歌作、作歌活動、歌をつむぎ歌う事は、作ろうと思って作るんじゃない。言いたい事、自分が一番いいたい事を言う。「衝迫(しょうはく)」=斎藤茂吉。
詠歎(感動を表現)
一、詠歎の助詞 は、な、かな、も、や、ね、を(かなしも)
二、詠歎の助動詞 かり(悲しかりけり)
三、詠歎的余剰を含み得る らむ、べし、より、よ、に、か、ふ、つつ
動詞の終止形止め〇
連体形止め
已然形止め
意味 ~なあ、~だなあ、~のことだなあ
最初は私の歌。
去年(こぞ)の夏カルガモ一家我が寺に巣を作りてしやがては去りぬ
「去年の夏」=これは必要。「カルガモ一家」=必要。作りてし
「し」は強調。(「やがては」=いずれ去る「やがて」は「去年の夏」がなければ成り立つ。)
(生徒さん)「やがては」の所がなんかないのかなあ。
もうちょっと、違う言葉がないのかなあと。
「カルガモ一家の状況」
(男性生徒さん)その後はどうなったのか?
私。このカモたちは、夜中の内に一斉にいなくなった。ネコに襲われそうな時は、母ガモが一生懸命になって追い払っていた。そして、忽然と姿を一夜にして消えた事から、近くの、小山田橋という橋がある川(「小山田川」だか「亀田川」だかサッパリ判らぬが)に行って、親子で巣立って行ったものと思われる。
(先生)短歌は状況を言うと説明的になるので×。「具体的に」・(説明的じゃなく)。しかし、「固有名詞」や「地名」等は、これは短歌においては有力な武器、道具となり得る。積極的に使って下さい。
作り方を変えた方が良い。親ガモがネコに襲われそうになる、それを守った親ガモ。そこをクローズアップして、もう一段掘り下げてみては?
この歌の、この内容の、これでは、ただの「報告書」=状況説明に過ぎない。
(先生の私への励まし)最初から短歌の歌詠みが出来る人はいない。数多く作らないといけない。
(生徒さん作)
団塊の朋(とも)が逝く夏別の知らせや礼服あはず新調をす
(先生)意味としては分かりやすい。
(生徒さん)「別の知らせや」がいらないのでは。
(生徒さん)「別」とは別れの「別」なのではないのか。
(私)この歌の前半は別れを歌っている。そして後半は服が太って来て合わないおかしみ、ユーモアでまとめている。これはこれで、二つの歌意が混ざっているようだが、そうではなく、同時に、ドイツの哲学者、ヘーゲルの如くの、反、合、反、と、止揚、アウフヘーベンしていて、私はこうした作りの歌は結構好きだ。
(先生)上の句の下の句と、どっちが言いたいか?
(作者の生徒さん)人が、友が、どんどん亡くなってゆくのが言いたいが、女房にも夫婦で洋服が合わない、ユニークさを出したかった。
ここで、先生の今日の私の質問の話
NHK短歌講座の「作歌のヒント」レビューに、ついて、ああいうアマゾンなんかの書評、レビューは玉石混交。
平安・鎌倉の時は、貴族文化、公家文化。あいさつ程度の歌・作歌。
正岡子規(以降)の作歌態度、作風、姿勢は、全生命を懸けたぶっつけた歌。
(生徒さん作)
桐の花高きにありて見下すか見守り咲くか風とささやく
「桐」=高嶺の花。高貴。「桐」の位の高さ。豊臣秀吉の家紋。皇室の家紋。戦国時代に秀吉が乱発し、価値が下がったが、今でも高貴。この場にいる生徒さんにも、先祖を辿れば、秀吉に繋がり、家紋も五三の桐、五七の桐、などがあるという。
ちなみに、我が家の家紋は下がり藤、である。そして母から伝説的に聞かされたのは、我が家は平氏、平家の末裔であり、その、壇ノ浦の戦いで源氏に敗戦後に、落人(おちうど)、落ち武者となって、山口県から、はるばる、鹿児島県の奄美大島まで落ち延びたと言われている。これは余談です、ハイ。
とにかく、話を戻すと、この歌は、高い位置に咲く花と高貴さとの、「二重構造」の二つの意味を持った歌。
「風とささやく」=擬人化。短歌としては、「擬人化」すると意味が失われる。結社にも色々あるが、「群山」は「写生」が第一。
読者に任せる。読者は同じ歌を読んだ時の、その人の心の中を自分で感じ取る。「ささやく」では、「結論」になってしまう。
「見下す」=これも、みくだす(「桐」の権威)、か、みおろす(あたたかみ)自然な感じが…。(作者)「みおろす」かな。
(先生手直し)
桐の花高きにありて見下(おろ)すか見守り咲くか風に揺れつつ
(先生)短歌は単純なのが良い。
(生徒さん)桐の花が頑張って、というのか、五月の中で。
(私)桐の花って見た事が無い。そもそも、桐の木ってみた事が無い。キリの下駄は履いて持っていて、今でもうちにあるけれども。
(先生・皆さん一同)今の若い人は、言われても判らないですよ。
(この前、前回の八月の歌会でも、私は幼稚的な質問「ほたるぶくろ」ってなんですか、とやってしまい、それの説明に先生は時間を取って教えて下さった。しかし、その時電子辞書が手元になくて、今、今日、植物だったと知った次第。生徒さんも花の色は、桐も蛍袋も同じ色、紫色、というので、桐は今日は、電子辞書で調べて現場で分かったが、蛍袋は、帰って来て今日分かった。よく見る花だと思った。雑草と間違えそうな。しかし、桐が何とも言えない不可思議さがある)
(生徒さん作)
公務なきけふは終日(しゅうじつ)晴れ予報汗流しつつ庭の手入れす
(私)「終日」は「しゅうじつ」なのか「ひねもす」なのか。釈然としません。昔それこそ、貴族か何かの歌に「ひねもすのたりのたりかな」といった歌がありましたね。
(生徒さん)これは「しゅうじつ」と読みます。「ひねもす」ではありません。
(先生)「群山」の「扇畑先生」=「土屋文明」がアララギ派の直接の愛弟子、継承者。その直系の、扇畑先生が、仰るには。
わかりやすい字でいいんだ!わざと、難しい字は使うな!感動を出すんだ!
「谿(たに)」「たに」にもこんな字もあるが、「谷」でいいじゃないか!
「公務なき」(先生)具体的な方が良い。
自分の感情の中心がどこに行くのか。
(生徒さん)解放感があったので…。昨日までに、昨日作った歌。うれしくて。
(先生)「公務なき(今日)」と最後に持って来た方が良い。
自分の生活の中からモノ事を見てゆく。忙しい中で、やっと時間を見つけて、
そのハツラツさを表現出来たらいいなあ。
(以下、次の歌の歌評へと続く。乞うご期待!)
以上。よしなに。wainai