夏の直前、それから、秋が来て冬が始まる前の一年に二回は必ず、コタツの布団、敷布団等を片付けたり、敷き直したりして、夏バージョン、冬バージョンへとチェンジするのが私のうちでの習いなのである。
これは、冬の厳寒の東北地方ならではの風習として、コタツは必須の道具なのだ。
けれども、これがいつまで出来得るものか。私には判らない。情けないが、体力が、若さ、年齢が続く限り。これだけ物を積んでいるうちは皆無であろう。
私の母が我が家にいたころは、母にも同時に手伝ってもらっていた。そうすると、この、物をコタツに置くようになったのは、かなりの前からだと推察できる。
私にはいつからこうなったのか記憶にはない。いつの間にかこうなってしまった。それに加えて、最近、今年初頭からの、電子ピアノのコタツ上の占拠、61鍵にしろ、88鍵にしろが重きをなす。
今日、気分が代わって、より重たくなるが、ヤマハの88鍵、P-225の電子ピアノに又もや戻した。このピアノじゃなきゃ、自分のパフォーマンスが限られる、と判じた次第。不都合があれば、又、カシオの61鍵に戻したって一向に構わない。それ位の軽い気持ちである。
とにかく、今年はもう、梅雨寒は無いのではないのか。これだけ暑い日々が打ち続いていて、去年もそんな風だったし。
油断は禁物だが、もう、日本も世界も、地球温暖化がそれだけ進んだ、という事なのだ。今までの、四季がはっきりした日本ではなくなった。まるで冬と夏の、二季制の、二つの季節しかなくなった。春も秋も無いのである。こうだと考えて、これからの時代は、諦めて生きてゆくしかない。それが私共人類の生きてゆく、生き残る道だと考える次第。
それに対して、以前の地球の世界の気候に戻す、対策を打ち出すのが政治家、役人の役目。それに国民としても、協力協調も必要だが、過敏に過激に、電力不足だからと、電気量が高いからと言って、電気を使わない。詰まりは、エアコン等の使用を控える、などは以ての外だ。そんな横暴は、政府政治家には、そんな命令をする権限など有り得ない。
とにかく、我が家では、夏を迎える準備は出来た。もう、暦の上でも夏なんだろう。又この季節、行事が来たかと、一年がバカに早い気が最近とみに感じている。
※編集後記(私からの心からのお願い!!)
本日から明日にかけて、特に明日、月末の、六月三十日(日)AM二時五十分までに郡山市の菩提寺のお寺、無量山寿海寺に集合して、日蓮正宗総本山富士大石寺の講習会へと、マイクロバスで行って参ります。移動距離も移動時間も非常に長く、バスの中で仮眠です。時間が非常になく、時間が限られていて忙しく、その関係で、皆様のブログページにも、読み逃げで、済ましてしまうやもしれません。その時は、誠に申し訳ありませんが、ごめん下さいませ。
尚、これを今日の日を最終に、おそらく、ブログも、動画配信も、今日明日と留めて、全ての更新が滞り、不可能になるのではと睨んでいて、思っています。
私も若くはないので、御登山の後遺症、疲労困憊するでしょうし。
その時は、私の心を心として、察して下さり、思いやりとして、御思い下さいませ。
以上。よしなに。wainai