夜の8時過ぎに出発した
連日の猛暑続きで多めに餌をあげてはいるが
家に残した猫の事は常に心配しながら、早めに帰りたい!
そんな気持ちで出発しておりますwww
首都高中央環状線 平井大橋から高速に乗る。
今回初めて高速代が無料になる手続きをしてあるので
首都高\700と東北道\8,500の高速代金(片道料金です)が浮いた。
出発してから200kmを超えて1回目の休憩をする。
350km位で燃料を給油して小雨の中の夜の高速を走り続けた。
仙台を過ぎると長い登り坂が続き5速で80km巡航から60km位まで
速度が落ちてしまい4速にシフトダウンしてスピードを戻す。
荷物を積載してると非力なガソリンエンジンは情けないwww
長者原SAに午前2時に到着して仮眠をする(ここまで400km6時間)
珍しく熟睡して空が明るくなり始めた5時に食堂でラーメンとカレー丼のセットを喰う。(被災地では食べられる時に食べておくのが鉄則でした)
10km程走れば若柳金成IC、そこから1時間位で南三陸町に到着した。
旧志津川町から国道45線を北上し高台にある町が無事に残っている。
ベイサイドアリーナと言って大きなイベントが出来る体育館。
この建物が地域最大規模の避難所でもあったのは5月8日に初めて来た頃まで。
朝の7時に到着したが支援物資を下ろすのは職員が出勤する9時だろう。
駐車場には日本各地から駆け付けて来たボランティアの方の車がズラリ
隣の山形ナンバーの方が話しかけてきた。
天童市から毎週のように通ってると言う。
本業はサッシ屋さん。ボランティアでは草刈や樹木の伐採をやるそうだ。
「ここではエンジン式の刈払機やチェーンソーを使うんですよ!」
移動もそれぞれのマイカーを利用する南三陸町です)^o^(
本来なら事故があってはいけないと禁止事項の多いボランティア活動だが
ここではそんな事を言ってたら何も出来なくなってしまうwww
それだけに皆、逞しい人が集まるように思います。
ボランティアの受付は8時30分からなので続々と車がやって来る。
団体やツアーのバスも多い
以前は避難所になっていた大きな建物に初めて入る。
9月11日の合同慰霊祭が行われるまでは支援物資の集積所でもあった。
建物内の壁には身元不明の遺体情報が貼り出してある。
推定年齢、性別、着ている衣服、手術跡等の情報から身元を割り出せればよいが中には上半身だけの遺体とか内容もすごいです…
以前の街の写真と現在を比較する写真からは
それまでの人々の生活が消えて無くなった事を物語っていた。
ボランティアが出発してからボランティアセンターに飲み物とカップ麺を数ケース支援物資として渡す。瓦礫を入れるプレコンバックはボラセンブログから要請があったので応じております。
ベイサイドアリーナ裏手の資材置き場にОSB合板を一人で手下ろしした頃には大汗でシャツもビショビショになるほど、この日は暑かった
「今度はボランティアで又来ます!」
ボラセンスタッフにそう言い残して10時には出発
現地滞在3時間の弾丸ツアーみたいなものだった
高速道路上の温度表示では11時25分現在34℃となっていた
荷台のシートが風でめくれそうなのでSAでゴムチューブで押さえた。
町会長から預かった衣類、食器類、バック等は持ち帰っている。
これは仮設住宅での生活に移行して、休日は役所の担当者に交渉出来なかった為。
確認不足でした。
帰りの高速の運転は睡魔との闘いでもある。
東北在住の方は高速が無料との事もあり交通量も事故も多いです。
しかも宮城県・福島県と土地勘が無いだけに余計に遠く感じる
急がないと3連休の夕方の渋滞に巻き込まれるから飛ばした。
眠くなるので我慢したかったけど、途中喜多方ラーメンを貪る
辛味噌ネギラーメンでもうひと頑張り出来そうな気がした
栃木県内に入れば家がぐっと近づいて来る。
夕方5時30分に無事に帰り着いた。
カーナビの音声で
「およそ7時間25分掛かりました、お疲れ様でした」
と言ってもらえる。
総走行距離970km 燃料給油3回\16,000位。
疲労困ぱい「もう二度と行かねぇ!」と誓うのである。
でも二週間位の時間が経過すると次の計画を練っていそうです
どうしよう?
長々と読んでくださり有り難う御座います
連日の猛暑続きで多めに餌をあげてはいるが
家に残した猫の事は常に心配しながら、早めに帰りたい!
そんな気持ちで出発しておりますwww
首都高中央環状線 平井大橋から高速に乗る。
今回初めて高速代が無料になる手続きをしてあるので
首都高\700と東北道\8,500の高速代金(片道料金です)が浮いた。
出発してから200kmを超えて1回目の休憩をする。
350km位で燃料を給油して小雨の中の夜の高速を走り続けた。
仙台を過ぎると長い登り坂が続き5速で80km巡航から60km位まで
速度が落ちてしまい4速にシフトダウンしてスピードを戻す。
荷物を積載してると非力なガソリンエンジンは情けないwww
長者原SAに午前2時に到着して仮眠をする(ここまで400km6時間)
珍しく熟睡して空が明るくなり始めた5時に食堂でラーメンとカレー丼のセットを喰う。(被災地では食べられる時に食べておくのが鉄則でした)
10km程走れば若柳金成IC、そこから1時間位で南三陸町に到着した。
旧志津川町から国道45線を北上し高台にある町が無事に残っている。
ベイサイドアリーナと言って大きなイベントが出来る体育館。
この建物が地域最大規模の避難所でもあったのは5月8日に初めて来た頃まで。
朝の7時に到着したが支援物資を下ろすのは職員が出勤する9時だろう。
駐車場には日本各地から駆け付けて来たボランティアの方の車がズラリ
隣の山形ナンバーの方が話しかけてきた。
天童市から毎週のように通ってると言う。
本業はサッシ屋さん。ボランティアでは草刈や樹木の伐採をやるそうだ。
「ここではエンジン式の刈払機やチェーンソーを使うんですよ!」
移動もそれぞれのマイカーを利用する南三陸町です)^o^(
本来なら事故があってはいけないと禁止事項の多いボランティア活動だが
ここではそんな事を言ってたら何も出来なくなってしまうwww
それだけに皆、逞しい人が集まるように思います。
ボランティアの受付は8時30分からなので続々と車がやって来る。
団体やツアーのバスも多い
以前は避難所になっていた大きな建物に初めて入る。
9月11日の合同慰霊祭が行われるまでは支援物資の集積所でもあった。
建物内の壁には身元不明の遺体情報が貼り出してある。
推定年齢、性別、着ている衣服、手術跡等の情報から身元を割り出せればよいが中には上半身だけの遺体とか内容もすごいです…
以前の街の写真と現在を比較する写真からは
それまでの人々の生活が消えて無くなった事を物語っていた。
ボランティアが出発してからボランティアセンターに飲み物とカップ麺を数ケース支援物資として渡す。瓦礫を入れるプレコンバックはボラセンブログから要請があったので応じております。
ベイサイドアリーナ裏手の資材置き場にОSB合板を一人で手下ろしした頃には大汗でシャツもビショビショになるほど、この日は暑かった
「今度はボランティアで又来ます!」
ボラセンスタッフにそう言い残して10時には出発
現地滞在3時間の弾丸ツアーみたいなものだった
高速道路上の温度表示では11時25分現在34℃となっていた
荷台のシートが風でめくれそうなのでSAでゴムチューブで押さえた。
町会長から預かった衣類、食器類、バック等は持ち帰っている。
これは仮設住宅での生活に移行して、休日は役所の担当者に交渉出来なかった為。
確認不足でした。
帰りの高速の運転は睡魔との闘いでもある。
東北在住の方は高速が無料との事もあり交通量も事故も多いです。
しかも宮城県・福島県と土地勘が無いだけに余計に遠く感じる
急がないと3連休の夕方の渋滞に巻き込まれるから飛ばした。
眠くなるので我慢したかったけど、途中喜多方ラーメンを貪る
辛味噌ネギラーメンでもうひと頑張り出来そうな気がした
栃木県内に入れば家がぐっと近づいて来る。
夕方5時30分に無事に帰り着いた。
カーナビの音声で
「およそ7時間25分掛かりました、お疲れ様でした」
と言ってもらえる。
総走行距離970km 燃料給油3回\16,000位。
疲労困ぱい「もう二度と行かねぇ!」と誓うのである。
でも二週間位の時間が経過すると次の計画を練っていそうです
どうしよう?
長々と読んでくださり有り難う御座います