Kaettekita 私が思う あのこと このことReturn(Get Back Part2)

進取究明。日々の雑感を気ままに綴る私なりに思い考え行い実践する不定期の記録。写真付きで日記や趣味を書くならgooブログ。

色々あるが…、漢字で思う

2017年12月13日 23時35分36秒 | 人生訓・人生論・人の生き様・年末年始賀正・正月祝・祝誕生日・記念日・祝祭日旗日
私の今年の漢字一字は、「改」、改宗の改、若しくは日蓮正宗法華講の一員になったので、日蓮正宗の「正」、新たに生まれ変わったので「新」でも良く、中々自分では選びにくい。
 この今年の漢字。毎年師走12月時点で、清水寺の貫首が発表していて、今年は「北」だそうな。
 この清水寺、立派に邪宗であり、只、立派なのは建物だけで清水寺は、邪宗の存在だ。
 この、漢字検定協会のイベントは、以前、その幹部が横領か何かで、途中の震災直後の時に物議を醸している。
 「改」「正」「新」の言葉は、実に新鮮で、自身にとって、今年を代表する一字だ。
 清水寺の毎年ドサクサに紛れて、このイベントを取り仕切るが、とんでもない。結局、この決定を皆で共有する以上、宗教色を消すのが妥当だ。
 漢字一字も、いつまでも面白おかしく毎年毎年やってる内に、そんな事も一度には決められない、その内に、今年の漢字、ネタ切れの場合、無尽蔵に漢字があったとしても、やたらと名付けられない場面も出て来て、ハガキ・メールのアンケート結果が頼みの綱となっても、結局、一年後、漢字決めもままならず、何年か後に最終回で終わるかも知れない。
 兎に角、いずれにしても、今年の漢字は「北」が選ばれ、皆も納得していた。私の個人的な漢字は、上記の通り。

養老孟司著「『自分』の壁」を読了

2017年12月13日 19時54分12秒 | 読書・本を読む事への楽しみ誘い。日蓮正宗御本。その他一般著作物電子書籍・辞書類
 養老孟司先生著、「『自分』の壁」を読み終わった。
 養老先生の本は、とても読み応えがあり、新たな視点・視座を与えてくれる機会を得られる。「”自分探し”なんてやめなさい」のタイトル通り、情報過多の怖さを後半では述べ、常に安定した養老先生の別の角度から見た世の中の新たな見方が鮮明で余りに見事だ。
 切り口が斬新で世の中の見方が変わる。「バカの壁」「死の壁」「超バカの壁」との三部作に続く、この「『自分』の壁」であり、これらの著作は全部読んだが、養老先生の本は大変、為になる。
 正に知の巨人であり、解剖学を長年やっていると、自然とそういう発想が出来るようになるのか、不思議だが、まあ、養老先生も、ユニークな人種の一人だろう。
 養老先生の著作は、一般人が読むには、養老先生が直接一人で書いた本よりは、これら著作のように、編集者が聞き書きで、他人のフィルターを通した方が、養老先生もこの本にも書いているが、分かりやすく、とっつきやすい。
 世界観を広げてみたい、新たな発見をしたい人には是非、お勧めしたい。

山岡荘八著、小説「日蓮」読了

2017年12月13日 15時10分31秒 | 読書・本を読む事への楽しみ誘い。日蓮正宗御本。その他一般著作物電子書籍・辞書類
 
 山岡荘八先生著作、小説「日蓮」を読んだ。
 山岡先生は、日蓮大聖人の半生を描き、僧侶としての修業、比叡山、他の道元や他宗を経て、鎌倉に出て来て辻説法、北条氏に「立正安国論」全一巻を献上して、一二六〇年・文応元年八月二十七日の「松葉が谷法難」で筆を置いている。最後は大聖人様が、猿と遊んでいた為、難を逃れて、猿と戯れているシーンで終わっている。
 山岡荘八描く「日蓮」は、より仏様というよりも、人間に近く描かれ、山岡文学の限界も感じ取れるが、大衆小説である以上、致し方ないと言える。読後感は、「あ、これで終わり?」と言う、あっけなさ、と言うか、それでも、読み切った感はあった。
 やはり、日蓮大聖人様の小説ともなると、聖教新聞社でもそんなタイトルで昔に何巻も出ていたようだが、ひいき目で見ると、膨大な量の作品となってしまいそうだ。
 やはり、後世へ残した、一期弘決の、一閻浮提総与の大御本尊を引き合いに出さないと、日蓮正宗信徒は納得できない。お弟子で六老僧の、第二祖、開山日興上人は出てきたけれども。
 まあ、文学作品としては、当を得た、良作と言える。