この文章、メールは、元々は、俳諧、俳句をたしなんでおられる、栃木のKさんに書き送ったものです。彼とは俳句と短歌、という違いはありますが、いずれも定型詩であり、その一定の限られた文文句句に一瞬を込める事は共通性があります。
元は、私の記事のみであり、彼の言葉が一切出て来ない事、私に著作権がある、との判断から、ブログのネタ不足解消の一環に、こうしてコピペ、コピーアンドペーストして、書き置く次第で御座います。長文失礼。
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余りに長文の為、御ヒマな時でも、一読頂けると幸いです。
そして、感想なども、出来れば貰えればとても嬉しいです。
私も、今現在所属の短歌結社「アララギ派」の、東北大学扇畑教授の「群山(むらやま)」という、
結社ですが。
短歌の、初心者、中級上級者問わず、
五七五七七に必ずしも則らなくとも良い。ここまでは何となく判る。
そんな、NHKなんかでやっている短歌は、我々、「群山」でやっているような、
「高度な」文語体の格調高い、気高い作歌姿勢なんか理解は到底出来ない。
我々の短歌結社、東北大学教授の扇畑忠雄先生の「群山」には、向かう所敵なしなんだ、という。
実際は、ここ、町の大槻公民館で、実地に教えだしたのが、去年の五、六月頃。
正に、私が本格的に、作歌活動を始めた時期に、
この先生は教え始まった。
それに、私は元々はと言えば、「古今和歌集」「新古今和歌集」などの、
平安文学、鎌倉文学、その後の日本の文学に色濃く影響を遺した、
それら、和歌文化に憧れをいだいたのが短歌の出発点でした。
それらを真っ向から否定し尽くした一分派が、この先生や、正岡子規、斎藤茂吉などの、
いわゆる、アララギ派と言われる、私も今も所属している流派の、
その先生言われる、東北大学教授(今は故人)率いた「群山」だった訳です。
そして、先生は、それら、私が志向した、古今集、新古今集は、
貴族文化のものだ、あれは。庶民のものじゃない。この一点張りです。
万葉集こそが、立派な唯一の、認め得る歌集だと。
しかし、その万葉集も、まともに、全巻、一読した人など一握りに過ぎない。
余りに膨大過ぎて。先生も全部は読まず。おそらく、正岡子規も、
その先生が、尊敬する斎藤茂吉、この人の短歌をモチーフに、
だいぶ、長丁場、話を続けて居られて、茂吉は、先生の大の好みの歌人ですが、
私まで触発されてしまい、電子書籍で斎藤茂吉の全集を、
二千円余りで買ってしまった程、先生に私は絶対服従であった。
これは私の意志で買いました。
この歌会に出る、私の作歌活動も、
この所、
鈍くなり、
歌が全く出来上がりません。
不思議と、先々月の、
講習会、総本山富士大石寺へと行って以来、
出来上がらなくなってしまいました。
公式には、文語体、古文法、旧仮名遣いに限るのがここの掟だ。
こんなんでは、私はもう、納得は出来なくなって来た。
私にとり、確かに地の利は良い。
郡山短歌研究会・教室、としては、
この、我が住む町、大槻にあるからして、
非常に至近距離であり、
便利なので、私は我慢もして通った。
とても作歌への熱意も湧き、勉強もたくさんした。
しかし、いかんせん、その短歌結社の、決まり、というか、
あの、高名な、有名所で、北原白秋やら、若山牧水やら、与謝野晶子、
石川啄木ですら、あれらは、アララギ派の傍流で全く関係ないのだからと貶め、
全く認めようとはせず、
われらアララギが本流なんだ、とこうである。
この団体そのものに欠陥を抱えているのに間違いはない。
石川啄木ですら、あれらは、アララギ派の傍流で全く関係ないのだからと貶め、
全く認めようとはせず、
われらアララギが本流なんだ、とこうである。
私は、短歌の世界は、それはそれなりに広いとは思うが、
こんな田舎の、郡山市西部の、大槻町の、公民館で開く、
片田舎の、農民相手の、自分で習い始めた先生で、
やっと、私を始め、男の人も、その男性は昭和の頃、出稼ぎで大阪へ出た人が一人、数少ない男性生徒。
しかし、法華経にも詳しかった、東北岩手の、宮沢賢治は、
そこの農学校の生徒には、見るべき、出世した生徒がいたとは
にわかにはいなかった、信じられない程に。
しかし賢治は、一人孤高であり、その秀才ぶりを発揮した。
せっかく、栃木のKさんからは、
歌、短歌の手ほどきとして、
歌会に出る事の意義、重要性、
を去年だったか、教わったばかりではあったが、
ただ、地の利だけが勿体ない。この近所にこんなに便利で至近距離で。
否。今は余計なお金などなくて、
ピアノも習えない有様です。緊縮財政です。
おかげで、金欠病で、定額賃貸読書本、
アマゾンkindleアンリミテッド、月額980円も、
退会して、辞めにした位です。
今の時代、どこも世知辛く、
生活を普通にこなすのもたいへんであります。
余りの長文に、お気に触らぬか、怖れております。
以上。よしなに。wainai、長文、非常に失礼。
※編集後記
私は考えを更に一歩進めて、今までの考えを改めます!この際、思想信条など関係ない。「君子豹変す」この、短歌教室の地の利を活かせる場所、教えの庭は、こんな近所で、自分は非常に恵まれた環境にいると思う。それに今まで気付かなかった自分がバカだった。
とにかく今は自身の暗愚な考えを改めて、仕切り直しをしつつ、関係修繕に努めたい。再度、宜しくお願い致します。
よしなに。
※九月七日土曜日、之を記す。
今日、九月の七日に、短歌教室へ行って参りました。そこでは、いつも通り、和気藹々とした、生徒さん、先生の、短歌の批評合戦が展開されていました。
私も打ち興じては、そこで、発言権も許され、何事もなかったかのように、いつもの私がそこにはおりました。
この、意地の悪い、アマゾンのレビューの事も先生に報告致しました。先生は、中には、世の中、色々な人がいるから、玉石混交であり、まるっきり、批判に暮れる人もいるでしょう。それでいいんですよ。言論自由の世の中なんですから。
けれども、私共、「群山」の短歌結社では、アララギ派の流れを汲む、正岡子規→伊藤左千夫→斎藤茂吉→土屋文明→扇畑忠雄東北大学教授、その弟子たる、郡山市立大槻小学校の校長を務められた、國分清雄先生、その後を継いだ先生のお母様恵先生。そして、その子たる、國分滿先生と、脈々とその系譜を引いて、正統派の流れが、我が、アララギ派であり、しかも、「群山」。その時代背景を考えると、胸が自然と熱くなって来る。
とにかく、私は、この短歌結社「群山」を辞める気は毛頭ない事を、ここに宣言するものである。
敬具。よしなに。以上。