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小柳ルミ子のベストアルバムを買う、「純情一直線」-私の志向性、芸能界清純派路線への恋慕を綴る

2024年01月20日 09時43分51秒 | ブログ論。私の本音。一人語り。物故録。恋愛論。恋話。大いなる自分の好み、嗜み。
 こんにちは。長文失礼仕ります。
 小柳ルミ子のベストアルバムを購入しアマゾンでダウンロードした。
 小柳ルミ子は、元々は清純派で鳴らしていた。それが、いつだったか、私は子供時代だったから知らない。しかし、実際上、ヌードを披露した過去を持つ。清純派を脱ぎ捨てたのだ。
 その頃、昭和時代、小柳は紅白に毎年連続で出場していた。うちの父などは、その清純派路線が父には好みで、大ファンとまではいかなかったろうが、その小娘然とした、素朴で純真だった小柳ルミ子が大好きだったようで、いつだったかの紅白歌合戦に、小柳ルミ子が、どんどん服装が派手気味で、露出度があらわに成ってゆく姿に見ていられずに、ついつい、母に、「あれは、上の人に命じられて、あんな派手な服を着せられているに違いない」とこぼすように、父は昭和一ケタ生まれの堅物であったから、どんどんイメチェンしてゆく小柳には、父は戸惑い困惑して語っていたのを思い出す。
 父は、平成の初めに亡くなったので、その後の、何だか、後年、小柳夫妻は離婚したが若手男性俳優と結婚したり、情報通でもなかった父は、ヌード写真集を小柳が出していたのも一切存じ上げなかったのだから、父にとっては、その方が幸せだったのかもしれない。
 私は何が悲しいかと言って、一男性として、それら、「清純派」と呼ばれて、世間でもそれで通ってきた女性が、何を思ったのか、それを裏切る如くの行為、肌を裸を見たくも見せたくもないものを、本人にとっては秘すれば花なのに、隠していたから、イマジン、想像力で補っていたその人の長所だったものを、全て裏切り、全てさらけ出し、男女間の濡れ場を演じ、特に、AVなんぞに出てしまう神経が分からずに、理解が非常に出来ない。
 衆目を集めた所で、性の営みを映像で見せられるこちら側の苦痛は、(その、相手の、映像中の人々も、損得有りの、義理義務で演じているのは当然であろうが)それに対して、パニックし、慟哭してしまう。
 男性女性問わず、着衣、服を身にまとい、それが、最低限、それら芸能人にしろ、自信のあるスポーツ的な健康的な肉体美の身体の持ち主で他を圧倒する程の、それ程自慢し正直に勝負したいならば、水着程度ならば、身にまとうものが存している方が、まだこちらも好ましくもあり許せるし、その人の魅力を最大限に生かしていると果たして判ぜられるし、断じる事が出来得るのだ。
 余りに安易で気色悪く汚すぎるのだ。ヘアヌードにしろ、その極みのAVなどは。子供の教育上も、最悪で、悪辣過ぎる。
 今の携帯スマホ全盛の時代、子供達のネット環境は、果たして大丈夫なのだろうかと、他人事ながら、非常に心配もする。現代の闇は、業というものは深い。
 物事には、決して、やり過ぎない、仏教の中庸の徳というものが存すると信ずる。
 それでは、今までの、あの健康的な美的な笑顔で振りまき接して、一般大衆に魅せて演じて来た一時代の一定の自身が築いてきた安心感の信用信頼の蓄積の成果を、丸投げして、世間的に裏切ることになるのを、その女性は知らないのだろうか。
 社会から人格まで否定に処される事への怖れがない位、お金にでも困ったのであろうか。理由が売れなくなって来たから、とか、遊び半分・快楽の為なのだったとしたなら、絶対に私は許せない。
 その女性のファンで、その自分が清純派から、肉体派に変貌を遂げた時、男共は皆が皆、喜ぶ人種ばかりだと、果たして思うのが、芸能界のしきたりなのかと勘繰る。
 私も、当然、あの、健康的な、まだ、水着程度で一般に肌を露出して、笑顔を見せている内は、安心し納得できる。しかし、これが、ヘアヌード、AVと来れば、眉をしかめざるを得ない。その女性芸能人には、哀れだ、可哀そうだ、悲しい、裏切られた、という、失望の念慮しか起きない。
 もっと、いつまでもしがみついて、そんなことする位ならば、芸能界を引退して、モデルケースとしたら、昭和の頃の山口百恵のように、潔くその世界から立ち去れなかったのだろうかと私は思う。そんなにしてまで、芸能界に縛られる必要などどこにもない。
 それに関して、以前、AKBで、やっぱり、今まで歌を歌ってきた女性アイドルが、AVに出演が決まり、そのファンとして、どうしたら良いのでしょうか、というメール投書が、私が愛聴している、ふくしまFMのラジオ番組「DJナイクのeトーク」で紹介された。その時、DJのナイクさんは、その女性が本当に好きならば、最後まで見届けてあげる事だ。それがファンというものだ、的な事をその番組で述べていたが、私はそれを聞いていて、反対だ、と思った。
 私の心の中では、いつまでも、清純派、歌手として、それ以前の、笑顔を振りまいていた、あの頃の姿を永遠に自身の心に永久に留めて置いて、それ以上、深入りする必要など一切ないと断ずる。 
 ナイクさんは、芸能界も、そのAV転向した女性アイドルも、お金に困ったのだろう、おそらく、だから、ファンだったら、筋を通して、最後まで、その女性を応援した方が良いとの判断からだったのだろうが、私が自分がそのメール投書者の立場だったら、そんな苦痛は耐えられない。悪いが、一抜けた、ファンを辞めてさせてもらっても結構。それが、私の、正にファン道、筋の通し方である。私のこの考え方は意固地でしょうか。私みたいな人間が、一人くらいいたって、この世は困らず、むしろ宜しいのではないのでしょうか。
 そうして、一切、そのアイドルの今の窮状、惨めで、悲惨で、仰々しい姿など、一切を葬り去り、自身の中で、清純派時代を思い起こし、これは、自己陶酔かも知れないが、時代に乗り遅れ、ポンコツだ、と誰彼から言われようと、自分の心と体の平安を守る為に、清純派のアイドル、芸能人を偲び、そのまま、既定路線として、今の派手でけばけばしい時代のその芸能人の状勢、情報は一切、身にも目にも耳にも心にも寄せ付けないよう努める。
 それから、今までの、清純派時代のみの時代の彼女を、それ以降も追い求め続ける。思い出して、自身の永遠の記憶に刻み付ける。現在の堕落した彼女の姿は一切考慮には入れない。思い出のアイドル、として、自身の想像の世界の中で遊ぶ、というか、思い起こし、今と過去とを比較は決してしない。
 それ位やって、初めて、そのアイドルに奉仕、給仕が出来得るものと私なりのこれは答えだ。その位、ファンにとっては、ナイーブな心の問題だ。
 私が、そこまでストイックなのは、何か、宗教的なものがやはり関連しているのですか、と問われれば、否、と答える。我が信奉・信仰する日蓮正宗では、この宗教を非難する、謗法以外は、悪い事以外、善なる事を含めては、自行化他を重んじ、何をやっても良い事となっている。別に個人の性的嗜好まで非難、批判はされない。本当に自由な宗教だ。
 これが、日本のプロテスタント、カトリックもそうだろうが、キリスト教だと、そうはいかなくなる。妻帯者、結婚を既にした者以外は、性的なものを自身に近づけたが最後、神への裏切り行為、罪となる。これが、表向きは羊を装い、裏では狼に変ずる、キリスト教の二重人格・偽善者の性格を、本領発揮する結果となる。キリスト教は余計なお世話をしている事になる。
 私は、十年間近く、このキリスト教をやって来た関係からか、極めて性的な事には厳格すぎるのかも知れないが、やはり、染まり切ってしまうものなのであろう。うちには、害悪の最たるAVの類は、一切ない。これは一種の自慢かも知れない。それで良いと、本人が一番判っている。決して私は特殊特別な人間ではないとは、今でも信じつつ、思っている。
 それを見て取った我が家の母などは、きっと、性的な、男女の交わったビデオなんて言ったって、そんなものはおそらくこの世には出回っていない、ハッキリ言って無いのだろう、と健気に私に語っていた。我が家にいた母が施設に入る前、母は気丈にも私にそう、答え、断定し、話していたのを思い出す。無知の極みだが、母の天真爛漫さ、余計な事を知らない愚直素直さ、が微笑ましい。私は今も頑なにそれを守り続けている。
 とにかく、今日は何でこんな話になったのか判らないが、ともかく、男性と見れば、すぐに女性のそうした、AVだか何だかを望む輩ばかりだと見做すのはやめて頂きたい。私も、女性の水着位までは許す。しかし、それ以上になると、敬遠する。これでそれの何が悪い!そこまでの精神、気概で私は私なりに今までもやって来たので、それを今後も貫き踏襲させて頂く。
 私のこんな事は、ストイックとも何とも言えない。ちょっと今日は、脱線し、ずっこけた話に陥ってしまったと、自身で反省を加えている昨今である。

 再度、私の愚にも付かない長文にお付き合い頂き、大変、失礼致しました。とても心苦しく存じ上げます。しかし、申し上げずには、おられませんでした。以上。よしなに。wainai


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