それは先週土曜日の夜7時過ぎに始まった。
姑が12月8日午後7時15分に永眠したのだ。
5人兄弟の末っ子である夫だけが最後を看取ったのだけど
亡くなる直前に私のところに連絡が入り、
原付バイクで必死にグループホームに向かうと連絡を受けた直後に亡くなっていた。
さてそれからが今回のタイトルである「初体験」だった。
いつも姑が居住していた個室に入るとすぐにそこのスタッフの女性から、
「なぁ、ここ押さえといてくれへん?」
と指示された。
『え?それって???』
と胸騒ぎが・・・・・。
な、なんとまだ温かい姑の顎を私が両手で
彼女の口が開かないように押えておけということらしい。
なんでなん???
もう何がなんやら訳がわからない有様で
私はそれから弔問客が泣き叫ぶ中を遺体の姑の顎を彼女のベッドの頭のほうから
2時間ほどずっと「ヘッドロック」状態で持ち続けさせられたのだ。
ありえますか???
いや~、この年齢になって人生初体験とは。
このホームは所長にあたる人物が映画『おくりびと』を見て以来、
ここで亡くなった入居者は家族の同意が取れれば
手作り葬を行う旨を事前にする予定にしていたのだ。
だから親族は否応なく通常は病院のスタッフや葬儀社の人たちがする雑事を
全員参加でやらなければならなくなる。
顎を必死に押え続けて2時間余。
その後に生前気に入ってよく着ていた衣服に着替えさせることになった。
これが(汗)・・・・女性スタッフ2名と私の計3名で七転八倒の大作業。
洋服を着るという行為は、生きているときなら
関節を自在に回したり折ったりできる。
亡くなってしまったり、意識がない人間に衣服の着脱をさせるのは
腰痛がおきそうなほど大変だった。
もうこれも新発見。
夫67歳は5人兄弟の末っ子なので、一番上の義姉はなんと80歳を越えている。
ということは、結局のところその夜、次の夜、都合2晩を私と夫が
姑の亡骸と過ごすことになった。
あとの親族は、
「じゃぁMちゃん(夫の愛称)とシルフさん、宜しく」
の合言葉でホテルなり自宅へ帰っていった。
12月10日の月曜日にようやく葬儀をそのホームで執り行ったが
やはり所長さんの意向で礼服参加はできるだけやめる、
葬儀に使う花はバラのみ。
それも1000本あまり!
出棺のときに姑の遺体は
色とりどりの華やかなバラで敷きつめられました。
なにせ享年104歳。
所長さんによれば、悲しくない儀式なわけです。
「幸福な旅立ちで、参列者誰もがあやからないと」
という意味合いだそうです。
こんな時に思い出した曲が自分が若い頃、
心酔して聞いていたダニー・ハサウェイのこの曲でした:
20代の苦しかった頃、
いつもこの2曲が私を慰めてくれたことを思い出しました。
不思議ですねぇ。
姑が12月8日午後7時15分に永眠したのだ。
5人兄弟の末っ子である夫だけが最後を看取ったのだけど
亡くなる直前に私のところに連絡が入り、
原付バイクで必死にグループホームに向かうと連絡を受けた直後に亡くなっていた。
さてそれからが今回のタイトルである「初体験」だった。
いつも姑が居住していた個室に入るとすぐにそこのスタッフの女性から、
「なぁ、ここ押さえといてくれへん?」
と指示された。
『え?それって???』
と胸騒ぎが・・・・・。
な、なんとまだ温かい姑の顎を私が両手で
彼女の口が開かないように押えておけということらしい。
なんでなん???
もう何がなんやら訳がわからない有様で
私はそれから弔問客が泣き叫ぶ中を遺体の姑の顎を彼女のベッドの頭のほうから
2時間ほどずっと「ヘッドロック」状態で持ち続けさせられたのだ。
ありえますか???
いや~、この年齢になって人生初体験とは。
このホームは所長にあたる人物が映画『おくりびと』を見て以来、
ここで亡くなった入居者は家族の同意が取れれば
手作り葬を行う旨を事前にする予定にしていたのだ。
だから親族は否応なく通常は病院のスタッフや葬儀社の人たちがする雑事を
全員参加でやらなければならなくなる。
顎を必死に押え続けて2時間余。
その後に生前気に入ってよく着ていた衣服に着替えさせることになった。
これが(汗)・・・・女性スタッフ2名と私の計3名で七転八倒の大作業。
洋服を着るという行為は、生きているときなら
関節を自在に回したり折ったりできる。
亡くなってしまったり、意識がない人間に衣服の着脱をさせるのは
腰痛がおきそうなほど大変だった。
もうこれも新発見。
夫67歳は5人兄弟の末っ子なので、一番上の義姉はなんと80歳を越えている。
ということは、結局のところその夜、次の夜、都合2晩を私と夫が
姑の亡骸と過ごすことになった。
あとの親族は、
「じゃぁMちゃん(夫の愛称)とシルフさん、宜しく」
の合言葉でホテルなり自宅へ帰っていった。
12月10日の月曜日にようやく葬儀をそのホームで執り行ったが
やはり所長さんの意向で礼服参加はできるだけやめる、
葬儀に使う花はバラのみ。
それも1000本あまり!
出棺のときに姑の遺体は
色とりどりの華やかなバラで敷きつめられました。
なにせ享年104歳。
所長さんによれば、悲しくない儀式なわけです。
「幸福な旅立ちで、参列者誰もがあやからないと」
という意味合いだそうです。
こんな時に思い出した曲が自分が若い頃、
心酔して聞いていたダニー・ハサウェイのこの曲でした:
20代の苦しかった頃、
いつもこの2曲が私を慰めてくれたことを思い出しました。
不思議ですねぇ。
毎週ホームに通ってたりとか、嫁の働きは相当やったとおもいますわ。よくみたよね~(汗)
あごをずっと押さえてないとあかんのはなんで。。。それも二時間。。おさえてないとあくのか(汗)
うちの僕ちゃん、まったく力がはいらないに等しいので、28キロだけど、着替えが毎朝大変なんですわ。。。(汗) 関節が固いところもあってね。。。
大人の体重かんがえたらぞっとします。。
まだまだバタバタしてるかもだけど、心身ともに休養でいきる時間が増えるといいな。
ではまた~!
まぁ~、そうはないでしょ??
本当にびっくりしたな・・・・・・。
私、かなり変わってて(自分で言う?)
亡骸が怖いとかいう気持ちがあまりないんです。
ただね、お通夜からずっと着ていた衣類がお線香の匂いで
ものすごく匂ったのは凹んだなぁ。
どうしてかっていうと、これが不思議なんだけど
「攻略リスニング」の柴原先生じゃないけど
その匂いで義母の棺に入った顔が脳裏に浮かぶのがまずい(激汗)。
当分お線香の匂いは勘弁って感じです(涙)。
でもあれから「自分の好き勝手やってええんや」と悟りましたね。他人に振り回されるのはしんどくて何の得にもならない。いまだに好き勝手やっても死んだ人から文句いわれてないし(笑)。
とまれ、ひとの生き死にというのが大変だというのは自分の経験からもよくわかります。しばしご自愛あれ。
喪主を3度ってのも凄すぎです。
うぅぅ~む、それはしんどすぎだ・・・・・。
まだ私より年下なのに苦労人ですよね。
お疲れ様でした。
私、こんなことを書くとお叱りを受けること必至なのですが、
104歳になっていた老女の義母が10日間もこの世にしがみついていたことが
ちょっと怖いもんがありました。
これは嫁という立場だからでしょう。
なおかつ、私の取っては祖母という年齢差もあるからでしょう。
人間というのは、簡単に死んでしまうという人もいるけど
執着を人一倍もつ人は、粘り強く、その姿は畏怖を起こさせます。
この半月ほどずっととんでもない時間帯に呼び出しの電話連絡が来るのじゃないかと
いつもアラート・オン状態だったので、まだその気の張りが抜けないのですわ。
いや~、これがけっこうな時間をくいそうです。
人の生き死にってものすごく回りにエネルギーを使わせますね。
姉さんのコメントがないと、蓬莱の豚まんがない家のようでした。
お母様のことがあったから、きっとお忙しいのはわかっていたんですが、姉さんからの「老婆心」激励がないと私はさみしくって(笑)これからもよろしく心配かけます~。
今はちょっと体を休めています。今日も昼寝しました。
うちは実は私より親たちの方が元気なので助かってるんですが、体力つけないととも思ています~。ランニングマシーン復活せねば。
英語の教師って元々ハンディキャップを負ってませんか?
それは私も受けた英検とかTOEICとか。
合否や得点の多い少ないで人格以上の存在になろうとしてしまうような。
他の教科だと、美術や体育と匹敵するような能力科目に近いような気がします。
これってかなり辛いもんがあると思います。
やれないダメな自分を責めることにつながるから。
私が英語の資格試験で気をつけようと思い続けてきたことは、
自分というものが、1級受かった人とか900点を超えた人という置き換えで独り歩きをしないように、ということです。
私の周りの友人たちが致死に至るような病を発症したりしています。
50代に差しかかるころに、それまでのムリが身体に現れてくるのかな?
私も多分順番待ちかもなぁ~と思っています。
そうなった時に、目に見えるような資格やタイトルがかえって自分を苦しめることになりかねないのじゃないかな?と思ってみたりします。
義母の死に際を半月ほどじっと観察してみて
いずれは自分もこうなるのだな、と妙な覚悟をしてました。
私も同じ哀しい運命の英語講師だから、
1病息災の妹をいつも案じてしまうのです。
悪女の深情けとご容赦下さい。。。。。