先日来から、私は、短歌の会を通えなくなると、まるでこの世の終わりが来たかのように、嘆き節を奏でて、可哀想に、お寺の栃木から来ているKさんにまで、しわ寄せで、八つ当たりと言うのか、むごい事に、メールやコメント欄等にて、詰まらない事で責めたりしてしまっていた。
Kさんは、極めて紳士的に、いつも通り決して怒らず、私に接してくれたが。
しかし、本日夜方、短歌教室の先生から、私のスマホ携帯にショートメールが入り、訪看さん、訪問看護の方が来る、第二土曜午後じゃなくて、第二土曜日の午前中に短歌教室の公民館を予約した、というメッセージが、私が今さっき、夕べの勤行をしようと、一瞬間、スマホで見てみると、そんな良い、ラッキーな報せが、お祈りする前に、ちょうど、あったのだ。
やはり、この、短歌の、私の生活、大袈裟に言うと人生、の中で占める割合は、相当深く重く、強く、強盛な感じで、大きな影響力を持っていた事に初めて気づいた。短歌を習えないと言う、事の良し悪しで、こんなにも、微妙に自分の精神状態が、ぶれてしまうのかと。
それを、訪問看護の事務所に、早速電話を入れた。そして、短歌の会が、第二土曜日午前になった事を伝えた。
電話に出た看護師さんも、良かったですねえ、という。
私は、あくまで、念を押して、この前、前回のその前位に、土曜日午前中にも、訪問看護があった時があるが、今度は、何が何でも、短歌の会へと自分は行くので、申し訳ないが、その時は、訪看は、休ませてもらう、と宣言した。
ちょうど、私は、訪看の中でも、長の人が、私の担当なので、どうしても、お忙しく、そうやって、金曜日になったり、土曜になったり、それも時間も一定していない状態であるから、先にこちらから、釘を差した形となったが、向こうも、それは私wainaiさんの自由ですから、自由に決めて下さい、と実にあっさりと言われた。
とにかく、私は、本当にラッキー、幸せ者だ。この喜びは、何ものにも代えがたい。
一人で、ストックしてある赤飯でもチンして温めて食べて、今日の日を、お祝いしようかとも、考えている。
以上。よしなに。wainai