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「寒苦鳥」のはなし。※長文失礼

2024年11月23日 19時25分17秒 | 日蓮正宗総本山富士大石寺・御宗門・その御教え・教学・信行学
 仏教説話に「寒苦鳥」の話がある。
 昔、或る所に、鳥がいた。寒い日が続き、いつかあたたかくなれば良いのに、といつも鳥は思っていた。そうしたら、あれも、これも出来るのに、と。
 そうして、実際に、冬から春のような、見事にあたたかな日が続き、訪れた。
 それから、鳥は、その日々を無為に過ごし、いつまでもそんな日が続くのだと夢想していた。
 それから、見事なまでの夏が過ぎ、秋が過ぎ、そうやって、今度はまた、鳥が一番に嫌った、「冬」の寒さが、この鳥を襲った。
 鳥は悔やんだ。あの春のあたたかだった日に、あの生物が皆踊るような夏の日に、秋の収穫の時期に、自分の道を、何故、この世に生まれて来たという、証拠、というのか、楽しみ、自分の生き方をただ無為に過ごすのではなく、実際に生命を燃焼し尽すような、そんな見事な生き様が出来なかったのかと悔いた。
 しかし、時は冬。寒苦鳥にとり、その過酷な季節は、自身を猛吹雪の中、風雪に耐え得る事無く、やがて、絶命してしまった。
 
 このお話しの要点は、寒苦鳥にとり、この世は娑婆世界。冬が前世、或いは地獄界の世界。この世に生まれ出た寒苦鳥は、「法華経」という、春・夏・秋という絶好の機会を逃してしまった事になる。
 いつかは自分も、あの、苦しい冬の、地獄の様な世界から抜け出して、この娑婆世界に生まれ合わせた以上、立派な、「法華経」に基づいた暮らしを立てて、生活してゆこう。そう、願い、寒苦鳥は生まれて来た筈であった。
 しかし、この世の安楽な生活に溺れて、惰性に生き、仏道修行、即ち、法華経イコール御本尊様、を信じて、日蓮正宗の御教えを実践実行しなかったばっかりに、最後はまた、冬の時代、いつかは春夏秋が来て、自分の最盛期が来るんだと期待して置きながら、前世の地獄界に完全にそれらの望みを置き忘れてしまい、又もや、地獄界に逆戻り、という、この世の成り行きの寸法を、このお話は説いている。
 この例えは、この世に生きる、私達、一人一人の事を指す事を決して忘れてはなりません。
 この説話が説かれた時代は釈尊の時代であり、釈尊の教えを信じるのが普通だったが、釈尊自身が、「白法隠没」正法千年、像法千年、末法万年尽未来際、と説かれて、自身の教えの効力が効かなくなる時代的制約により、という、法華経の開経の無量義経にも「四十余年未顕真実」と、自身の御説法が、成道し悟りを開いて後、今までの爾前権教の教えは、四十余年間、未だ、真実を顕さず、と御経典に説かれている。
 とにかく、仏教と言えば、釈尊、というのは、前時代的発想。ここに、末法万年を見据えた、末法の御本仏、宗祖日蓮大聖人様という御方がおられる。
 各、仏典には、将来、末法時代になれば、東アジアの、東北の方角、丁度、日本国の方に、聖人が出で賜る、との予言が見られる。それに当たるのが、大聖人様なのである。
 その方は、数々の大難に遭い、難を忍ばれ、法を広めてゆく。とある。それに見事、ドンピシャで、日蓮大聖人様が、この日本国の今の千葉県鴨川市、その当時は、貞応元年(一二二二年)二月十六日、安房国長狭郡東条片海の漁村にて誕生。自身を海人の子、旃陀羅(せんだら)の子、と称した。旃陀羅とは、インドカースト制では最下層の賤民を指す。
 その御方が成長なされて、仏門に入り、清澄寺にて出家得度。二十歳で鶴岡八幡宮で大蔵経を閲覧。次いで、二十一歳から三十一歳までは、比叡山、園城寺、奈良、高野山、大阪の天王寺などで修学された。仏教研鑽に励む。
 こうして一切の研学を完了されて、故郷へ帰り、建長五年(一二五三年)三月二十八日、三十二歳の時、少数の人々に宗旨建立の内証を披歴され、一か月後の四月二十八日の正午、清澄寺の持仏堂の南面で立宗を宣言。自らを「法華経の行者・日蓮」と名乗り、それまでの、是聖房蓮長の名を改め、念仏は無間地獄の業因である、との第一声を放たれた。だが、当時の地頭、東条景信が念仏者であった為に、大聖人はその場で景信らに命を狙われる事となった。兄弟子の二人の導きで危難を脱して清澄寺を去り、大聖人が次へ向かったのは、当時の武士の都、鎌倉であった。
 鎌倉も、当時、疫病、飢饉、大地震、災害、天変地異に悩まされていた。その他にも後には、元寇という、他国侵逼難、内部の反乱の、自界叛逆難、の二難が起こる、との予言も見事的中する。
 そこまで行くには、大聖人様も、幾度もの流罪法難等々、大難に遭われた。ほとんど、大聖人様の御生涯は、大難に次ぐ大難で仰せられた。
 
 とまあ、ここまで、ざっと、「寒苦鳥」から、釈尊の予言、そして遂に、この日本国に、御本仏宗祖日蓮大聖人様が御出現遊ばされた所まで、ざっと見て来た。
 これに対して、私共、日蓮正宗の者共にとって、如何に、この仏法の流れが、私共に通い流れているか、までには触れず仕舞いである。
 しかし、私は、人様、日本の大多数、世界から見れば、それこそ、芥子粒(けしつぶ)のような、ちっちゃな宗団が我ら、日蓮正宗の教団である。
 けれども、この教団が、この日本国に存する事が、正に奇跡としか言いようがないのである。
 宗教になると熱くなる、と言われそうだが、何と言われようとも、私は人目など気にせずに、熱く語る。この御教えの他には、どこにも、何にも、いずれにも、本物の教え、宗教など存しないのだと。
 それだけは、この世、特に今の日本の人々、刹那的に生きている人々には、口を酸っぱくしてでも、この世の中心にいる積りで、声を大にして言いたい。

 「力あらば一文一句なりともかたらせ給ふべし」(御書668)

 第六十八世日如御法主上人猊下様は、
 「『一文一句』と仰せのように難しいことは言わなくていいのです。『あなたも、この信心をしてみませんか』でいいのです。(中略)
 大聖人様の教えが正しいことをそのままお伝えしていくのです。もし相手が邪宗教を信じていたならば、それが間違いであることを指摘すればいいのです。『大聖人様の教えが正しいのですよ』と言うこと、このひとことが大事なのです。そのひとことから折伏が始まり、すべてが解決していくのです。」(大日蓮 第931号 R5.9)
 と明快に具体的に御指南されている。

 もう、何もいい募ることもない。この猊下様の御言葉だけでも十分である。むつかしい事は要らない。要は、イージーで、要領を得ていて、得・徳を実感させ得る事。

 私も、仏様の御使いがしたいと望む、一仏子、仏様の子供の領分の一分で御座います。これ以上の御言葉は、非常にない、有り得ないので御座います。猊下様、末寺の御住職様の膝下の下に、従うのみであります。充分、承知致しました。痛い位に、良ーくと、判りました。

 要するに、多言は無用、でした。

以上。よしなに。長文失礼。wainai

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