@制服美少年
• 9 日前
おはようございます、御生誕会おめでとうございます自分の御寺様にても執行ありました。好天でしたので近辺梅園近くにて街頭させて頂きましたが昨日の御釈迦様ご逝去との絡みにて若干対話させて頂きましたが「そうなんだ!」と感心していた方もいらっしゃいましたが「大聖人様のほうが先の仏様」と話したのですが全く理解不可でした(残念)でもかなり正宗資料受け取って頂けましたが!あと世法案件でありますが貴兄話されていた「五木先生の物捨てない」でしたか冊子楽天にて拝見致しましたので購入中にて自分の部屋でありますが仏間は整然としていますが寝室は3畳間にわざと狭く改装して手が届く範囲に全て物品山積しておる「暖かい」良き部屋でありますが冬季は朝仏間へ移動が「戦い」であります(笑)仏間手間は駅窓口となっており乗車券棚に以前いらした盆経時の御尊師様と講中友達が眼を点にされ驚いていましたが!? 「マニアック生活」に自信持っていますから大丈夫でありましたので!「我が道を行く」ですかね~失礼方々。返信返信 1 件
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本日は宗祖日蓮大聖人様御誕生会。『当体義抄』(新編六九二)R7年2月16日13時。於:日蓮正宗無量山壽海寺(動画サイトYouTubeの私の作成制作関連動画がURLで開きます)
@wainai12375(私)
• 0 秒前
全く面白き人生ですね。不思議というのか。余程の趣味人であらせられるのですね。 こうして、美少年様と話しておる時が一番の私の心の慰めです。
世の中には、どうしても、邪宗邪教に汚染された、頭の中身までが「パーン」となっておられる方々が非常に多数です。
ほとんど世界を見渡すまでもなく、日本一国に於いてもそれは言え、私は多勢に無勢感を感じざるを得ません。
そこで、私にはどうしても、同志の方々のお助けが必要になります。先輩方が、私のお寺にも沢山おられます。 その観点からも、私はこの日蓮正宗入信帰伏勧誡を受けた当初は、まずは折伏だ、となり、一番にお世話になった、近所の公明党のポスターを毎回デカデカと掲げる、(常にその自宅を座談会状にしていた人、実は夫は創価信者ではなかった)或る母とも一定程度親しかった方を折伏に出かけました。 事前に、日蓮正宗の御本も持って行き、その本を手渡す予定でした。
しかし、そのうちに着いてからの私の汚点は、人生初の折伏という事で、ノリノリとなってしまい、相手側からも、私がその時相当若かったせいもあり、猊下様からは「折伏はケンカじゃない」と常日頃言われていたのにも関わらず、まるでケンカ腰で、その方々夫婦を威嚇して、おまえらは完全に狂い間違っている。今すぐ早くに日蓮正宗に帰伏しろ!この一点で私は強折しました。
それには訳があって、その同じ日のその直前に、私がお寺から帰って来てから気付いたのですが、我が家の母の所に、その一家の妻が我が家を訪れ、母にもう一度、創価学会に来ない?あの頃が懐かしくないの?等と甘言を弄して、母を騙そうとしたのです。 無論、それに動ずる母では御座いませんでした。母は、一応は、その妻から渡された創価学会のパンフレット類、聖教新聞、創価新報、それから、女性好みのお菓子だか飴だかと、ヤクルトの安いニセモノを袋に入れて渡しましたが、母はコワがってしまい、それらを庭に置き捨てたままでずっと家にいて、私が帰って来たら、そういう事だったと、とても怖がっていたのです。
この一件で、完全に母を守ろうと頭がカチンと来た私は、その一家に敢然として乗り込んで行った、という訳です。
そして、私は、お寺で常日頃から学んでいる「依法不依人」法に依って人に依らず、って知ってっか?とその夫婦に訊くと「知らない」と。
そんなはずはないだろうと思うも、この人達は、元は大聖人様の同じ弟子だった、「日蓮正宗創価学会」の時代とは様相を異にした、異教邪教の類に成り下がった、正に常に御住職様が仰られる「池田教」そのものがこの人らの本性そのモノだったのだ、と自然と気付く訳です。
しかし、その正宗の御本を手渡そうとすると、受け取れない、受け取ったら創価文化会館の本部職員に直接手渡す、というので、私は、立派にお金が掛かってるんだぞ、と言いそれを引っ込めた。
後にうちのお寺の栃木のKさんが、それを手渡しても良かったんじゃないの、と聞かれたが、私は、あれは、私が初めてお寺で買った本の一部、今(令和七年二月~)盛んに読んでいる、「大御本尊への信仰を捨てた創価学会をただすー」をただで、相手側のゴミ箱行きとなるのは惜しいから辞めたんだ、と言ったが、返す刀で、その相手方のパンフレットや新聞お菓子ニセモノの安いヤクルトを入れた袋に、この時とばかりに素知らぬ顔をして、日蓮正宗の大白法やら慧妙やら、お寺のパンフ、その他、行事予定表から何やかやを色々詰め込んで入れて置いて来てやった、と告げると、栃木のKさんもニッコリとした。
そして尚も、私からの怒声は続き、その夫婦を責め続けた。その結果が、その妻が「貴方顕正会?」の質問だった。 それに対してこちら側は、「イヤ、違う。我は日蓮正宗無量山寿海寺の信徒であるぞ、人をなめんなよ。」と言い、改めて折伏をじっくりと獲物を追う猛獣の如くに暫し続けた。
その時、そこの夫が運悪く出てきてしまい、何なんだ、とそれ以前から、夫婦して防戦一方で必死みたいだった。 それからまたその妻に、おたく顕正会?と二度も聞かれた。
それでも違う、この大槻町の町内の、壽海寺の信徒だ、と名乗りを再度上げヒートアップすると、その妻は、それじゃダメだ。あそこは日顕(御陰尊上人猊下様)宗の寺だから、とにべもなく突き返した。
それに対して私は、今度からは、絶対に我が家へなど創価の勧誘になんか来るな、と言い渡した。
しかし、それに関しては、その妻は食い下がり、絶対に今度も行く、と執拗となった。
こちらも我慢が出来ず、その時は、母を守る為にも、アンタの命までは保証できないからな、と脅してやった。
だったら辞める、と言い直し、この折伏騒動は終わりを告げた。 後はただ、相手の夫が、自分のうちの庭の中に、私の様な訳の分からない男が入って来たのが気に入らず気に障ったらしく、犬の遠吠えの様に、そうか夫婦の家で勝手に叫んでいた。 そして、私は母からその後も無事だったかと尋ねると、母も貴方は大丈夫だったの、との優しい心遣いがあった。
その後日、私は意気軒昂にお寺に向かい、そこで朝の唱題行が終わると、盛んに自然と昨日の自身の折伏の手柄自慢話の様になっていった。
その意気盛んな私の折伏?話に、或る夫人が疑問を投げ掛けた。そんな、「顕正会」と間違われる様なものが、果たして折伏と呼べるのか、と。
これに対しては私はぐうの音も出なかった。ちょうどその頃は、時々勤行を本当に時々だがサボってしまったり、何か歯車が合わないモーターの様な所が自分にはあった。 それがものの見事に、その罪障の結果として出てしまった。 又、家に帰って、自己反省である。
その時は、お寺に朝晩、二回も通い、うちでも夕べの勤行を母と執り行うから、自分でも何回一日に勤行したのか分からない日々だったが、時として、病院通い、母の同じく病院、福祉の付き添い等々で遅くなると、勤行をどうしても計画通りに出来ない時もあった。
それが如実にあの時の折伏に出た。自身の題目不足であった。
自分では判っていたのだ。どうしてこうなるのかが。 それ以降は、出来るだけ、勤行を生活の中心に据えるようにした。
そうして今がある。私には現在、複数の下種先がある。いずれも邪教だが、以前から、お寺の現在の副講頭さんは私の性格を知り抜いているので、必ず折伏には私と女性二人を、一時期など、お寺の御住職様の奥様と婦人部大先輩と私と、三人で訪れた。
下種は出来た積りでも、中々に、折伏成就、勧誡・御授戒まではいかない。
御本尊下附、入仏式なんて、夢の又、夢だ。
しかし、私は諦めない。御本尊様の前で、常に折伏を人生の根本と決め、誓ったからだ。 魔がどんなに私の面前背後で競おうと、私は負けない自信がある。
それは、第六十八世日如御法主上人絵猊下様が常々仰る御言葉に「魔は絶対に仏様に勝てない。仏様は必ず最後に勝つ!」(趣意)との思し召しだからである。 この言葉に奮い立ち、私の遅い人生の壮年期の青春第二章は、今始まったばかりだ。 以上。よしなに。wainai返信
@wainai12375
• 1 秒前
それにですね(先程の文章の続き)、これはうちのお寺の講頭さんに聞いたんですが、既に私は、講頭さんにはここでの動きを知らせてあります。そして御住職様も御存じです。しかし、講頭さんはこういうんですね。
「私が以前絡まれたり付き合わされた、創価学会員・顕正会員の人物とも思われる、似た文体の人間がwainai君のコメント欄のこの中にも確実に紛れ込んでいる。」と。
こう、はっきりと講頭さんは仰り申されました。 大体、人の文体というものはその人柄を顕し、誤魔化す事が出来ないのだと。 どの人が書いたかが、その人らしさが、その些細な文章にも必ずに顕れ得るものだと。言わば、文体・文章は、その人の個性だと。
だからどんなに言い繕っても、人は騙せない。池田大作著「旧人間革命」と「新人間革命」があれだけ文体が大きく違うのも、旧作は書店経営社長の篠原善太郎氏がものして、その後の新作は、聖教新聞選抜ライターチームが書いていた。完全な池田のゴーストライターだったのだ。これは知らない人も多いが、意外と業界では知られている事実だ。
それ位、創価・顕正会の謀略とは怖ろしいものだ。元はどちらも同根の、『暴力新興宗教』だからだ。
この事実は、私の動画群、ブログが、新たな局面、大袈裟な世だがそうじゃない。自身のネット広布の第二章が幕開け封切られた事を意味します。 特に、そうした一派は、多勢に見えて、逆に数が少ない一人かせいぜい二人とかの場合が多い。
それが虚勢を張ったりして大暴れしている様に見えるが、実際上は、そんなに数は居ないのが実情で、いわゆる、炎上、などというのも、怖れていても、大山鳴動して鼠一匹、であり、こちらの折伏行の妨げとなり得る。
詰まり、実体がハッキリしないだけに、顔の見えない相手との交信程、コワい者はないと思うが、そこが相手の思う壺なのだ。事の一念三千とは、そう言う所でも生きて来ると。悪の権化が一定数いる。それに怖れを為せば、大聖人様の「紛らわしくば、実教より責むべし」との御金言にも逆らい違う事になる。
とにかく、このネット上で、我がお寺の講頭さんが出くわした人物が、これは確証がまだ得られては現段階では言えない形だが、確実にその尻尾を追い詰める努力を、私は買ってでも、とにかく情報戦の世の中を戦い抜いて参りたい。「江戸の敵を長崎で討つ」(ことわざ)。
• 9 日前
おはようございます、御生誕会おめでとうございます自分の御寺様にても執行ありました。好天でしたので近辺梅園近くにて街頭させて頂きましたが昨日の御釈迦様ご逝去との絡みにて若干対話させて頂きましたが「そうなんだ!」と感心していた方もいらっしゃいましたが「大聖人様のほうが先の仏様」と話したのですが全く理解不可でした(残念)でもかなり正宗資料受け取って頂けましたが!あと世法案件でありますが貴兄話されていた「五木先生の物捨てない」でしたか冊子楽天にて拝見致しましたので購入中にて自分の部屋でありますが仏間は整然としていますが寝室は3畳間にわざと狭く改装して手が届く範囲に全て物品山積しておる「暖かい」良き部屋でありますが冬季は朝仏間へ移動が「戦い」であります(笑)仏間手間は駅窓口となっており乗車券棚に以前いらした盆経時の御尊師様と講中友達が眼を点にされ驚いていましたが!? 「マニアック生活」に自信持っていますから大丈夫でありましたので!「我が道を行く」ですかね~失礼方々。返信返信 1 件
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本日は宗祖日蓮大聖人様御誕生会。『当体義抄』(新編六九二)R7年2月16日13時。於:日蓮正宗無量山壽海寺(動画サイトYouTubeの私の作成制作関連動画がURLで開きます)
@wainai12375(私)
• 0 秒前
全く面白き人生ですね。不思議というのか。余程の趣味人であらせられるのですね。 こうして、美少年様と話しておる時が一番の私の心の慰めです。
世の中には、どうしても、邪宗邪教に汚染された、頭の中身までが「パーン」となっておられる方々が非常に多数です。
ほとんど世界を見渡すまでもなく、日本一国に於いてもそれは言え、私は多勢に無勢感を感じざるを得ません。
そこで、私にはどうしても、同志の方々のお助けが必要になります。先輩方が、私のお寺にも沢山おられます。 その観点からも、私はこの日蓮正宗入信帰伏勧誡を受けた当初は、まずは折伏だ、となり、一番にお世話になった、近所の公明党のポスターを毎回デカデカと掲げる、(常にその自宅を座談会状にしていた人、実は夫は創価信者ではなかった)或る母とも一定程度親しかった方を折伏に出かけました。 事前に、日蓮正宗の御本も持って行き、その本を手渡す予定でした。
しかし、そのうちに着いてからの私の汚点は、人生初の折伏という事で、ノリノリとなってしまい、相手側からも、私がその時相当若かったせいもあり、猊下様からは「折伏はケンカじゃない」と常日頃言われていたのにも関わらず、まるでケンカ腰で、その方々夫婦を威嚇して、おまえらは完全に狂い間違っている。今すぐ早くに日蓮正宗に帰伏しろ!この一点で私は強折しました。
それには訳があって、その同じ日のその直前に、私がお寺から帰って来てから気付いたのですが、我が家の母の所に、その一家の妻が我が家を訪れ、母にもう一度、創価学会に来ない?あの頃が懐かしくないの?等と甘言を弄して、母を騙そうとしたのです。 無論、それに動ずる母では御座いませんでした。母は、一応は、その妻から渡された創価学会のパンフレット類、聖教新聞、創価新報、それから、女性好みのお菓子だか飴だかと、ヤクルトの安いニセモノを袋に入れて渡しましたが、母はコワがってしまい、それらを庭に置き捨てたままでずっと家にいて、私が帰って来たら、そういう事だったと、とても怖がっていたのです。
この一件で、完全に母を守ろうと頭がカチンと来た私は、その一家に敢然として乗り込んで行った、という訳です。
そして、私は、お寺で常日頃から学んでいる「依法不依人」法に依って人に依らず、って知ってっか?とその夫婦に訊くと「知らない」と。
そんなはずはないだろうと思うも、この人達は、元は大聖人様の同じ弟子だった、「日蓮正宗創価学会」の時代とは様相を異にした、異教邪教の類に成り下がった、正に常に御住職様が仰られる「池田教」そのものがこの人らの本性そのモノだったのだ、と自然と気付く訳です。
しかし、その正宗の御本を手渡そうとすると、受け取れない、受け取ったら創価文化会館の本部職員に直接手渡す、というので、私は、立派にお金が掛かってるんだぞ、と言いそれを引っ込めた。
後にうちのお寺の栃木のKさんが、それを手渡しても良かったんじゃないの、と聞かれたが、私は、あれは、私が初めてお寺で買った本の一部、今(令和七年二月~)盛んに読んでいる、「大御本尊への信仰を捨てた創価学会をただすー」をただで、相手側のゴミ箱行きとなるのは惜しいから辞めたんだ、と言ったが、返す刀で、その相手方のパンフレットや新聞お菓子ニセモノの安いヤクルトを入れた袋に、この時とばかりに素知らぬ顔をして、日蓮正宗の大白法やら慧妙やら、お寺のパンフ、その他、行事予定表から何やかやを色々詰め込んで入れて置いて来てやった、と告げると、栃木のKさんもニッコリとした。
そして尚も、私からの怒声は続き、その夫婦を責め続けた。その結果が、その妻が「貴方顕正会?」の質問だった。 それに対してこちら側は、「イヤ、違う。我は日蓮正宗無量山寿海寺の信徒であるぞ、人をなめんなよ。」と言い、改めて折伏をじっくりと獲物を追う猛獣の如くに暫し続けた。
その時、そこの夫が運悪く出てきてしまい、何なんだ、とそれ以前から、夫婦して防戦一方で必死みたいだった。 それからまたその妻に、おたく顕正会?と二度も聞かれた。
それでも違う、この大槻町の町内の、壽海寺の信徒だ、と名乗りを再度上げヒートアップすると、その妻は、それじゃダメだ。あそこは日顕(御陰尊上人猊下様)宗の寺だから、とにべもなく突き返した。
それに対して私は、今度からは、絶対に我が家へなど創価の勧誘になんか来るな、と言い渡した。
しかし、それに関しては、その妻は食い下がり、絶対に今度も行く、と執拗となった。
こちらも我慢が出来ず、その時は、母を守る為にも、アンタの命までは保証できないからな、と脅してやった。
だったら辞める、と言い直し、この折伏騒動は終わりを告げた。 後はただ、相手の夫が、自分のうちの庭の中に、私の様な訳の分からない男が入って来たのが気に入らず気に障ったらしく、犬の遠吠えの様に、そうか夫婦の家で勝手に叫んでいた。 そして、私は母からその後も無事だったかと尋ねると、母も貴方は大丈夫だったの、との優しい心遣いがあった。
その後日、私は意気軒昂にお寺に向かい、そこで朝の唱題行が終わると、盛んに自然と昨日の自身の折伏の手柄自慢話の様になっていった。
その意気盛んな私の折伏?話に、或る夫人が疑問を投げ掛けた。そんな、「顕正会」と間違われる様なものが、果たして折伏と呼べるのか、と。
これに対しては私はぐうの音も出なかった。ちょうどその頃は、時々勤行を本当に時々だがサボってしまったり、何か歯車が合わないモーターの様な所が自分にはあった。 それがものの見事に、その罪障の結果として出てしまった。 又、家に帰って、自己反省である。
その時は、お寺に朝晩、二回も通い、うちでも夕べの勤行を母と執り行うから、自分でも何回一日に勤行したのか分からない日々だったが、時として、病院通い、母の同じく病院、福祉の付き添い等々で遅くなると、勤行をどうしても計画通りに出来ない時もあった。
それが如実にあの時の折伏に出た。自身の題目不足であった。
自分では判っていたのだ。どうしてこうなるのかが。 それ以降は、出来るだけ、勤行を生活の中心に据えるようにした。
そうして今がある。私には現在、複数の下種先がある。いずれも邪教だが、以前から、お寺の現在の副講頭さんは私の性格を知り抜いているので、必ず折伏には私と女性二人を、一時期など、お寺の御住職様の奥様と婦人部大先輩と私と、三人で訪れた。
下種は出来た積りでも、中々に、折伏成就、勧誡・御授戒まではいかない。
御本尊下附、入仏式なんて、夢の又、夢だ。
しかし、私は諦めない。御本尊様の前で、常に折伏を人生の根本と決め、誓ったからだ。 魔がどんなに私の面前背後で競おうと、私は負けない自信がある。
それは、第六十八世日如御法主上人絵猊下様が常々仰る御言葉に「魔は絶対に仏様に勝てない。仏様は必ず最後に勝つ!」(趣意)との思し召しだからである。 この言葉に奮い立ち、私の遅い人生の壮年期の青春第二章は、今始まったばかりだ。 以上。よしなに。wainai返信
@wainai12375
• 1 秒前
それにですね(先程の文章の続き)、これはうちのお寺の講頭さんに聞いたんですが、既に私は、講頭さんにはここでの動きを知らせてあります。そして御住職様も御存じです。しかし、講頭さんはこういうんですね。
「私が以前絡まれたり付き合わされた、創価学会員・顕正会員の人物とも思われる、似た文体の人間がwainai君のコメント欄のこの中にも確実に紛れ込んでいる。」と。
こう、はっきりと講頭さんは仰り申されました。 大体、人の文体というものはその人柄を顕し、誤魔化す事が出来ないのだと。 どの人が書いたかが、その人らしさが、その些細な文章にも必ずに顕れ得るものだと。言わば、文体・文章は、その人の個性だと。
だからどんなに言い繕っても、人は騙せない。池田大作著「旧人間革命」と「新人間革命」があれだけ文体が大きく違うのも、旧作は書店経営社長の篠原善太郎氏がものして、その後の新作は、聖教新聞選抜ライターチームが書いていた。完全な池田のゴーストライターだったのだ。これは知らない人も多いが、意外と業界では知られている事実だ。
それ位、創価・顕正会の謀略とは怖ろしいものだ。元はどちらも同根の、『暴力新興宗教』だからだ。
この事実は、私の動画群、ブログが、新たな局面、大袈裟な世だがそうじゃない。自身のネット広布の第二章が幕開け封切られた事を意味します。 特に、そうした一派は、多勢に見えて、逆に数が少ない一人かせいぜい二人とかの場合が多い。
それが虚勢を張ったりして大暴れしている様に見えるが、実際上は、そんなに数は居ないのが実情で、いわゆる、炎上、などというのも、怖れていても、大山鳴動して鼠一匹、であり、こちらの折伏行の妨げとなり得る。
詰まり、実体がハッキリしないだけに、顔の見えない相手との交信程、コワい者はないと思うが、そこが相手の思う壺なのだ。事の一念三千とは、そう言う所でも生きて来ると。悪の権化が一定数いる。それに怖れを為せば、大聖人様の「紛らわしくば、実教より責むべし」との御金言にも逆らい違う事になる。
とにかく、このネット上で、我がお寺の講頭さんが出くわした人物が、これは確証がまだ得られては現段階では言えない形だが、確実にその尻尾を追い詰める努力を、私は買ってでも、とにかく情報戦の世の中を戦い抜いて参りたい。「江戸の敵を長崎で討つ」(ことわざ)。