1級1次受験前(10月14日実施)から、私には楽しみだったTIME読みがさっぱりできずしまい。
こう書くとそんなにリーディング力があるのか、なんて
つっこみ入りそうなんですけど、読めてても読めてなくても「楽しい」んですよね。
ご存知でしたか?
私が若い頃、えらい昔話になりそうですが、
TIMEかNewsweekか、と英語学習者が何か英語で読もうとすると
この英字週刊雑誌が普通の選択肢でした。
ところが・・・・。
活字媒体が衰退する中で、Newsweekが完全デジタル版に移行するという報道が。
そうなんだ。
いつかはTIMEもそうなるのか、と心積もりはしておかねばな、と思いました。
ただ、寂しい・・・・。
なぜ私がTIMEを読むのが楽しいのか。
それは簡単なのです。
*ページ数が決まっていること(これ大切)
「これだけ読めば終わるな」とゴールが分かることは読みやすさになるのです。
そして記者がどういう構成で文章を書いているのか、
この分析ゲームがちょっと知的に面白い。
*薄くて持ち歩きやすい
簡単にあちこちバッグにぽいっって入れて持ち歩ける。
これもすごく便利。
*1週間分なので、簡単に捨てられる
読みきらなくても読み終えられても、「それじゃ、バイバイ~!」と
ぽいっと古雑誌の低位置へ廃棄処分に出せる。
まぁ、思いつくのはこの3つくらいかなぁ。
だから手にとって紙の感触を確かめつつ、マーカーで独り言を言いつつ
「おっ、そう来たか!へぇ~、そうとは思わなかったぞ」
などと、客観的に見ると怪しいおばさんの構図でリーディングしていました。
しかしな~。
今はそんなこと、言ってられません。
今日を最終日にネタ帳を仕上げて、明日から面接試験日まで
過去問でリプロダクションをやり続けます。
自分なりに準備をして、またまた人体実験風で結果がどうなるか。
自虐っぽいのですが、自分が実際に経験してみないと
ヒトサマにこうやったらいいです、と勧めることはできないですよね。
あと11日ほどかぁ~~。
それが終わったら、フェローの実務翻訳中級講座申し込みと
TIME読みを復活させます。
あぁぁ、早く終わりたい感情と
もうちょっと後にしてほしいという感情の狭間で揺れる私(そんないいもんかい!)。
こう書くとそんなにリーディング力があるのか、なんて
つっこみ入りそうなんですけど、読めてても読めてなくても「楽しい」んですよね。
ご存知でしたか?
私が若い頃、えらい昔話になりそうですが、
TIMEかNewsweekか、と英語学習者が何か英語で読もうとすると
この英字週刊雑誌が普通の選択肢でした。
ところが・・・・。
活字媒体が衰退する中で、Newsweekが完全デジタル版に移行するという報道が。
そうなんだ。
いつかはTIMEもそうなるのか、と心積もりはしておかねばな、と思いました。
ただ、寂しい・・・・。
なぜ私がTIMEを読むのが楽しいのか。
それは簡単なのです。
*ページ数が決まっていること(これ大切)
「これだけ読めば終わるな」とゴールが分かることは読みやすさになるのです。
そして記者がどういう構成で文章を書いているのか、
この分析ゲームがちょっと知的に面白い。
*薄くて持ち歩きやすい
簡単にあちこちバッグにぽいっって入れて持ち歩ける。
これもすごく便利。
*1週間分なので、簡単に捨てられる
読みきらなくても読み終えられても、「それじゃ、バイバイ~!」と
ぽいっと古雑誌の低位置へ廃棄処分に出せる。
まぁ、思いつくのはこの3つくらいかなぁ。
だから手にとって紙の感触を確かめつつ、マーカーで独り言を言いつつ
「おっ、そう来たか!へぇ~、そうとは思わなかったぞ」
などと、客観的に見ると怪しいおばさんの構図でリーディングしていました。
しかしな~。
今はそんなこと、言ってられません。
今日を最終日にネタ帳を仕上げて、明日から面接試験日まで
過去問でリプロダクションをやり続けます。
自分なりに準備をして、またまた人体実験風で結果がどうなるか。
自虐っぽいのですが、自分が実際に経験してみないと
ヒトサマにこうやったらいいです、と勧めることはできないですよね。
あと11日ほどかぁ~~。
それが終わったら、フェローの実務翻訳中級講座申し込みと
TIME読みを復活させます。
あぁぁ、早く終わりたい感情と
もうちょっと後にしてほしいという感情の狭間で揺れる私(そんないいもんかい!)。
英検2次はうっとうしいですよね。早くシルフさんのねちっこい(失礼ながら自分には真似できないので敬意を込めて)学習が再開できるといいですよね。そう信じています。
紙派のわたしとしては、どんどこデジタルになるのが怖いわ。。。JTWもなりはしないかと(汗)
二次が近づいてくるとほんとそわそわしてしまうが、
どうぞ体調管理万全で。
急に寒くなったしなあ。。。
ワタシ、しつこいんです。
そりゃぁ、もう粘着気質でっせぇ。
でも、血液型(当てにならないけど)でいえば
職人気質B型とも言い換えられそうやな(どこまでポジティブ)。
でんすけさんも半分持ってて、マダムもワタシと同じB型(苦笑)。
どうです?
英検1級に関わってる純ジャパ学習者で
配偶者が英語系ネイティブじゃなかったら
けっこうB型の学習者が多くないのかなぁ~。
誰かデータをとったら面白いのに。
この「ねちっこい」タイプの私は(何度も言うなぁ)
通信教育がとても合っています。
だから自由に自分のやり方でやる学習方法が
時間がかかっても性にあってるんです。
大学入試も親の無理解で塾などに行かせてもらわずに
こっそり受験してきたので、
そういう地味な作業の過程を通して
すっごく大事な自分なりのやり方を会得する「快感」みたいなものを放棄したくないのかもしれないなぁ。
本当に欲しいものは、自分でつかみとらないと勿体ないような気がします。
作成しました~!
1次Web上の発表前からここまで過去問題から
モデルスピーチを25本ほど吟味してノート作成しました。
はぁ~時間かかったなぁ。
視覚から入って脳に定着する、時間のかかる私のようなタイプは
土台になる確固たるノートがないとダメだなと痛感しました。
これを基にして、大体のスピーチの基本構成を作ります。
それに過去から出された問題を一つずつリプロダクションする作業をやります。
だから今回の準備ではもう自分で書くスピーチはなし。
これでどこまでやれるのか、あとはゲーム感覚で結果を待つって感じかなぁ。
やるだけやってダメなら、また復活できそうやしなぁ~♪
すごいわ、シルフさん。
あのTIMEを読むのが「楽しい」なんて。。。(ため息)
実は、英語の勉強になるかと思ってTIMEを購読したことがあるのですが
興味がある記事を見つけようとパラパラパラ~とめくっていたら、一気に最後のページまで来てしまい、
(これ、速読しているという意味ではないです。めくってたら終わった。←当たり前!)
「ひいいいいっ!!!(大汗)」という具合で。
だから、私の知識は恐ろしく偏りが激しいんだなーと思い至った次第。
ここにいらっしゃる皆さんは、独学英語の達人とも言えるかたがたばかり。
いつだったかマダムさんの正統派勉強法にあこがれて(マダムの勉強ノートに魅了された)、
「Z会とかに入会して勉強し直そうかな」と真剣に相談したところ、
「アメリカに住んでる人は、そんなこと、する必要なし」と一笑に付されてしまいました。
根性と基礎力が不足しているのは一目瞭然なんですが、いかんせん、勉強を始めようと思うと、気が散ってしまって。
(こういう人が来てはいかんよね、ココ。)
11月に入って2次試験までカウントダウンとなりましたね。
その場に立ったことがない人間の言うことなので何の説得力もありませんが、「自分の言葉」で「自分の考え」をお伝えになるといいのかなあと思います。
NYで重んじられるのは、まさにそこで。
どんなに素晴らしい表現をスピーチに組み入れようと、そこに「自分視点」が入っていないと、そのスピーチはあまり評価されないんです。
こちらの大学院で常に教授に言われていたのは、「独自の考えを述べること。それが大切。」「100人が100人とも同じ意見を持つものは、議論の対象にはならない」ということでした。
二次対策として全然的外れなことを書いていたとしたらすみません。
シルフさんの誠実なアプローチが、花開くことを信じています!!!
まいど~ぉ、おこしやぁ~す^^v
いや~~、私ね、一つ目の通学部のバリバリカソリック系大学と
娘が高校1年になった時にやり直しで大学生になった日大(通信制)までは
自分のそれまで思ってきた当たり前のことは「自分のオリジナル」だと思ってました。
疑うなんて、そんな・・・と。
でね、最後に通信制の生徒として3年編入した慶應では、
この既成概念をレポート提出するたびに、添削者からこっぴどく論拠はどこですか?と
ネチネチ指示され、その考えの出処を参考資料として明示するようにと言われ続けたのですよね。
そりゃぁ、徹底的でした。
目からウロコってこういうことなんだと。
ぴーこさんがNYの大学院で担当教授から言われたコメントと被りません??
例えば、「学校」「子ども」「自然」「自由」「正義」というようなありきたりなものがあるとするじゃないですか?
サンデル教授がえらく人気が出ましたけど、
彼の優しい口調ながら、自分の論調に引き込ませようとする
巧みな誘導尋問には脱帽してました。
うまいんですよね。
でも、あれは彼の考える「自由」であり、「正義」だなぁって思います。
同化しちゃいかんな、なんて生意気にも思います。
これを日本語でもスピーチするならどうしますか?と問われると
案外それまでの自分の既成概念で話しませんか?
こういう部分を英文のわかんない言葉のように、延々と時間をかけて参考資料で調べ上げて
自分の言葉で解釈しなおさないと単位をもらえなかったのです。
たとえば、「子ども」という概念。
私、ずっと子どもは子どもやろ?と思ってました。
教育哲学が専攻の私でしたからね。
ところが、産業革命以前に子どもはいなかったのです。
大人と「小さい大人」がいるだけ。
子どもは産業がおこってから根付いた社会概念なのです。
それと伴って現れたのが、学校。
これも複雑になる工場での仕事の労働力に相応しい人間を作るためにおこったのだということ。
こういうことは、自分で必死に何冊も本を読まないと
誰も教えてくれないのですよね。
一つ目の大学はキリスト教を母体にしていた関係で
この宗教の神様の考えを中心に学問をするということでした。
二つ目はかなり自由にやりたい放題をやってもよい学校でした。
しかし三つ目になり、むりやりでも気がつかされたのは
自分が置かれた環境の中でどんだけ影響を受けながら
独自の考えやと思ってきたことが、外からの圧力で感化されているのか、ということ。
ネチネチと考える癖づけができたことは大きいなぁって思います(苦笑)。
でもなぁ~~。
英検1級の大問4のエッセーでは、私の場合、どうもサポートとして列挙する喩えが一般向けじゃなかったらしい。
特殊すぎて模範解答の例文をみると、あまりの開きに「そうっか。普通にたとえば、というと、こういうことか」
なんて思ったりすることが多々あるんですよねぇ。
いいんだか、わるいんだか・・・・・。
この既成概念をレポート提出するたびに、添削者からこっぴどく論拠はどこですか?と
ネチネチ指示され、その考えの出処を参考資料として明示するようにと言われ続けたのですよね。
そりゃぁ、徹底的でした。
目からウロコってこういうことなんだと。
>これを日本語でもスピーチするならどうしますか?と問われると
案外それまでの自分の既成概念で話しませんか?
こういう部分を英文のわかんない言葉のように、延々と時間をかけて参考資料で調べ上げて
自分の言葉で解釈しなおさないと単位をもらえなかったのです。
シルフさん、そう、そう、そうなんですよねっ!!!!! 私も同じ経験をしました。
大学院での授業が始まる前に、大学側が提供しているライティング教室に参加したのですが、
ペーパーを書く際の決まり事として、
・自分の主張は何か。
・主張は自明でなければならない。
・その主張を支持する議論は、論理的に組み立てられ、具体例やデータで支えられていなければならない。
・先行研究に言及しなければならない。(どこまでは他人の先行研究で、どこからが自分の主張かを明確に!)
を徹底的に学びました。
情報や自分の考えを整理する過程が存外タイヘンで。。。
物ごとを白黒に割り切って意見を述べたり、反論したり、相手を説得したり....と、そんな社会に身を置いていなかった私には、これが新たな刺激となりました。
意見に一貫性を持たせ(YesなのかNoなのか)、根拠となる理由づけもしっかりし、ポイントを逸らさない姿勢というのは、日本人社会(特に女性社会)ではそうまでしなくても渡り歩いて行く事ができたからなあ~。
というか、そういう人って日本のおばちゃん社会じゃ煙たがられますもんねえ。
でも、こういう行程を経て、自分の考えをまとめる、あるいは混沌とした自分の感情を整理するという作業、タイヘンはタイヘンだけれど、自分自身にとても有用なものだと感じたのも事実です。
何もペーパーなど書かなくても、社会に身をおいていれば、こういう思考行程が必要なハズですものねー。
単に己の感情のみでモノを述べない&行動しない姿勢というのも、社会の場では要求されるはず。
そして、「論文とは、必ず議論ができる、つまり肯定の意見や、反論の意見の両方がもてるものでなければダメですよ」と教授がおっしゃっていましたが、本当にその通りだと思いました。
さまざまな意見、考えがあるからこそ、社会は成長するんだな、と。
しかし、日本で私が身をおいていたおばちゃん社会では話しは別。(汗)
目の前の相手の言うことに相づちを打って、その人の心に寄り添ってあげる。そういう「共感する態度」こそが必要なスキルでした。
それも必要だとは思うし、私自身無理のない程度でできるだけそう心がけてきましたが、端で見ていると、そういう人付き合いを繰り返すことで人間関係がこんがらがって収拾がつかなくなった人たちも多く見たしな。(大汗)
もうねぇ~愚夫の習い事(アコギ、アコースティックギターの略)の発表会があるとかで
今日のお昼は演奏が終わってからみんなで食べるからいらん、といってたのにな~。
主婦の得意技、「あるもの、残りもの」ランチで私が食べ終えると帰ってきたわけですわ。
「あっ、俺、まだ食べてへん」
なんでなん?いらんっていうたやろ??と
多少イラっとしながら適当に準備をしました。
その後、グループホームに入所中の104歳の姑を見舞ってきました。
毎土曜日の午後はこうやって過ぎるわけです。
自分の時間はやはりこの年になっても細切れなんですよね(ため息)。
論文の書き方など、私、二つ目の大学に行ってみて
通信過程だったので、自前で全部本を読むことから少しずつ始めました。
日大で10万円ちょっと。
慶應は私の頃(7年前くらい)2年目から5万円を切る授業料だったと思います。
だから私でも払えたわけです。
がっ、安い分、自分からどんどん追求して言われないことまでやらないと
単位なんて1つもくれない学校でしたねぇ。
どういうんだろう。
この英検1級との格闘2年間を5年半続けたような感じかなぁ。
理屈で相手を言い負かすためには(縁起でもないけど)、
私は論理的な物言いとか、考え方が出来ていない人でした。
今もそうなんだけどね。
根拠は?根拠は??と延々言われつづけると
もう自分の考えの全部が借り物じゃないのかな?と
猜疑心の塊に最後はなってしまって
何にも書けなくなりそうでした。
ぴーこさん、そんなことありませんでしたか?
もっと教授は優しい方だったのかな?
私、こんなことを書くとヒンシュクもんかもしれませんが、
自分がすこし学習障害気味の生徒だったかもなぁって思っています。
本当に好きなことしかできないのですよね。
なので学校の先生は不向きですね。
塾だから楽しくやれるってこと、あるなぁって思います。
今ね、来週の明日にある2次面接のことですごく苦しいです。
英語で話すことが、あまり楽しくないせいかもなんて思います。
試験だから仕方ないのだけどねぇ。
どこまで準備っぽいことをしても、どうしてもムリやろ?と
気分は下げ下げ・・・・。
けっこう自分のこの感覚、あってるんですわ。
ぴーこさんは、英語という異文化の中で
英語恐怖症になったことないですか?
私、いつまでもどこまでも自信満々って感じは持てない人間のようです。
全然謙遜でもないんですよ、本音なんです。
『サンデー毎日』のご主人(うちも15年後にはそうなる予定)や104歳のお姑さん、
そして、「初恋の人と結ばれてのご結婚」などなど
いろいろとお話したい(聞きたい)ことはあるのですが(爆)、、、
>ぴーこさんは、英語という異文化の中で英語恐怖症になったことないですか?
ハッキリ言って、私の英語力など全くたいしたことはなく、
しどろもどろで自己嫌悪になることも多々あり、
言いたいことがうまく言えなくて忸怩たる思いをすることも、、、という現実を先にお伝えしておきまして。
ニューヨーク(特にマンハッタン)って、『人種のサラダボウル』と表現されているように、
世界各国の人たちが集まっているところでして。
(wikiによると、『2005年の調査によれば、市内では170近くの言語が話され』てるんですって。
170カ国って。。。(大汗))
アメリカであってアメリカではないという感じでね。
そりゃもう、いろんな訛りの英語が飛び交っております。
そんな環境の中、重んじられているのは、英語の流暢さ以上に『何を語るか』の方でね。
発信したい思いや考えを持っている限り、ニューヨーカーって案外根気よく聞く耳を持ってくれるので、
恐怖症にはなったことないんです。
シルフさん、私の場合、日本での生活の方にストレスを感じることが多かったかも。
だって、日本では、あれこれ尋ねられても、聞く側の方が私が返すべき答えを心に用意しているのがわかるんですもん。
「あ、この人、私にはこう言って欲しいんだな。私自身の意見なんか、求めてないよな」と思える場面が多くてー。
二次面接のことが苦しくて、、、って、気持ち、分かる~
私もその立場になると、きっと当日までがしんどい気がします。。。
(いっそのこと、一気にその日を迎えたい!と思うだろうな。。。)
でも、自信満々で当日を待ち構えている受験者ばかりじゃないと思いますし、
今まで粛々と学びを積み上げてこられたご自分を信じて、頑張ってっ!!!!
さまざまな事柄にいつも真摯に対峙してらっしゃるシルフさん。
知的好奇心おう盛なシルフさん。
学ぶ心を止めることのないシルフさん。
大丈夫!
語る言葉をしっかりと持っていらっしゃいます。
早く、当日を迎えられるといいのにねえ。。。
怒られそうな情けなさですよね、私。
英検1級の一次通過して何を泣き言いってるんや、
アホか!とそう思われるのが当然なのでしょう。
自分で始めたことだし、いつかは通過せなあかん所や、と
そう思っているのです。
毎日・サンデーの夫には、私が通信制も含めて
「道楽か趣味」で始めた大学教育、英語の勉強などは
グチは言わないと、ある時点から決意したのです。
どうしてかって?
所詮、同じ土俵に立たない人には分かり合えない部分が夫婦でも子どもともあるだろうと割り切った結果です。
家族が仲良しで秘密を全て共有しあうというのは
私には幻想だと思っています。
ところがね、ここからが大切なのです。
その「幻想」にちょっとでも近づこうと努力することが
いっしょに暮らすメンバーには大切だと思っています。
逆説的なのですが、ここが一番大事じゃないかと思う。
先週の土曜日にやっといっしょに暮らす夫と息子に一次パスの件を話しました。
予想どおり、2次は当然合格やろ?なんて思ってるみたいです。
だから同じ立場に立つネット上の仲間にしか分かりえないことってあると思いましたね。
努力しなければ、わからない。
英語だけじゃなくて何にもで当てはまるかなぁ。
これってきちんと胆に銘じておかねばならないことだと思います。
人間関係には一番大事かも。
ぴーこさんが日本人相手のほうにより気を使うってところ。
思わず「私も、私も」と思いました。
私はずっとこれが苦手なことだったから。
前世はアメリカ人かい?と思ったりします。
今ね、こちらのNHK総合で朝の連続ドラマ「純と愛」というのがやってます。
私が興味深く感情移入して見るのが、「愛、いとし」という名前の若い男性の方。
あれほど顕著じゃなくても、私も相手の本音というのが透けてみえてしまうところがあります。
これでまぁ、女性のグループに入っているのがどれほど息苦しかったか。
ぴーこさんにも通じるものがありませんか?
こういう私が英検の中で何に一番気を使うかというと、
エッセーならば、「例えば」という例を出すときの部分です。
2回目に受験したときに、エッセーがあまりにひどくて
ネット上で添削指導をしてくれる通信コースに入りました。
インド人の方に添削してもらったのですが、
私の例の出し方がまずいと言われました。
一般的な例えがどうなのか、ちょっと分かりづらいんですよね(苦笑)。
世間一般で言うなら、悪く言えば「突飛過ぎる」、よく言えば「切り口が新鮮」というのでしょうか。
だから模範例文などで、何をまず学ぶべきかというと
『一般的には、こういうのが例として妥当なのか』と
そこから学ばねばならないのです。
いや~、これは予想外でした。
私自身が塾で一風変わった、学校でハンパモンと言われそうな子に興味が湧くタイプなので
そこが便利な講師だと思われているみたいですよ。
長所は短所、と割り切らないといけないですね。
1級は受かるまで受けると決めたので
もし今回ダメでも気持ちを立て直して頑張ります。
見ていてくださいね。
でも>語る言葉をしっかりと持っていらっしゃいます。
こういって下さるぴーこさんの優しい共感的な言葉に
すこし涙ぐみました。
マイノリティーの心的部分をもつ私を受け止めてくださってすごく嬉しいです。