ずいぶんブログの間隔が空いてしまいました。
日々あれこれあったりするんですが、中々書くまでには至らなかったりします。
シニアの目に優しいようにちょっとフォントの大きさを増しました。
自分でも読みやすくなるように思います。
タイトルはどういうことかというと、
毎木曜日夜7時からの大学受験クラスの数名が先週おこなわれた校内模試を持ってきてくれたことからです。
問題は2時間、120分すべてが筆記でした。
なんと数学は150分だとか!
そんなに集中力がもちますか??
まずそこが呆れる。
次に筆記試験の内容にあんぐり。
これって英検1級問題よりきっと難しいなぁと思わざるをえない問題でした。
どうも400名のうちで帰国子女や国公立、難関私立などの上位校をめざす
わずか数名ぐらいに挑戦状をたたきつけるような勢いで教科担任が作ったように思います。
どうなんだろう???
自主勉強サークルが土曜日にあるので、
今夜出かけることもあり、午前中から先月実施された1級の過去問を見てみました。
大問3の一番目を読みつつ解答すると、その高校の校内模試問題よりはるかに解きやすい!
一体この事態はどうとらえたら良いのか。
私が受け持っているクラスの生徒さんたちはかなりレベルが高いと思っています。
学年でも上位のほうじゃないのかな?と思うのですが
その人たちの意欲をそぐだけの効果がありありの模試です、なんだかなぁ~(怒)。
業者テスト、つまり河合塾や駿台、ベネッセなどのテストより難しい内容を
「どうだ、これは解けないだろう、わ~ははははは!」
もどきで出題する高校教師ってなんですかね??
現在NatureをiPadで英日どちらも購読してますが、
科学的な誤解のない英文が最低限大事だと思うのです。
それを読んでいることからしみじみ思うのは、
もっと道具として使える英語にしていくべきだということ。
点取り合戦なんてゲームじゃないんだからなぁと思います。
つまりテストの結果からの点数の高低や合格不合格の結果だけじゃなくて
語学の大切な究極の目標は道具として自分の意見や人となりを他の人の知ってもらうこと。
あるいは欲しい情報を母国語以外で得られることかもしれないと思っています。
残念ながらもう学歴でその後の人生が保障される時代じゃないし、
終身雇用の概念もほぼ無くなっていることを保護者は認識しなおさないといけない。
実は息子が青息吐息で厳しいノルマを課されながら仕事をしていますが、
前トップが私物化の挙句、多大な損失を隠蔽したことから
400名ほどが早期退職になる運命となりました。
幸いなことに愚息の職場は今回は免れたものの、
誰もが自分にも降りかかるかもしれないと考えなくちゃいけないご時世です。
そうなったときにまた頑張れるためには
自分は仕事でこれだけは他の人よりできるものがある、という何かかな?
ただ資格マニアだけに徹していては危ないと思ったりします。
そんな厳しい思うに任せない社会に出るには
もっと大きな視点で先を見ていかないとまずいだろうと思います。
ちょっとでも人生の失敗を多くしてきた私が
これから社会に出ていく高校3年生の人たちに先の見通しを伝授できたらいいなぁと思います。
日々あれこれあったりするんですが、中々書くまでには至らなかったりします。
シニアの目に優しいようにちょっとフォントの大きさを増しました。
自分でも読みやすくなるように思います。
タイトルはどういうことかというと、
毎木曜日夜7時からの大学受験クラスの数名が先週おこなわれた校内模試を持ってきてくれたことからです。
問題は2時間、120分すべてが筆記でした。
なんと数学は150分だとか!
そんなに集中力がもちますか??
まずそこが呆れる。
次に筆記試験の内容にあんぐり。
これって英検1級問題よりきっと難しいなぁと思わざるをえない問題でした。
どうも400名のうちで帰国子女や国公立、難関私立などの上位校をめざす
わずか数名ぐらいに挑戦状をたたきつけるような勢いで教科担任が作ったように思います。
どうなんだろう???
自主勉強サークルが土曜日にあるので、
今夜出かけることもあり、午前中から先月実施された1級の過去問を見てみました。
大問3の一番目を読みつつ解答すると、その高校の校内模試問題よりはるかに解きやすい!
一体この事態はどうとらえたら良いのか。
私が受け持っているクラスの生徒さんたちはかなりレベルが高いと思っています。
学年でも上位のほうじゃないのかな?と思うのですが
その人たちの意欲をそぐだけの効果がありありの模試です、なんだかなぁ~(怒)。
業者テスト、つまり河合塾や駿台、ベネッセなどのテストより難しい内容を
「どうだ、これは解けないだろう、わ~ははははは!」
もどきで出題する高校教師ってなんですかね??
現在NatureをiPadで英日どちらも購読してますが、
科学的な誤解のない英文が最低限大事だと思うのです。
それを読んでいることからしみじみ思うのは、
もっと道具として使える英語にしていくべきだということ。
点取り合戦なんてゲームじゃないんだからなぁと思います。
つまりテストの結果からの点数の高低や合格不合格の結果だけじゃなくて
語学の大切な究極の目標は道具として自分の意見や人となりを他の人の知ってもらうこと。
あるいは欲しい情報を母国語以外で得られることかもしれないと思っています。
残念ながらもう学歴でその後の人生が保障される時代じゃないし、
終身雇用の概念もほぼ無くなっていることを保護者は認識しなおさないといけない。
実は息子が青息吐息で厳しいノルマを課されながら仕事をしていますが、
前トップが私物化の挙句、多大な損失を隠蔽したことから
400名ほどが早期退職になる運命となりました。
幸いなことに愚息の職場は今回は免れたものの、
誰もが自分にも降りかかるかもしれないと考えなくちゃいけないご時世です。
そうなったときにまた頑張れるためには
自分は仕事でこれだけは他の人よりできるものがある、という何かかな?
ただ資格マニアだけに徹していては危ないと思ったりします。
そんな厳しい思うに任せない社会に出るには
もっと大きな視点で先を見ていかないとまずいだろうと思います。
ちょっとでも人生の失敗を多くしてきた私が
これから社会に出ていく高校3年生の人たちに先の見通しを伝授できたらいいなぁと思います。