Kaettekita 私が思う あのこと このことReturn(Get Back Part2)

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冒頭、訂正文入り:私が「合唱団」を否定され、その結果、私からも拒否した理由(ワケ)。長文失礼

2024年10月21日 20時38分58秒 | クラシック洋楽日本邦楽演歌雅楽江戸明治大正昭和平成令和現代歌謡伝統音楽集
訂正文:
 私は、重要な事を忘れていた。
 それは、ここで問題にしている、我がお寺のトップ、講頭さんが、車の足のない私に、それ位ならば、〇〇君(私)を車で送ってあげてもいい、と、ハッキリと彼は、そのすんでの所では、私を合唱団に参加させる事をも含めて、考慮に入れて下さっていた事実を、決して忘れてはならない、という事だ。
 彼の頭の中では、私が合唱団に加わる青写真を思い描いた上で、尚、その統率していく彼の心中を察するに余りある、私への配慮、心配をしてくれているこれも実際上の事実を、尊ばなければならない。
 もしも、私が実際に、我が日蓮正宗の合唱団に無事、入れたとして、それが立派に務まるのかを、講頭さんは最大限に御心配下さっている。
 あの、去年の今頃の、十一月の、総本山奉安堂での御開扉の時に、私共は最前列と言う、何ともラッキーな席を、我が寿海寺支部では与えられたのだ。(席順は自由である)。
 その時の、私の調子に乗った、余りの大きな地声で怒鳴るかの如くに読経唱題を唱えつつ、その私自身の配慮の無さ。
 その時、同席していた、高齢の女子婦人部長のO合さんなんかは、あの時の〇〇君の大きな声と言ったらなかった、と言わしめた程なのであった。
 そして、私は、その時、これも何度も言ったかもしれないが、バスに乗ろうとした時、うちのお寺の御住職様が、私の名前の続きをしゃべろうとして、私が丁度、バスに乗り合わせて、私が何でしょうか?と聞くと、「何でもない」と仰られていたというこれも事実。
 あれは、絶対に、御法主上人猊下様の御前にて、私の声が非常に畏れ多くも、大きすぎる位に大きな声でがなり立てた事に対する、御住職様なりに、しょうもない私が傷つかない様、御配慮遊ばされたに違いないのだ。
 そんな事は、その時も既に現講頭さんはその場に居たし、私の事など、彼の手の内、手の平の上で私が気楽に回されている位に、講頭さんの目と耳には当然、私の行動、言動、人となりを、何でも見られ、常に試されているのだ。
 それは、私自身の詰まらない、他への学歴による差別、劣等意識、コンプレックスからも講頭さんの意識はその上を常にゆき、私の愚考、愚行を考慮に入れて、私にお話下さっていたのだ。
 その御恩を私は踏みにじり、何とも無惨な仕打ちで、こんな所で負け犬の遠吠え宜しく、踏ん反り返って、文字で書いてもてあそび、バカにして、留飲を下げた積りになっていた。バカとは即ち、自分、この私自身であり、還著於本人で私に全て還って来る体裁、正に三毒・十四誹謗の為せる怖ろしい業であった。
 ここに、訂正文、というより、反省文を附して書き、私の心からの反省を実践実行に移したいと望む。
 私が、音楽が好きなのは判る。しかし、それを悪用、悪利用して、他の人々を攻撃する真似だけはしたくはない。それは、私の愛する音楽に対する最大の「冒涜」に他ならないからだ。
 であるからして、私なりに、反省猛省自省、今までの諸業悪業を二度と繰り返さずに、私の誠心誠意の真心をもって、再び、日蓮正宗無量山寿海寺講中の皆様、その他、県内他支部の皆々様、我がお寺のトップ、講頭さんには、これは非常に申し訳なかったと、平謝りに謝りたい。誠に済みませんでした。
 尚、先日の様な、頭を丸める、などという、私は今度の事では、そんな形式に流されるのではなく、身をもって、反省の意を、心の中で咀嚼して、身で体現して、心を外に表しつつ、猛省する意味で、これを二度と繰り返す事無く、お寺の講頭さん始め、役員の方々への絶対的服従を誓い、「事の一念三千」で一貫して、実行実践に移してゆく事をここに固く守り祈りつつ誓う事を宣する。

以上。よしなに。wainai


 私は、これを文章化するのは初めてだが、或る、と言うより、ハッキリ言おう。私の所属する宗教宗派の合唱団に加わりたいと、熱望羨望に近い気持ちで、或る一高齢婦人にお願いした。
 この女性は、私が入信した年の2017年平成二十九年の初夏に、福島市の広布寺で行われた、主に青年部が主催の広布推進会で、私がその場で座っていた所、私の背広のすそを引っ張って行って、或る、背の高めの、芸術家肌の女性の前に強引に私を押し出して、「この人は、今度から、私達と同じく、合唱団に入りますんで宜しくお願いします」と言って私をその女性に引き合わせた。
 その時は、私はそんな気は更々無かったので、「それは嘘です。私はお断りします」とキッパリと断った。
 あの時は、余程、合唱団に人手が足りなかったのか、特に若手が。それに、私は入信半年足らずにしても、物凄く積極的活発に活動していたのが、我が日蓮正宗無量山寿海寺内にても目に留まり、認められた証拠とも言えた。
 それにしても、そのY口F子さんの強引で有無を言わせぬやり方に私は一人反発を覚えた。

 それから七、八年後。私は立派とも言えないが、曲がりなりにも、一日蓮正宗信徒として成長していた。
 そして、その七、八年前には楽器として「複音ハーモニカ」を習い、以後、と言うより以前からも、私の身近、耳近くには、常に音楽で満たされる生活があった。
 そして、心を改めて、私は音楽を極めたいと、今度は再び、合唱団に応募しようと私の方から決意した。

 それで、この人も車を持たない、前述のY口さんに頼むと、今度はどうも煮え切らない。その日はちょうど僧俗指導会の日であり、彼女は懐かしい面々と話すのに時間が取られて、あくまでも私の事など、どうでもいい、と言った風。
 であり、埒が明かないので、私は、その場で歌、合唱の先生、兼、指揮者の方を探し、すぐに見つかった。
 先生は、とても真摯な方で、助かります、と仰り、名前と電話番号を聞かれたので答えた。

 その後、元講頭のGさんに電話すると、Y口さんから電話が来て、wainai君が合唱団に入りたがっている。私と同じ、車の足がない。本人のたっての希望だし、どうしよう。と言う報せが既にG元講頭さんには来ていたと言う。
 そして、前々から、これは、母の容態等で、現講頭さんには大変、お世話になっていたので、筋目からも、現講頭さんに相談してみては、と言われて、堂々巡り、今来た道を帰るが如く、今度は現講頭さんに熱っぽく電話で訴える事になる。
 
 そして、内容は、私の耳について不安がある、と言う。私の大好きで最大一に尊敬する耳の遠いベートーヴェンに例えて、彼が、いきなり、合唱団に入ったらどうなると思う、と聞く。
 それはそうだが、元々、現在も合唱団員の一人の現講頭さんだって、幼少の頃から耳が悪かった。耳鼻科にはお世話になった、と自身で述べていたのをこの私は聞いている。

 そして、これも言ったかも知れないが、彼は福高時代、芸術で音楽科を取っていたと言い、私は安高時代の芸術は何かと聞かれ、美術だと答えると、これはダメだと言わんばかりに、あのねえ。音楽も知らない人に何言ってもダメだ、を威張り散らしての話が連発。(これ一つでマウントを取った積りになっている)。

 だったら、小学校中学校の義務教育九年間で習った音楽の授業は全てムダなのだろうか。

 この時点で、何か眉唾な気がして来た私だが、次から次へと繰り出される「試問・試練」に半ば、付き合わされる事になる。

 何なら、俺の前で、試しに一度、wainai君が歌うのを聴いてみたっていい。そこで判断してやる、と言う。

 そんな、因縁の対決、福高VS安高の、その人の自校の劣等意識から、最初からこちらが見定められたら敵わない。それに、私は確かに学校九年間の音楽教育だったが、その他にも、今言った通り、複音ハーモニカを習ったり、クラシックギター・ピアノ等も過去に習っており、買って集めたりレンタルして借りたりダウンロードした音楽楽曲群の数々では、楽勝な位、その人を上回る筈だ。

 私はその様な人の、額面通りには受け取れない、人を不安にしかさせない、色眼鏡で見た感じ取り方で試練を与えさせて、試されたのでは本当に敵わないと思った。

 その人の面前での歌唱は、丁重におことわりした。それには、私なりの恥じらい、シャイさ(shy)から思わず出たものもあった。

 私の歌の実力は、下手うまレベルであろう。ホテル勤務時代、ギターの生音伴奏で、下手くそなビートルズの歌を歌って、皆、少し下手だと思われていた。

 しかし、皆でカラオケに行って、そこで私の歌唱を聴いた者は皆が皆、上手いと言い、その後、帰って来た時に、カラオケに行かなかった者達を不審にさせる程の私の力量である。

 練習次第では、私にだって何度もチャンスはあると思うのだ。

 音楽に関しては、その人も素人である。どこかの芸大音大を出た訳でもない。高校三年間習ったと言うのがその人にとっての唯一無二の自慢らしい。

 そして、その合唱団が如何に素晴らしい合唱団かをその方は虚しく述べて、電話による会話・相談はこれも虚しく終了した。

 私にとっては、腹立たしい、義憤に駆られると言うよりも、本当に、ただ、虚しい、空々しいと言う感覚。時間の浪費。悔しいと言うより情けないと言うのが正直な感想であった。

 だから、以下に掲げた、私のこのブログの過去記事は全て、その人に当てて書いた様なものなのである。正に、怨讐の彼方に、と言った風な文章体であった。もう一度、以下に引用したいと望む。あくまでも、抜粋である。


私は、音楽では、人並み以上に好きだというこだわりがあり、音楽で他人からバカにはされたくはない、という自負を背負って生きている。それは、多少の、声が悪いんだか、テンポ、ノリが悪いんだかの、音痴?なのかも知れないが、それを理由に、自分が音楽に向いていない、との、他人様からバカにだけはされたくはないと忸怩たる思いで今まで思って生きて来た。


だから、音楽演奏においても、歌でもそうだが、下手だからって、私の音楽人生そのものを、否定されたのでは敵わない。私は、必ずや、音楽の道で大成したいと望んでいる。


だから、独学で、十年掛かろうが、二十年掛かろうが、何十年でも、私は私の独自の道を往きたいと思い考えている。この意思は非常に固い。何ものもそれを遮る事など出来はしない。


私の音楽の道は、昨日今日始まった訳じゃない。ずうっと昔の、産声を上げた時から始まっているのだ。


今日、武田鉄矢のラジオを聴いていて、思ったのは、人は生まれる時、産声を上げる。その時の、音楽の音程が決まっていて、皆、何故か、ラ(A)の音を声に出して生まれてくると言う。


そのラ(A)とは、音楽の基本中の音であり、ギターでも最初に調律する時、今はチューナーで何でも合わせるが、昔は、音叉で、第五弦のラ(A)に合わせていた。


オーケストラでも、楽器類は皆、ラ(A)に合わせる。


その伝で言えば、いけば、私だって、元来、生まれつき音痴などでは決してなかった筈なのだ。


音を合わせる能力は皆、最初から同等に持っていた訳なのだから。


生まれつきの音痴などいない、と私からは返答し、断言させてもらう。


だから、私は、誰に何と言われようとも、音楽の感覚に劣等感などいだかない。必ずに。


実際、私の祖母の、おばあちゃんの親戚には、音楽大学を出て、陸上自衛隊の音楽楽団の器楽演奏の隊長だかを立派に仰せつかり、勤め上げた親類がいると母が言っていた。


だから、あなた(私)も、ひるんだり、心配したり、人より音楽の能力が劣っているなんて思う必要など一切ないのよ。


我が家の血は、家系は、元々、他人が羨むぐらいの、音楽の才能あふれた一家なのだから、とのこれは母の言いつけである。

母も、元はと言えば、ジャンルは異なるが、三味線、琴、私と同じくクラシックギターを習った口である。

それプラス、私の父が大の、これも同じく、楽譜も見ずに歌詞集だけで空で演ずる、複音ハーモニカの名手でもあった。

そうした代々の、音楽一家たるべき我が家。

これを守らずして、何が、wainai家(私の一家)の実権、跡取りとして、私が君臨できようか。


それ程の立派な音楽一家の家系に生まれ合わせた事に、誇りプライドを持つ事が何よりも大事である。実に細々としたものではあるが。

(以上。引用、おわり)

 これは少し、と言うより、大袈裟に、『謙遜』して書いている。それが判るだろうか。羞恥心、デリカシーと言うものがあれば、大抵の事は、判る筈なのだが。それが判らないとなれば、『慢心』が『増上慢』が増しに増している故か。

 私にとり音楽とは、執念でもあり、御恩を常に感ずるものでもあり、硬軟併せ持つ、取り分け、日本、西洋、東洋問わず、過去・現在・未来、を問わずに、素晴らしいものだと感ずる感性だけは、この耳とこの頭脳に併せ持つと言いたい。世界に宣言したいのだ。誰に聞かれるでもない。けれども、この自分に対しても、宣言したい。
 それで、この長文の文章をものして、書いた訳だ。私にとっては、私を振った情けないそんな、あんな合唱団など、金輪際、糞くらえであり、私は独自の道を往く。それが自身の為にも最も良いチョイス、選択だと前からもう、悟っていた。
 だから、私に例え、甘い言葉で、七、八年前に、すり寄って来た、あんな婆さん手合いに、それから、今の寺のトップにしたって、憐みの目で見てやっていれば良い。

 それだから、私は、一人だが、決して孤独ではない。そうやって、仲間で群れて、名も知らぬ合唱団とやらで、仲間内だけで、仲良しこよしでも演じていれば良い。
 何賞を取ろうが、それは、その宗教団体内の、身内だけの事。果たして賞なるものがあったかさえ、私の存ぜぬ所。
 そうやって、寂しい個人の、一人になった気分を、手前らも味わって、味わい尽くしてみやがれ。この私が味わった以上の、この恨みつらみを、全て、私は、恨みを晴らさずに還さずに残さずに、天網恢恢疎にして漏らさず、仏教の三毒・十四誹謗にも堕せずに、一人前になって、音楽の世界に打ち上げて、出陣してみせるから。

 その時が実に楽しみだ!呵々大笑!

 それにしても、せっかくやる気を出した人の育成も怠り、勝手な判断で辞めさせるとは、一体どう言った料簡なのだ!納得が出来兼ねる。

 しかし、もう終わった事なので、男らしく水に流す。今後も再度、こういった事がもう二度と自他共に及ばぬよう、これからは、監視に怠りなく、現執行部を在野精神で、厳しく見詰めて行く事にする。

以上。よしなに。wainai、長文、相も変わらず失礼。

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