Kaettekita 私が思う あのこと このことReturn(Get Back Part2)

進取究明。日々の雑感を気ままに綴る私なりに思い考え行い実践する不定期の記録。日蓮正宗とは一切関係なく私個人の見解です。

好き嫌いじゃない、何を差し置いても、やらなきゃならないのが、『勤行唱題』

2023年05月29日 15時25分34秒 | 日蓮正宗総本山富士大石寺・御宗門・その御教え・教学・信行学
 かつて、創価学会の池田大作は、自身が入信した時の模様として、「(元々が自分のうちが真言宗で)南無妙法蓮華経が大嫌いだったので、嫌々、入らされたようなもの、創価学会に(趣意)」というような事を、入信の日の想い出として、告白していた。

 要は、話は、好き嫌いじゃないのである。好きだろうが、大嫌いだろうが、仏道修行は、待ったなしで、やらなきゃならないものなのである。

 それを、好きだからやる、とか、嫌いだからやらない、では、自己進歩、自由闊達な、自身がやりたいように、望んだ如くの、人生などには、夢にも歩めない。

 要は、自分なのである。自分がまずは、変わる事なのである。他の言い訳などは一切要らない。それらは皆、愚痴に他ならない。

 自己責任ともいうが、とにかく、最期に人生を笑えるか、泣こうか、わめくのかは、この自分自身の振る舞いにカギが握られ隠され、生命の、その後の行方を、下支えしつつ、決定するのである。それが、人の、特に日蓮正宗信徒の、あからさまで、明らかで、正直な、生き様である。

 自分自身が、全ての、人生上の権威権力を、覇権の剣(つるぎ)を、決定権を握っているのだ。それを知らぬ、多くの一般大衆が、悲しく、哀れでならない。一人残らずに、一般大衆を、地道に救っていきたいものだ。この大仏法を知れば、信ずれば、人生が変わり得るんだと言う、人生の醍醐味を、知るには、この日蓮正宗の大仏法の門を叩き潜(くぐ)る以外には、金輪際、有り得ない。

 そう、本日私は、否、いつでも、何どきでも、申し上げ、断言致します。

以上。よしなに。wainai