ジャズには想い出がある。
私は、ホテル勤務時代の三十歳になったばかりに、或る、一種のアルコール中毒者に、酷い目に遭わせられていた。それは、ほとんど強引なまでの、酒の強要であった。
これは付き合いだから、断れない。だから、仕事のシフトが終わる、最終日、たった一日の休日の前に、お酒に付き合う、という私の流儀は通させてもらった。
とはいえ、迷惑だった。私は本来が、お酒は向いていないと、この時をきっかけに、大の酒嫌いとなったのだと、いまハッキリと思い出せる。
しかし、そのお酒好きの人は、自分が酒を飲んでいる時と、たばこをふかす時が、何よりもご機嫌な感じであり、私なんかも、彼のは自慢話が多いのだが、決して、それが嫌いではなかった。
私は人生勉強の一環としてその話に熱心に耳を傾けた。
だから、当時の私は、どちらかと言うと、話し上手な面も多かったが、むしろ聞き上手でもあり、職場でもいろいろな人に人気が私はあった。
酒を飲む、という行為そのものが、私もその場の雰囲気に呑まれる体質ではあったのだろう。
しかし、その酒の席の場では、その人は、福島出身、という事で、私と好対照であり、それに他の職員にも福島県出身者が一人いて、これでトリプルふくしまだ、などとふざけ合ったものだ。
そして、彼の音楽の趣味は、私が現在最も苦手とする、「ジャズ」であった。
しかし、私は当時から、良く彼に飼い慣らされていたから、ジャズの洗礼を受ける事になる。
彼の好みのジャズメンは、何といっても、トランぺッターのマイルスデイビスであった。その人の、これは、「死刑台のエレベーター」という作品がいいから、是非とも、CDを買う事を勧められる。
それは映画音楽、サウンドトラックであり、作品名はものものしいが、別段、聞き苦しい音楽でも決してなく、むしろ感動ものだという。
それから、「スケッチオブスペイン」だったか。この他にも何作か、彼のお気に入り、お勧めのマイルスの作品名が挙がった。
それに真に受けて、私は「死刑台のエレベーター」を購入する。そして、母も、この映画がフランス映画で、その映画の特大ポスターが、当時の東京の街に飾り出ていた事など、懐かしそうに母は私には言って聞かせた。
しかし、この男は、決して母の思いにかなった、私の教育係とはついぞならなかった。
それは、父兄会的な、私らのホテルは障碍者雇用のホテルだったから、そういった、組織があり、そこで、その男の人に、お酒を飲まされそうになった、という女の子の親からの批判が挙がった。それにうちの母も賛同したようだった。
そして、私はその年の最後は、もう、酒席には出ないように仕向けられてしまった。母も、良かったじゃない、というものの、何となく、疎外感で一杯であった。
その男は、私を遠ざけたが、それは私の母の助力に依る所も大きい。母には絶対に太刀打ち出来ないと、彼は踏んだのだった。
それに私も、それ以来、現在まで、お酒は一滴も飲まずに、今日まで過ごして来た。元々性に合わなかったし、体にも精神にも、心にも、何もかも、合わなかったのだ。それ位、現在の私は酒が嫌いだ。
それだけれども、その以前の、彼との、ジャズの交流では、私が夏休みがてら、郡山の実家に帰省して、ちょうど、五木寛之の「さらばモスクワ愚連隊」という短編小説を読んだ事を話した。そこでは、日本人の大人の人と、ソ連時代の首都モスクワに巣食う、不良少年だったか、その交流が描かれ、何故かアメリカ文化の、「ジャズ」が主題、モチーフと言ってもいい位の、音楽で地位を占めた小説だった。
それを話すと、彼は「面白そうだな」と言った。
それから、秋になり、今度は古本屋にて、「海を見ていたジョニー」という、これも五木寛之先生の、確か米軍基地を題材、主舞台とした、これも短編小説で、すぐ買って、そして読んだ。
これを、報告、読書感想がてら、その男性に言うと、お前も、五木寛之が良く余程好きだな、そして今度もまた、ジャズで、外人の話か、と言って、今度はあきれられた。
しかし、この人は、自分(彼)が病院に入る前は、本当かどうだか、「コピーライター」を職業としていた、と言っていた。
そして、東京の何とか苑とかいう、結婚式場のキャッチコピーを、昭和の頃、その人が考えたという。
その他、自作のキャッチコピーを沢山披露していた。
私は、その他、この人が虚言癖があるのじゃないかと疑った時もあった。
それは、その私より年上のその男が東京に出て来たばかりの若い当時、彼女がいて、それがNHKアナウンサーだというんだが、余り売れない女性で、時々、第二チャンネル、教育テレビに出ていて、それをこの人が家のテレビ画面で見ていて、実際には、家ではこの人と同居、同棲している、といった内容だった。
これを嘘と取れば、私の妄想とも言えるし、この人が、元々虚言癖というのか、それこそ妄想狂なのか。全く分からなかった。それがこの人の元々の願望なのかも、分からなかった。
とにかく、私にとっては、酒も飲めないのに、いっぱしの酒飲みを気取り、実に豪快に飲む、その実は、飲む一口で顔が真っ赤っか、その後は、顔が真っ青、そして時には気分も悪くもなる。そして、夜通し眠れなくなる。朝が白むまで。そして次の日は二日酔い。これじゃあ、健康にも体にも良くはない。
母とは、その時代は、二千年代初めの頃であり、うちに、詰まりは郡山に帰って来てから、そんな所から離れられて、良かったじゃない、と言われて、私自身、ほっとした体験だった。かなりの無理、金銭的負担、時間的負担、労働的負担…。多くの手間と犠牲の上に成り立った、私のホテル業での武者修行だった。
その悪夢の様なホテル勤務暮らしの後は、郡山の家で、ちょうどその頃、ペヨンジュン、チェジウ主演のNHKドラマ「冬のソナタ」が始まり、私ら親子、母子は、大変に気に入ってそのドラマの展開に胸躍らせて、心が慰められてそして高鳴る位に、本当に感動で涙していた。
あの頃の冬ソナこそが、正に私にとっての、そして母にとっての若い頃を思い出させた、青春グラフィティーそのものだったのだと思う。
以上。よしなに。wainai