野宿村が出来上がる。夕方青森市内に入った自分に声をかけてくれて翌日には京都に帰るNS-250Rくん(この後京都でばったり再会を果たす)が思い出にねぶた祭りに参加しよう!ということで飛び入りでハネトになる。彼の積極的な性格は野宿村でも生かされて、歩道の上に段ボールを敷き車座になっての大宴会には地元の人や観光客が加わり大盛り上がり。目の前の終バスの乗客が不審そうに見てるのでバスに乗り込み「怪しいものではありません。私たちは数時間前に知り合ったばかりの旅人です。みな貧乏旅行なので今晩はここで野宿をさせていただきます。いやぁ~、今日はねぶた祭りに参加してハネトになりました。青森でのいい思い出になりました。ありがとう!青森!」ゲラゲラと笑われてバスから降りるように言われましたが、乗客の方からおせんべいを1袋いただきました。
京都に入って一日目は暗くなってからも寝場所を見つけられずに、郊外の公園にテントを張りました。朝ザワザワと人の声で目が覚めてあの歌が聞こえたのです。♪あーたーらしーい朝が来た♪おしっこしたくてどうしようもないけど、ラジオ体操第一が終わるまでは我慢するしかない。はずかしい朝を迎えたこの日に営業車のライトバンに乗ったNSR-250くんにばったりと会って!!この日は彼の家にお世話になりました。(不思議ですよ!)
地方の無人駅は時々ヤンキーのたまり場所にもなっていて、ホームにあるベンチで寝てる時に爆音をたてながら原チャリがホームを行ったり来たりしてこちらの様子を探る。表に停めてある自分のバイクが心配だけど、族車ではないしましてや江戸川区ナンバーのバイクが九州の駅にあるものだから察しがつくのだろう、しばらく我慢すればいなくなる。全財産の入ったウエストバックは寝袋の足元にしまい、腰には折りたたみのナイフが差してある。調理に使うものだけど護身用でもある。
翌日は当然寝不足です!あまり無理せず距離も少なめの走行にしとく。
長崎駅前ロータリーで21歳の誕生日を迎えた。話しかけてきたバイク乗りも一緒に野宿する事になり缶ビールで祝ってくれた。あとで聞いたのだがそれぞれ一人旅をしてる相棒はこの五日前が誕生日で関門大橋の下で誕生日を迎えていた。
いずれも少し寂しい、でも一生忘れない誕生日でもある。
都井岬では逆ナンパされる?お泊り交渉してる時に、2週間ぶりくらいの相棒が走ってきた!その女性に事情を説明したところ涙を流さんばかりに感激して、もう今夜はおもいっきり飲もう!こうなれば下心は捨てて、酒好きの旅人として振る舞うしかないのです。しかし彼女のピンクのネグリジェは刺激が強かった。
ホモ男田ホモ男の話はつらい思い出なのでいつかお話します。
九州最後の夜はなかなか寝場所が見つからず、関門国道トンネルを通り抜け長府駅で野宿。距離を多く走ったせいか翌朝は寝坊です。待合室のベンチは女子高生がびっしりと座っており、寝袋で寝てる頭の上と足先にも女子高生。「ヤダッ!動いたよ」、「生きてるじゃん」、すごい視線を感じる。枕にしてあるリュックサックから洗面道具を取り出したとたん「ウソ~、ビオレUなんて使ってるよ!」爆笑されてるそこから逃げるようにトイレへ向かいました。
日本一周最後の野宿場所は知多半島の常滑市でした。無人駅にはトイレはあるが水道が無い。バイクで走っていると排気ガスで顔がベタベタなのでビオレUでさっぱりしないと吹き出物が出来てしまう。近所の親子連れがいたのでバケツに水を入れて貸してもらった。翌朝子供が水を取り替えにきて、母親があとからお盆に朝食をのせて「口に合うかわからないけど」。あったかいご飯に味噌汁の朝食は、77日間の旅を終わらせるに十分な効果があって、浜松で一泊しようか悩んだけど深夜の箱根越えをして20時間くらい走って帰宅。ぬるい風呂に静かに入り死んだように眠りに就いて旅が終わりました。