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福祉団体・S協の横暴・トラブルに怯えた日々・春三月

2023年05月18日 06時57分42秒 | 『福祉』『介護』病院・障碍者・高齢者福祉。母の優しさ。借金ローン返済地獄解決篇
 私の家に以前、S協(郡山市S会福祉協議会ヘルパー部門)という、ヘルプサービスで、調理・料理の手伝いに来ていた、K谷、という下っ端ヘルパー女性が居た。

 その女性と、K名という、これは責任者、主任である。

 その時、何故か、私の年齢の、事で、話の中心になった。

 その時、K谷、という、このヘルパーは、私の年齢をきいて、「もう、五十なんて、相当な、ジジイだばい!(福島郡山弁)」と、おもむろに言われた。

 その場には、その、K名、という、S協の主任までいたのだから、言わなかったとは、言わせない。言質は、取れている。

 あれで、あの一言で、私はその日一日、イヤな気分になったし、その言葉に打ちのめされていて、いまだに、トラウマにもなっている。

 あの、K谷という下っ端ヘルパーは、六十後半らしいが、七十にもなる人に、そんな事を言われてショックで、心外だった。若い人に言われるならまだしも。そんな年上に。そうして、それでも、微妙に、年齢には、私自身、非常に苦にして、気にして、気にはなっていて、ナーバスになっている現在の年頃なのである。

 とにかく、その、K谷、という人は、この間の、私達、私のヘルパー事業と私との、トラブルの元ともなった、問題ばかりを起こす、私と逆の意味で、トラブルメイカー、今回の事で、重要なカギを握る、始末の悪い、女性なのである。

 実に思い出させるのは、サービス事業中、ヘルパーの掃除の手伝いの最中に、どんどんうちの我が家の、別の部屋まで、余計に掃除を、大盤振る舞いでやった積りが、私は一部屋だけで充分で、掃除をそんなに手広く、やらなくていいという注文を出しても、この人は言う事を聞かずに、そのまま、パソコンの電源に、足か、掃除機の柄のどちらかを引っ掛けて、パソコンの通信がおかしくなり、パソコンを壊しかけた、張本人でもある。

 私は、申し開きを今、ここでするのもアレだが、女性歌手・「柴田淳さん」の、三時間五十何分に及ぶ、彼女の二十年間の集大成のブルーレイを、その三月の週の土曜日に、うちに来たそのK谷ヘルパーさんに見せたのが、大間違いの大本根本だった。この高齢女性に見せなければ、少なくとも、未だに、S協だけでも、契約期間は、続いていただろう。

 ただ、M光は、この期に及んで、勝ち馬に乗るのが目当てだったように思えてならない。だって、余りに、S協との、協調関係性、情報共有のシステムを最大限利用し尽くした、有り様が、魂胆が、分かろうというものだからだ。首尾よく意のままに操る、両社ともに、意地悪な奴らだとしか思えない。利用者一人を、二社で、同一に、振舞おうとはね。

 その下っ端スズメの、K谷ヘルパーが、その、サービス施行中の、約一時間にわたって、それら、私が大ファンだといった、柴田さんの悪口・文句を、きっと、姑ババアならば、こうやって、嫁いびりをするんだろう、という位、口を極めて、文句、悪口雑言、罵詈雑言の限りを我が家において繰り広げた。私が聞き捨て成らぬ位、程に。私はその期間、我慢を強いられた。際限のない程の、口汚い、その人間の性悪の薄汚い根性に、こちらの心、精神までが、汚染されそうになる程だった。ハッキリ言って、本当は、その美しい歌声、美貌に、うらやましくて、敢えて、失点欠点のない、完璧性の有る、柴田淳さんに、何とかけなす所がないかと、そちらから待ち構え受けて、ケンカを売ったんだと、今は私は、思い返す。

 あんまり、尊敬出来得る、人物でも、そのヘルパーは、無いよ。ハッキリ言って。中学校卒臭かったし、美容師の仕事もしていたが、仮の、お手伝い程度であり、正式の国家資格免許の、美容師免許などは、全く持ったり取ってはいなかったらしいしね。

 すぐに、どこかの、利用者の話を、これは、どのヘルパーも、皆、誰も、同じではあったが、守秘義務なんて、無きが如し。皆、どこそこの家庭で、こんな事、話があった、という返事、答えばかりをする、所構わず。だから、私は、ヘルパーは皆、秘密を守れない、そこらじゅうで、チュンチュン鳴いている、「スズメ」と同じだ、とハッキリいうのだ。 

 そうして、そのヘルパーに、「ブルーレイってわかる?」と聞くと、何それ、分からない、との答え。

 要するに、最新式の、映像システムに、なーんにも、自分の知識が付いて来ないのだ。

 DVD・レコーダーは辛うじて、知っていて、その、K谷という人の家にもある、十年以上前に買った、と言った。

 おそらく、K名という主任の人ですら、ハッキリ言って、それらの知識など皆無で、オーディオビジュアル事情・関係も、おんなじようなものなんだろう。似た者同士で。結託し合ってて。

 だから、一時間に亘り、K谷という下っ端ヘルパーが、ヘルパー時間の実践実行中に、ずうっと、そのアーティストの文句を言っていた、と直接K名という人にクレームをつけて言っても、一切信用せず、そんな、一時間も、おんなじことで、文句を言う人なんかいない、と、まるで、私がウソを申しているかのような、ハッキリ言って、「決めつけ」で、この、事業所は、動いているんだと、明らかにそうと思い致した。ハッキリと分った。この事業所は、その時点で、「利用者・クライアント・ファースト」じゃなく、自分らが主役、と思い致しているのだ、との、諦めの境地が、私に次第に生まれて行った。

 DVDならば、そんなに、映像が大容量じゃなく、安価である。それに対して、ブルーレイは、大容量・高画質・高価である。それに対して、逆恨みも、その下っ端ヘルパーにも、勿論あったのだとしか思えない。

 とにかく、これら、女を中心にした世界の、女稼業・ヘルパー事業の、限界性を見たような、ただの失望を感じた日々だった。今太閤の如くえばり腐った、それら諸々の仕事の将来性の無さを、おそらく、十年後には、それら事業所は潰れていて、何者かに取って代わられている事だろうと思い致しながら、可哀想な人々、と思わず皮肉の意味で、正直、同情の念を懐いた、私の春三月から四月への、或る一日の出来事であった。

 以上。よしなに。wainai

※PS、編集後記、文章の付け足し、自身の反省・自戒の念をも込めて

 本当に、私も、ある、お寺の人だか、別の福祉業に携わる方に御忠告されたが、私が、いつも、福祉の人が来ると、音楽が掛かっている。それが、問題の元であり、音楽の趣味が、私とは違う方々も、沢山、それこそ、一万人いれば、一万人なりの、趣味嗜好が、志向が、違う人、方がいるのが当たり前なのが、この世の真相、実相、実態なのである。

 だから、それを非常に御注意・御忠告なされて、音楽というものも、それら、他人(正にそうである。私は、今は施設に居る母親が我が家にいた頃と同様な気分で、音楽を掛けていた)への、趣味嗜好も、十分考慮に入れないと、充分な注意を改めてしないと、そういったトラブルに巻き込まれかねない、と、今回の事で、重々、警戒なされて言われた。

 私は自分なりに、思った。

 カラオケ等の歌が、人の前で歌う事が好きな人と、嫌いな人がいるように!

 同じように、カラオケ等々、自分で歌うなど、以ての外。聴くのも聴かされるのも嫌だ、迷惑だ、という方々も確実に居られる。

 その音楽を聴く時間帯、その場のシチュエーション。時・場所・場合、等々。その場の雰囲気。その音楽を掛けて、歌っても良い、環境下にあるのか。果たして。という、自己反省も、大いにある。これらが、今の自分には、全く欠けていたのではないのか。

 音楽にも、好き嫌いが、ハッキリと、別れるから、自分が大好きで、人に勧めたくても、人の好みは、千差万別、相当違い、音楽においては、格差、というか、差別・序列が厳然としてあり、それを押し付ける事など、誰人にも、勿論私にも、絶対に出来ない、出来得る筈が無いのだ!それは、非常に失礼無礼不躾、極まりない。

 音楽をこちら側から強制するならば、それは、拷問にも近い、等しいものともなり得る、事も有り得ると!

 音がしない、無音が好き。音楽や、映像の音、とにかく、音が鳴るものが大嫌いな人も、事実、実際上、確実に存在する。

 私も、自身が集中力を必要とする時、実際に、音楽やラジオテレビ類は、必ず止める。

 こうしたブログの文章などは、音楽、ラジオ等々を聞きながらの執筆も有り得るが、大事な方、母親への手紙の執筆等々には、当然、それらのウルささに辟易しつつ、集中力を削ぐために、それらを必ずに消す。

 自身が最も大切にする、お祈りのお勤め、日蓮正宗の朝夕の勤行の大事の時なども、最大限、非常に音に気を使い、一切、実際に祈っている最中には、自分の読経唱題の声のみ、それに徹する。それら、音の出る機械類、趣味、楽しみ事等は、絶対に必ず止めて、停止させる事を常とする。それが祈る者にとり、非常に当たり前な話、当然の帰結、大前提であろう。

 実際、私が今も籍を置く、作業所では、音楽ラジオ厳禁、となっているし、今どき、音を立てて良い作業所など、皆無だろうと職員さんは言う。音は、仕事の邪魔なのだ。

 私が非常識にも、音を立てて、そのヘルパーに刺激を与えたのが、全ての諸悪の根源、原因なのだろう。おそらく、ここにおいては。

 けれども、私の言い分も言わせてもらえば、そのヘルパーも、一言、余計で、大袈裟、お節介だった。余計な、外野の意見を聞かされた。こちらの気持ち、意見も、聞いてくれ。こちらが嫌だと思い、その時間を無理矢理過ごさせられた。あのイヤな気分を同じく味わえ、味わってみろってえの、その主任も、そこの、ヘルパー一同全員、皆も。その時間は、こちらは、地獄を味わったのだから。本当に。大概にしろって。

 結局、自分にとっては、月曜、木曜、土曜日と、これら、諸ヘルパー事業に関わった、それら、ヘルパーの人らに、私の重要な時間を、何時間も割かれて、不自由をしていた時間から解き放たれて、今は自由時間を味わえる。そういった、自由な身分へと、福祉の、まるで奴隷だったかのような。それこそ、心底から、福祉に骨抜きにされた、でくの坊のような自分から、覚醒、生まれ変わった程の、人生に革命がおこったが如くの、生活上の変化、良い兆しが生まれて、これが立ち上がり、出来上がったのであるから、こうした、文句を言っても、しょうがない。むしろ喜び、感謝を捧げるべきだ。

 原因結果の追求も、もう終わった事であるので、これ以上、もう、拘らない。この他の福祉事業所、M光産業、も、同じような、ボタンのかけ違いに因る、双方の、言い分もあるのだろうが、私の言い分も是非聞いて欲しかった所だが、言っても聞かない事業所に、何言っても今の段階では無理であるからして、これにて、このどうしようもない、話の顛末は、これにて打ち止め、終結する事とする。


 まあ、バカらしい、阿保らしい、事業の利用者・クライアントとしては、何一つメリットなど一切なく、最悪の被害の結果をもたらし、生み出した、その福祉業者たちの、ケツのまくられ方の、こちらが一切のバカを見た、生活支援事業所の所業であった。

 全ては、後の祭り、である、後の祭り、であった。惜別の情は、この際、全く要らない。最初だけ騒いで、関係を作るよう持ち掛け、保ち、その後は、一切が、掛けたはしごを外される如きの、無情な程、無関係となった。福祉など、無責任さでは、一切、皆、同じ様なもの、なのであろう。一切、貴方とは、関係など、無いのですよ。として、最後通牒を突き付けられる関係性。最初だけ、大袈裟に、契約等々を結んで、次第に増長し、慢心して、最後は、打ち捨て投げ捨てられる特殊な関係性。

 情などは、通うようで、一切、通ってなんかはいなかった。その関係性に、一抹の不安感をその間、いだいた。一縷の望みをいだき、その非常に細い、今にも切れそうだった繋がりに、私は自身の未来を、私の現在の生活を唯、一心に委ね託していた。愚かにも。

 今は唯、寂しい。本当に、心配してくれていたのは、私、利用者・クライアントとの、関係性があった時のみだったんだ、とのみ思う。それら福祉産業の非情性を思う。現在の、偽らざる、自分自身ではある。あの最初に取り交わした、契約上の、冷たい、冷徹な、非情ともとれる、紙一枚で、物事は動いてしまっていたんだという、その実際の事実上の、如何ともしがたい、現実感。

 親子の関係性、家族の関係性。それらを模倣した、その日のその時間を以てして、アットホームに、家族的に振舞うが、時間時限が来れば、あっさりと、今までの言説・言辞がウソのように、我が家から皆、判で押したように、これで御仕舞にして自分の家に当然の如くに帰ってゆき、今さっきまでの態度とは逆で、打って変わって、裏腹で、突然、当たり前の如くに、去り果ててしまう。その、二重人格、偽善者の様な、人当たり。

 一般的に、その時の、置いて行かれた時の、置いて行かれた者だけが何度も味わう、寂寥感。寂莫感。ただ、寂しい。そういった、寂しいという、感覚のみが毎回、私の胸中には残る。自分一人だけの、一人しかいないんだとする、孤独感。孤立感。誰も、私の味方はいないのか、との、永遠に続くかの如くの、限りの無い程の、自己批判、自問自答。自責の念慮。全ては、自己自身の、孤独感・孤立感に、端を発する。

 これを聞いて、これを思うに、これは、買い物・料理を作ってゆく事だけはしてゆく、疑似家族、模倣家族に外ならず、実際には、当たり前だが、家族でも、自身の眷属でも何でもない。唯の、赤の他人を、我が家の家の敷居を跨がせ、平気で入れて、私は今まで、家族同様にして、平然として、当たり前に奉っていた。

 道理から考えても、そんな事、自明の理である筈なのに。契約上の、関係性。どんなに相手に、ほめそやされ、アットホームに思わせぶりに、触れ回られ、フレンドリーに、そんな振りをされたとしても。

 正直な所、実際上は、そういう事、世の中、皆、他人の人々だ。そういう事は、一人っ子の私には、疎すぎる程、世の中というものを、知らなさ過ぎた。お人好しを、地で行っていた。余りに無知で愚かでバカだった私…。

 悔しかったら、自分の腕一本で家族をこさえてみろ、という話。自分自身の家族を作ってみろ。それだけの、事が出来てから、ものを申せ、という話。決して、あの人らは、自分の家族が他にも、自分の家庭というものがあり、その家族を守る為、稼ぐ為に、私というクライアントを、利用し、踏み台にして、お金をもらっていた。ギブアンドテイクが、そこには、成り立っていた。それが真理真実。

 全ては、あの契約書の言われる通りの、通り一遍の関係性だったと、ハッキリと、分かった。気付くのが遅かったけれども。世法は、仏法の一分であると。ハッキリと自分で、確証した。

 
 まあ、この、福祉産業・業界の仕組み、成り立ちも、私は直接は知らないが、ただ、我が家に来ていたそれら、福祉の会社組織の成員の話などから聞いてみても、余り、将来性のない、成り手の乏しい、事実、ブラック企業のようでもあり、誰一人、新入社員としても、入社就職はしたくはない程の、入社したい人など全くいない。

 初めからガン無視、新規採用をしていても、若い人からは魅力ある職場とは最初から看做されない。その噂を聞きつけて、その場の、その会社の、超高齢の、ベテランばかりがのさばり、誰も来ずに、誰も成り手のない、入りたくもない、入ったら地獄が待っている。そんな感覚を受ける。

 入ったら非常に酷使される、就業規則、体系の、とにかくこんな会社には入りたくはないという万人の暗黙の了解。若手が誰も入っては来ない。事実はそれらが全てを物語る。暗黒の、それが福祉産業業界の闇の実態だな。とこれは、私の様な利用者側からも、確実に言える。これはひとえに感ずる、事実・実際上・実感である。

 毎週、毎回来ていたヘルパーさん達の愚痴等が、ここには、若い人達は、絶対、嫌って、一切、新入社員がいない、来ない。募集してても、来る人など皆無、それ程のブラック。成り手が何と言っても、初めから居ない。との、もの好きだけが、この事業をやってるんだ、との苦情を皆が皆、申していたのを、これを聞き、これを見て、これを考えた上での、それだけでも、その将来性に不安を感ずる。未来将来、明日のその会社の存続自体が果たして有り得るのか、が危ぶまれる程の、の究極の畏れ、の、どうしょうもない、税金の大量投与等でそれらが成り立っている。それら産業、事業所群の、諸行無常の、風の前の塵に同じ、の、一端とはなるわな。

 まあ、それら諸事に、それら会社の未来などに、私が心配している事も無い訳だ。なるようにしか、ならないのだから。運命が如何に過酷だろうと、自業自得なのだから。それ相応の未来しか、残ってはいはしないのだから。


 非常なる、長文駄文、失礼仕りました。

 自身も非常に、今回の事で、後悔、困惑、迷い、寂寥感、一人ぼっち感、等々、感慨・感想等、思い至る所、等々が多々、あったものですから、この度の様な、長い文章をしたためる結果、次第となりました。

 皆皆様、御無礼、御許し下さいませ。

 けれども、言いたい事共は、全部、腹の底まで、言い尽くし、吐き出せました。

 今は非常に気分が楽になりました。今現在の気持ちでは、心は平安、安楽安泰であります。

 ここまで自分を導いてくれた端緒となったブログという文章作成記録記憶装置媒体に対して、感謝を申し上げ、捧げます。

 最後まで読んで下さった方にも、誠に、有難う御座いました、と言いたいです。
 
 再度。以上。よしなに。wainaiより。


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