今まで88鍵ピアノがそのコタツの位置に大きな地位で鎮座ましましていたのが、その座に、今度は、算盤とPCが再度、戻って来た。これで全ては良かったのだ。全てが丸く収まった。今までが、異常だったのだ。これで良しだ。
今日、懸案だった、私が欲しかった、ついぞ待ち望んでいた、そろばん「トモエワンタッチそろばん」を購入した。土曜日に届く。
本来ならば、木曜日の今日、届くはずだった。値段は同じだったので、良かったが。
或る方が、ピアノを一曲でも弾けるようになったら聞かせてよ、とか、おかしな事を言われたから、私は私のいつも定位置で置いて存在していた、コタツの上から、嫌な悪い思い出しか残らなかった、非情なプレッシャーだった、コンプレックスの根源だった、それら、ヤマハの88鍵のピアノを完全に奥の間に撤去、撤廃、撤収、除去し、退去を願い、一掃して、一切、目の前から取り除き、見えなくした。
その代わり、そろばんを、私は自身一人で、これからは復習がてら、再度、勉強勉学学習に勤しみ取り組もうと考えている。
あと腐れなく、私なりに既に結論付けた事である。
もう、あの恐怖の奴隷状態のようなピアノ習得に執着する必要が全くないのだ、と考えると、これは、私は全て解放されたんだ、という、非常に自由な感覚が私を支配し、囚われの身じゃないのだと、それが自身を今では支えてくれている。
私は粛々と、そろばんの学習復習勉強、それに、出来得ればそろばんの資格習得に、そろばんは、年に何回も資格試験を行っているので、もしも上達が望めるならば、自学自習独学で本格的に練習に取り組み、例えそこまでいかなくても、本格的に、自由に再学習・再勉強をしてゆけるだけでも、私にとっては御の字だ。
私は自由に歩を進めて、正に自由人として歩む。自由、万歳!
そろばんは、今の時代では、正にマイナーな学習法かも知れない。
しかし、私は実際上、うちの家計簿をつける時々等々の段階でも、実にそろばんのお世話になっている事が多い。これは、ここ何十年も、その習慣は変らない。
そろばんを笑う者は、そろばんに必ず泣く。
そろばんが、外国では今やもてはやされている。日本のみが、その真価に気付かず遅れて忘れ果て、退化し、衰退の一途を辿っている。
とにかく、私は、そろばんとの、又、懐かしく、思いを馳せて乗せて、再度の学習に取り組む。勿論、電子ピアノも、やれる時が来れば、何度か思い出したかのように、学習に取り組むかも知れぬが、今一番の目標は、何と言っても「算盤」である。
以上。よしなに。wainai