センター試験が無事終了。
ほっとする間もなく、二次対策を視野に入れつつ
私大の入試が始まってます。
私の担当する受験生の方々もそれぞれ早い人は昨日から。
遅くても2月半ば過ぎには私大一般入試が終了。
その後、2月23-25日あたりに前期2次試験が開始予定です。
センターまでは全員一律で同じことをやればよかったんですが、
ここからが大変。
というのも、それぞれが別の大学を受験するから。
その受験生のやりたいことをきめ細かく応えつつ、
予習をしておかないとまずいことになる(うぅぅ~、きびしい)。
先週の火曜日(1月21日)は、国公立の出願をどこにするか
すでに決定済みの人、まだの人、がっくりきて出席できなかった人、
悲喜こもごもでした(はぁ~~)。
センター直前の火曜日に英熟語だけを特化した日英社から出ている
10日間で完成するドリルをほぼ2時間で仕上げてもらいました。
一番不安げだった男子君はようやく自分の弱点(地道に熟語を覚える)が
これほどとは!と気づいてくれたようです。
彼は慌てて見直しすることをやったそうです。
それで素点250点(200点筆記、50点リスニング)で堂々の200点越え。
傾斜配点方式で200点に換算しても80%を超えました!
いや~、めでたい、めでたい♪
やっぱり自分のありのままを苦しくても客観視できる素直さと勇気が
最後にはそれなりの結果として出るのだなぁと実感。
来週の火曜日からは、こちらも個人個人に対応した予習をしっかりしておかねば。
ところが、英検対策用にTIMEを読んできたことから
大学受験用の伝統的な長文はクセがあってけっこう辛い。
これがペアを組ませてもらっている正社員の講師の先生に言わせると
時事英語のような文章が出題されている問題は辛いということです。
私は時事英語の方にシフトするべきだと思うな~。
というのも、今年のセンター国語科目の現代文で疑問が生じているから。
私自身が古文、漢文が好きじゃなかったこともあって
偏りがある、と前置きします。
グローバルスタンダードとよく言われるけど、
もっと世界で戦える国語力が必要じゃないですか?
現在の国語力の判定テストとしてのセンター国語科目は
教養の面が大きすぎると強く思う。
教養は、それぞれが大人になってからやればいいことだと思うなぁ。
じゃぁ何を国語力とするか。
英語にトフルや英検を基準とするなどというなら、
朝日新聞や漢検などが実施する資格認定テストを国語力の判定基準にしたらいいのに。
つまり読解や漢字の読みとり力をもっと高めるほうに
シフトチェンジするべきだと思う。
それと大学生になってから大慌てでノウハウを泥縄式に学ぶ「論文構成力」について。
これを論理学までいかなくても、高校の国語の一環として
論文の基礎のような項目で教えるべきじゃないでしょうか?
林修さんという東進の講師の方が、
「いまでしょう!」
と売れっ子になってます。
でも、どうなんかな???
テクニックだけで読みこなすような難解極まりない現代文を読むことに
大きな意味があるとは思えないな。
お笑い芸人もやってる早稲田大学の博士課程取得の男性ブログを読みました。
彼はテクニックを抑えたら現代文は絶対に満点取れると豪語してるんです。
つまり出題者の意図を早く読みとったらいいということ。
それはないよなぁ、つまんないと思う。
そういう「しのぎ」的な読みとり力を上げても
元々の作者の意図と合致しないことが多いのでは?
英語の科目だけ実用に向けて「早く早く」と急がされることに
大きな懸念をもったんですけど、どう思います??
最後に最近とても感動した医師、鎌田實氏の詩より。
『サンキュー、グッドバイ』
張られた一本の欲望の綱をわたっていました
人と比較するのをやめると
少しだけよくばりが減ったように思います
よくばらなくなると
生きるのが楽になりました
よくばらなくなると
自由がふえました
人と競争しなくてもいいや
お金がなくてもいいや
偉くならなくてもいいや
僕のパンパンに張った欲望が
少しだけ小さくなりました
あるがままに生きればいいのだと気がつきました
人の目が気にならなくなりました
家族と笑ったり、人とつながったり
ごく普通の日常が、すごくいとおしくなりました
ちょっと遅かったけど、欲望が少し減って
自然に人に感謝できるようになりました
もしかしたら、この世に最後の時がきても
「サンキュー、グッドバイ」と言えるような気がします
最後の最後は家族と友人に
「さよなら、ありがとう」を言いたい
ちょっとだけよくばっています。
私もそうやっていつでも言えるように生きていきたいなと
思いますねぇ。
受験生とは真逆のような心の持ちようですけど、
得点や偏差値基準じゃなくて
自分の将来つきたい仕事を視野に入れて
マクロな視点で学校選びもしてほしいと思っています。
大学の選択肢を過大評価することはちょっと疑問です。
人間力の土台を作ることのほうがずっと大事じゃないかと思ったりするんですよね。
ほっとする間もなく、二次対策を視野に入れつつ
私大の入試が始まってます。
私の担当する受験生の方々もそれぞれ早い人は昨日から。
遅くても2月半ば過ぎには私大一般入試が終了。
その後、2月23-25日あたりに前期2次試験が開始予定です。
センターまでは全員一律で同じことをやればよかったんですが、
ここからが大変。
というのも、それぞれが別の大学を受験するから。
その受験生のやりたいことをきめ細かく応えつつ、
予習をしておかないとまずいことになる(うぅぅ~、きびしい)。
先週の火曜日(1月21日)は、国公立の出願をどこにするか
すでに決定済みの人、まだの人、がっくりきて出席できなかった人、
悲喜こもごもでした(はぁ~~)。
センター直前の火曜日に英熟語だけを特化した日英社から出ている
10日間で完成するドリルをほぼ2時間で仕上げてもらいました。
一番不安げだった男子君はようやく自分の弱点(地道に熟語を覚える)が
これほどとは!と気づいてくれたようです。
彼は慌てて見直しすることをやったそうです。
それで素点250点(200点筆記、50点リスニング)で堂々の200点越え。
傾斜配点方式で200点に換算しても80%を超えました!
いや~、めでたい、めでたい♪
やっぱり自分のありのままを苦しくても客観視できる素直さと勇気が
最後にはそれなりの結果として出るのだなぁと実感。
来週の火曜日からは、こちらも個人個人に対応した予習をしっかりしておかねば。
ところが、英検対策用にTIMEを読んできたことから
大学受験用の伝統的な長文はクセがあってけっこう辛い。
これがペアを組ませてもらっている正社員の講師の先生に言わせると
時事英語のような文章が出題されている問題は辛いということです。
私は時事英語の方にシフトするべきだと思うな~。
というのも、今年のセンター国語科目の現代文で疑問が生じているから。
私自身が古文、漢文が好きじゃなかったこともあって
偏りがある、と前置きします。
グローバルスタンダードとよく言われるけど、
もっと世界で戦える国語力が必要じゃないですか?
現在の国語力の判定テストとしてのセンター国語科目は
教養の面が大きすぎると強く思う。
教養は、それぞれが大人になってからやればいいことだと思うなぁ。
じゃぁ何を国語力とするか。
英語にトフルや英検を基準とするなどというなら、
朝日新聞や漢検などが実施する資格認定テストを国語力の判定基準にしたらいいのに。
つまり読解や漢字の読みとり力をもっと高めるほうに
シフトチェンジするべきだと思う。
それと大学生になってから大慌てでノウハウを泥縄式に学ぶ「論文構成力」について。
これを論理学までいかなくても、高校の国語の一環として
論文の基礎のような項目で教えるべきじゃないでしょうか?
林修さんという東進の講師の方が、
「いまでしょう!」
と売れっ子になってます。
でも、どうなんかな???
テクニックだけで読みこなすような難解極まりない現代文を読むことに
大きな意味があるとは思えないな。
お笑い芸人もやってる早稲田大学の博士課程取得の男性ブログを読みました。
彼はテクニックを抑えたら現代文は絶対に満点取れると豪語してるんです。
つまり出題者の意図を早く読みとったらいいということ。
それはないよなぁ、つまんないと思う。
そういう「しのぎ」的な読みとり力を上げても
元々の作者の意図と合致しないことが多いのでは?
英語の科目だけ実用に向けて「早く早く」と急がされることに
大きな懸念をもったんですけど、どう思います??
最後に最近とても感動した医師、鎌田實氏の詩より。
『サンキュー、グッドバイ』
張られた一本の欲望の綱をわたっていました
人と比較するのをやめると
少しだけよくばりが減ったように思います
よくばらなくなると
生きるのが楽になりました
よくばらなくなると
自由がふえました
人と競争しなくてもいいや
お金がなくてもいいや
偉くならなくてもいいや
僕のパンパンに張った欲望が
少しだけ小さくなりました
あるがままに生きればいいのだと気がつきました
人の目が気にならなくなりました
家族と笑ったり、人とつながったり
ごく普通の日常が、すごくいとおしくなりました
ちょっと遅かったけど、欲望が少し減って
自然に人に感謝できるようになりました
もしかしたら、この世に最後の時がきても
「サンキュー、グッドバイ」と言えるような気がします
最後の最後は家族と友人に
「さよなら、ありがとう」を言いたい
ちょっとだけよくばっています。
私もそうやっていつでも言えるように生きていきたいなと
思いますねぇ。
受験生とは真逆のような心の持ちようですけど、
得点や偏差値基準じゃなくて
自分の将来つきたい仕事を視野に入れて
マクロな視点で学校選びもしてほしいと思っています。
大学の選択肢を過大評価することはちょっと疑問です。
人間力の土台を作ることのほうがずっと大事じゃないかと思ったりするんですよね。