お笑い芸人、ピース・又吉クンってご存知ですか?
読書家で知られた彼が10日ほど前の朝日、日曜朝刊の書評で
この作家、中村文則氏のこのタイトルの本がイチオシってことで激賞しておりました。
『そんなにええんや!』と思い立ち、
その午後に近くにある県立図書館で同名の単行本を借りてまいりました。
読んだ感想は・・・・・。
暗い、やたら暗い。
なんでこんなに暗いんや・・・・・。
又吉クンは太宰治が好きだということを失念していたなぁ~~。
私はどうにも好きになれない作家です。
希望がなく、絶望の淵を延々と歩き回る感がなんとも辛い。
もう一冊、東京大学の教授、姜尚中氏の2012年ベスト3に入っていた
藤原章生氏、『資本主義の「終わりの始まり」』。
こっちは中々示唆に富む内容でかなり面白く読んだ。
実務翻訳の経済をまずマスターコースで受講しようと思っている身には
資本主義ってのがどういう仕組みになってるか
ちょこっとでも分かってないといけないだろうと思いました。
そうすると、資本主義がぼちぼち終わる段階に入っているのではないかと
南ヨーロッパのギリシャ、イタリア、スペイン、ポルトガルなどで
毎日新聞の特派員を長年していた藤原氏は書いているのです。
資本主義が終わりかけ??
もうちょっと言葉を足せば、
「アメリカ型資本主義の終焉」
ということだそうです。
20世紀の第二次大戦後に豊かさを謳歌した先進国が
今後、どうして成熟した社会になっていくのか。
こんなことを考えなくちゃいけないなんて
私が生きている時代に来るとはなぁ~としみじみ思いました。
こんなことを言うと、
「シルフさん、物騒なこと考えてるやん!」
と思われるかもしれないけど、
いざとなったらアメリカは国益のために
多くの日本人を実験台にしても
旧ソビエトへの脅威として
原爆を2発も落とす国だということは決して忘れてはいけないのです。
私は特定の宗教も思想団体にも属してないけど
日本人としての誇りはものすごくあるつもり。
だからあのようなことを他国の利益のために
自分の国でおこさせるようなことに二度としてはならないと思ってます。
そこから塾の生徒さんたちには、英語ができるようになったら
日本がよくなるように頑張って欲しいというのが
私の大きな物語だったりする。
もちろん小さな物語は自分自身の英語力維持ということも
あるけど、自分以外の大きな物語をけっして忘れてしまわないようにしないと
人間相手の仕事はうわべだけのものになってしまうと思ってます。
さてさて、話が逸れました。。。。。
藤原氏がこの本の中でアメリカ型資本主義の後には
一体なにがくるのか?というのを「新しい扉が開く」という
意味深なギリシャ人映画監督の言葉として引用しています。
この「扉」の意味は大別して3つ。
一つ目は、大量購入→大量消費という悪癖を見直すこと。
二つ目は、貧困の打開策を探り、管理する努力を怠らないこと。
特に若者の正社員就業への取り組みは大事だと思う。
若者は国の宝ですよね。
最後の三つ目は、実体経済というと堅苦しいけど
サービス業以外の仕事を大切にすることを挙げている。
農業などがその筆頭になるかな?
イタリアにも中国産のものすごく廉いトマトが大量に輸入品として
入ってきているという。
でも、品質の高い地元産のトマトを誇りをもちながら売る自営農家が
徐々に出始めているという。
だから、やはり実体経済ということだと高くても良いものを売ろうという
心意気が大事だということかと思う。
これは私の意見だけど、アメリカ型資本主義の最大の欠点は
何もかも効率化を狙ってきたことだということ。
日本人の美点である、ご恩の意識やお互い様という感謝の気持ちは
狭い土地しかない日本人のすごく素晴らしい国民性だと思うなぁ。
最後に一番大切なのは人間関係の強さだということはあると思う。
もうすぐ2年になる東日本大震災が、
大切な命を奪っただけじゃなかったことを
日本人に教えてくれたように思う。
当り前だと思っている家族の絆は
実はとても脆くて壊れやすいガラス細工のようなもんだろう。
日ごろ当然だと思っているけど、
明日突然それがなくなるかもしれないから。
資本主義の次には何が来るのか。
まぁ、何がきても強い人間関係があれば
何とかまた再生できるように思うな!
何もかも憂鬱になりかけたんですが、なんとか浮上したい今日この頃(汗)
がんばろ(汗)
いや~、一瞬ぎくっとしました。
どれほどマダムが動揺されたかと。
かなり場慣れというと語弊がありますが、
いくつもの試練を潜り抜けてきた兵のマダムが
あのように切羽詰るほどですから。。。。
夫族というのは、白鳥の水面下の動きを知ろうとしないのです。
水面を舐めるようにスイスイ進んでいるように
家庭はうまく行っているという幻想に棲みたがる。
ところが、うまくいくようにみえるには
誰かが汚れ仕事を一手にひきうけないとダメなわけですわ。
それがまさしく、必死に水かきで白鳥がもがきながら
前進してる水中の姿ですよねぇ(ため息)。
よく聞くセリフが、
「俺がどれほど仕事でがんばってるか、わかるか?オマエは家で好きなことができてるやないか?」
まぁ、こういうものでした。
もうなぁ~言い返す気力もなく
なんちゅうか、「金持ち喧嘩せず」という感じで
無視してきたように思います、はい!
マダムも、諦めも肝心やねぇ、ガンバだよぉ~!!
しかし、先進国の豊かさってのは途上国の犠牲のうえで成り立ってきたことは否定できない。先進国の衰退、途上国の発展てのはものすごくマクロにかんがえたなら、人類全体としてはトントンなんかな、と思ったりします。まー自分は幸運な時期に生まれたのかな、と。
経済学の古典的命題に「資源の最適配分」ってのがあるのですが、理論的には現実の市場では達成困難ってことが証明されてるんですよね。あまり景気のいい話ではないのですが、こういった面を研究する厚生経済学の一層の発展を望みたいものです。
と、前置きして「古典的命題」に反応すれば、
歴史上初に民主主義が誕生した古代ギリシャ、アテネでは
なんであんなことが、あんなに古く生まれたのかを
レポで4千字書かねばならない作業をしたときに発見しました(←大げさやねぇ~)。
それは「奴隷の存在」ですわ。
これね、当時調べたらやっぱり研究している人がいました。
きちんとした選挙制度とかが発達した社会が形成されるところでは
社会的な序列があって(つまり階級ごとに区別がつく?)、
きちんとその中で果たすべき仕事をすることができていると
民主主義や資本主義がうまく働くっていうもの。
ということは、誰もが平等とかいう考え、社会主義や共産主義は
やっぱりうまくいかないってことだと思う。
この国バージョンが世界の南北問題ってことになったりするのかなぁ?
でも序列がつくってのは、やっぱり当然あることだと思うんですが、どうでしょうかね?
無理やり平等とかいうのって、すごくムリだと思うんですわ。