☆わんこと一緒の想い出と共に☆

シェルティと暮らしていたマールママの記録と記憶のためのページ

追想

2017年02月28日 | ある日の出来事

とうとう その日が来てしまいました

祭壇の遺影の、ふくよかで柔和な姿とは別人の あなたがいました

 

 

 

自分で選んでいたという一枚の写真の胸のコサージュに私は見覚えがありました

東京での甥の結婚式で兄弟が全員揃っていて、これから写真が必要になるからと

正装した姿で夫婦ごとに私が写したものでした

まさか、一番年下のあなたが先に逝くなんて・・・

 

 

「がんかも知れない・・」と言われたのは 

2014年の6月 大人の休日で仙台に行ったときでした

よくない結果が出て 手術・抗がん剤の治療が始まりました

秋にサントリーホールで辻井伸行さんのコンサートがあるからと

とても楽しみにしていて私も誘ってもらい

「良い席が取れたの!」と喜んでいたのに それも叶わず・・・

 

 

それでも病院での治療が終わると 

特別に病人扱いされることを嫌い 普通の生活をしていました

その翌年も私が旅の途中に寄るたびに 二人で松島や山形に連れて行ってくれて

車の中で 子どもたちのことなど いろんな話をたくさんしましたね

 

      今回の葬儀で私たち兄姉のために手配してくれていた秋保温泉のホテルも

あなたとの思い出がいっぱいでした

「私、がんでよかったと思っている」 その芯の強さに戸惑う私

どう言葉をかけていいのかわからなかった

がんが転移し再度の抗がん剤治療はしないで普通の生活をすると決断したこと

生活が困難になったときは緩和ケアに入るため申し込んできたこと

「そうなったら会いに来ないでね 親戚には言わないで!」

涙を見せることもなく話してくれた場所でもありました

 

あの後 札幌の姪の結婚式にも参加し 宮古島へも夫婦二人で旅行に行けたこと 

喫茶店に通い友だちとも楽しい日々を過ごしているときいて

あなたの選択は 間違っていなかったと喜びつつも

いつかは来るその日の恐怖心は いかばかりかと・・

 

 

緩和ケアに入ったと聞いた昨年11月

もう会えないと思っていた 歌舞伎で上京した時 

「体調がいいから寄っていって」と弟から連絡をもらいました

 

 

そこには少しは痩せたけど 

思っていたよりずっとずっと元気ないつものあなたが居ました

とても素敵なお部屋は広く環境もよい個室で

「どう?こんな老人ホームって いいと思わない!?」

家庭のような環境で 窓辺には二人で作ったという干し柿が吊るされていて

弟は毎朝そこに寄って会社の帰りも寄っていくのだと

長男の家族の家も近く よく顔を出してくれてくれている様子

遠くの子どもたちも家族連れで皆会いに来てくれたときのことなど

たくさん話しをしてくれました

すでに腸閉塞が起きて 胃に食べ物は入れられず点滴だけの栄養でも

 先生や看護婦さんが痛みを緩和してくれるという安心感の中で

普通の生活をしていたあなたに 

もうずっとこのまま元気でいられるような気がしていました

 

 

 (いつも病室に顔を出してくれていたmasaeちゃんが作ってくれた色紙)

 

 1ヶ月前 上京する途中で寄ったとき

前回より痩せて 少ししんどそうだったけど 孫たちのために

マスコット人形などを作っていて 「じゃあ またね!」

という私に「悪くなったら来なくていいからね・・」と

「そうね!おとうさんと二人きりのほうがいいよね」と答え

部屋を出るとき 後ろから

「よろしくおねがいします」という声がきこえた

でも、それが最後だとは私は思っていなかった

 

私が帰って間もなく 痛み止めや麻酔を受けるようになり

眠っている時間が長くなったと聞きました

最後まで 騒ぎ立てることなく静かに眠るように

弟の居るところで息をひきとったとのこと 

 

 

医師から告げられた余命より長く大切な時間を過ごせたのは

あなたが 残される人たちに生き様を見せてくれたからなのでしょう

みんな たくさん学ばせてもらいましたよ

よく がんばりましたね

 ありがとう そして おつかれさま

 

 いつも さりげなく 相手に気配りしていたあなたは

良き妻であり 太っ腹な頼りがいのあるお母さんであり 優しいおばあちゃんでした

 

 

私にとっては義理の妹で 遠くに居ていつも一緒にいたわけでもないのに

病気をしてから ずっとずっと心配していたから

 ふと悲しくなって涙がこぼれて・・・何もやる気がしなくて

 

けじめをつけて 立ち上がろうと 偲ぶ想いを記しました