Kaettekita 私が思う あのこと このことReturn(Get Back Part2)

進取究明。日々の雑感を気ままに綴る私なりに思い考え行い実践する不定期の記録。写真付きで日記や趣味を書くならgooブログ。

西那須野を後にして、那須塩原市黒磯鍋掛への道へ

2017年06月26日 14時22分07秒 | 旅程。旅行記。時間旅行。ちょっとの外出。旅立ち。墓参等含む(高野悦子女史等)。

西那須野駅を後にした私は、その後、黒磯駅に降り立つ。この日は、2017年平成二十九年六月二十四日、土曜日の、昼11~12時になんなんとする頃合いで、丁度小腹が空いてきたが、黒磯駅前には、「ゆ~バス」なる、二百円で市内各方面を行き来する交通機関、つまりはバスが既に到着済みであった。これを不覚にも逃すと後は数時間遅れて行くことになる。この日の目的は、那須塩原市鍋掛(なべかけ)にある、(ここでは写真には載らないが)我が家の古い土地を再度視察に参る所存であった。いざ出発・出陣なのだア!(この「ゆ~バス」の時刻表は、駅構内の観光案内所で配っている。これを手にしないとはっきり言って正確な時間が解らない。勿論、バスの中にも時刻表の小冊子(パンフレット)はある。当地は時刻表も掲示板も何もないので、注意が必要だ。)。

バス車内。



この資材館と書かれたホームセンターはカインズホーム。ここでもよく母と買い物をした。




この「トヨタネッツ」前で、うちの廃車にした、母が運転する車の中に大きな森、林の乱立する栃木特有の、大きなスズメバチが入って来て、この場所に車を停めて一時、ハチを無事追い出した苦い、と言うか変に妙に笑っちゃう思い出がある。

この「幸楽苑」黒磯店も大変馴染み深いお店で、よく母と来た。昔は会津っぽと言っていたが、いつの間にか名称が変わった。それでも味は変わることなく、福島県郡山市から日本全国へと出店して一大企業となった。ここの社長の新井田傳社長は名物社長であり、郡山でも重鎮だ。


鍋掛十字路や終点の那須脳神経外科病院へ行くには、真っ直ぐには行かずに、まず那須塩原市役所に寄ってから、それから宇都宮線を跨ぐ太鼓橋のようなアーチ状の坂の道路を通り下ってしばらく行き、エイトタウンと言う、ヨークベニマル、ダイユーエイト、百円ショップ(の確かセリア)を横目で
睨み、四号バイパスを通って南下し、ビバホームの大きな店のある店舗群を通り、また今度はエイトタウン(福島だったらヨークタウン)の前の道路に出て、右折。しばし、食品スーパーダイユー、赤札堂等を通り、直線の東西に通る道の、小学校だか中学校等を通り、那須の緑の大地広がる鍋掛へ。




この地、鍋掛十字路のファミマ(ファミリーマート)前でバスを降り、しばしの休憩。ここで、おむすびとサンドウィッチ、飲み物を所望した。長旅の疲れを癒やし、英気を十分養い、又出発である。


何かの地蔵と駐在所。


近く、選挙があるのか、自民党のポスターが。


松尾芭蕉が当地を「奥の細道」紀行で寄って行ったという。他にも、伊王野というここから程近い道の駅の途中に「遊行柳」という柳の通りがあり、丁度国道294号沿いにある。そこでも芭蕉は句を詠んでいる。この鍋掛の地の芭蕉の句は、

「野を横に

 馬牽(ひ)きむけよ

 ほとゝぎす」

と詠み、昔から森も多く、ほととぎすの鳴く土地柄でもあるのであった。しばし、芭蕉の世界を堪能し、味わって、暑い初夏の夏の午後をゆっくりと過ごす。しかし、ゆっくりもしていられない。私は旅の者でもあるのであり、じっくりゆったりと我が家同然とはゆかない。帰りの汽車も心配だ。自然、早足になる。が、旅先ではせかせかせず、少しは優雅にゆったりと寛ぎたいものだ。そんな余裕を心の中に、忙中閑ありで、暇を見つけてでも、持っていたいものだ。




土地の異状のないのを確認し、帰路に就く。帰りは又、「ゆ~バス」のお世話になる。運賃二百円は安すぎる。これで経営は大丈夫なのだろうか。疑問だが、黒磯の那須塩原市は太っ腹なのだろう。
帰りのバスは、鍋掛十字路を今来た黒磯方面から右折して曲がり、又南下して那須脳神経外科病院前の病院施設内のバス停を通り、しばし停車した後、折り返し、又、元来た道を辿った。今までそこにいた懐かしい鍋掛十字路を通り、食料品スーパー・ダイユー等がある東西貫く道路を通り、無事黒磯駅へと到着した。郡山駅行きの電車は午後3時32分発の列車で、もう既にホームに到着していた。これに乗れば後は午後16時34分には郡山に着く。私は、栃木県は那須塩原市の西那須野、黒磯を後にして、家路に向かった。大変有意義な、心に残る、楽しい旅であった。

最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。