長文失礼。
今年も、春とはなり、温かくて、良い季節ではあるものの、何とも、ガッカリ来る季節だ。
誰とは言わないが、折角出逢ったばかりであるのに、もう、お別れ、という、報せが届いた。
残念至極だ。極めて虚しい。私も判らない。
今は語りたくはない。これ以上、人と人との別れなど、見たくも語りたくもない。何の為に、人は、卒業を迎えるのか?このまま、別れ等、一切、しなくても、良いのではないのか。
今は、現金主義で、やっている。これが、自分の首は締めているが、しかし、一生は一度きりであり、一度買えば、もう、要らない物共ばかりである。
そんなに心配は要らない、はずではあるが、何か、悪い事をしているような、罪悪感をも感じてしまう。
そんなに心配は要らない、と誰か、背中を後押ししてくれる人などは、居ない、確実に!
私が思い出すのは、去年の今頃か、セブンイレブン郡山西ノ宮店での、横断歩道、自衛隊側での、年を取った、男の人が、何故か、道で私の目の前で転び、転倒して、血だら真っ赤になっている所を、ちょうど通りかかった。
私は正義感から、その方を抱きかかえ、腕を支え、体を起こすと、その方と同じく歩を進めていた方、女性の、奥さんと見える人の言葉だった。
「この人は、普段は、転んだ事が無いのに、今日に限って、どうしたのでしょうかねえ。もう、この人ったら。」
と言った。そして、もう傍らには、高校生と思われる、自転車のシールの校名は、今は思い出せないが、とにかく、どこかの高校生(安高では全く無かった)は、急いで、そのコンビニに入って行った。
その時の話を総合して、その模様をうちに来ているヘルパーさんに聞くと、「えらいねえ」の言葉が返って来た。
しかし、私は、それには疑義を呈したい。何か、若者、この場合、高校生が、一人で、英雄視されるような行動をとると必ず余の世人は絶賛して、人望を集める傾向。いわゆる、美談に酔い痴れる。お涙頂戴の、そんな風潮が、私は大嫌いだからだ。
とにかく、今日は、私は、あの時の老人と同じように、情けなくも、郡山市立介護病院前の、南側に面した、団地ビルの目の前で、強風のせいもあり、大いに派手に転んでしまった。同じように、自転車で、血だら真っ赤になってしまった。
これは、私には、非常に不覚であった。
そして、これに対して、誰一人として、私の醜態、その場で、あの時の様な、私への手助けなんて、一切なかったのである!!!これが、怒らずにいられようか!!!
その日、たまたま、訪問看護の方の来訪であり、私は救われた。
とにかく、そんな風に、人に助けられるのが、世の情けの有難さ。
私は、うちのお寺の御住職様に先程の、何でこの世に別れがあるのかと聞くと御住職様は、こう言われた。
「○○君も、一人の人、先生を独り占めしちゃ、ダメだよ。また多くの人々の、対象者としての、働き、○○君と出逢えたような、又新たな出逢いがある。それを遮っては、ダメだよ。狭い心はダメ。その先生も、新しく、その地に於いて、赴いて、新しい人達との出会いが待っている。だから、○○君も、門出をお祝いするまでもなく、心の中で応援してあげなくちゃ」こう仰る。
それを聞いて、一呼吸おいて、やっと落ち着けた、私であった。
自身が、やっと、見苦しかったと、判った一日であった。
嵐が去り、晴れ間が、太陽が正に差し込んだような日取りであった。
以上。よしなに。wainai