或る程度の差別用語なるものはしょうがない。言葉狩りのコワさ 私は昼から夕方にかけて、ある方へ悪態をついた。それは、その方の差別用語擁護の書き込みを見て、そうなったが、だったら、法華経(正確には法華三部経、妙法蓮華経はその一つ)はどうなんだ、との話から、今回の顛末の結論、までいかないが、欧米の差別意識等も触れて、とにかく、言われたからと言って、怒っていたのでは身が持たない、それが今日の結論である。今時の、色々な差別された側の意識は、私も同情するが、とてもじゃないが、「法華経」一巻をも、字を書き替え直す等、とても恐れ多い事だ。それが出来るのは、基督教の聖書の類で、元々翻訳物で、そんなに原書、字などに拘らないから、そんな芸当が出来る。それが逆差別、言葉狩りを生む素地、原因となっていると私は睨む。
「検証!創価学会の実態」を朗読。福島県立安積高校校歌・応援歌熱唱 「検証!創価学会の実態」朗読。正本堂の誤りについて、先師・第六十六世日達上人猊下様、第六十七世日顕上人猊下様、いずれも一貫して、創価を教導、批判、破折されていた事実を申す。その一点で、創価は狂い間違えた。創価、及びその総元締めの会長・池田の大慢心を、ここでは触れて訴える。その後は電子ピアノに少し触れて、その後、福島県立安積高校の校歌、応援歌を歌う。以上。よしなに。wainai