今年は私にとり、激動の一年となった。
去年は、私は入院生活を九月の一か月間とって、大変な一年だったが、それは序の口だったようだ。
今年は、母が一月に八十八歳の米寿を迎えて、御目出たい一年のスタートだったが、その後が、どんどん、変な方向へと向かってゆく。
今年の春三月、私は、三月末の日蓮正宗総本山富士大石寺への御登山へ向けて、それのみに考えていたが、その間にも、私の、まるで私が卑怯者呼ばわりされているかのような出来事が起きた。クレームをS協に電話で連絡を入れた刹那、それをいいことに、M光も同調して、私がお世話になっていた、ヘルパー事業所二社が、いっぺんに辞めていったのだ。
その関係で、私は、一か月間余り、別の二社の、時期的には別々に、弁当屋からそれぞれ別時期に、弁当を頼む事になる。
しかし、お金を掛けている程、あんまり美味しくはなかった。それらは高齢者向けの食事であり、私にとっては好みじゃない。それを弁当屋に言うと、同じように、若い方からは私達弁当屋には苦情は聞いています、と言う。
これなら、これら弁当屋に出すお金で、コンビニやスーパーで自分の好きな食材、弁当等を買い求めた方が一番理に叶っていると、一カ月半くらいで、それらは止めた。
それから、私は、一時期、就労だ、と思ったがそれも意気消沈、というか、実際上、今は時ではないと思った。その時は、二年縛りの就労事業支援施設に通う気でいたが、そこでは、逆に、作業所に通い直せ、との御意見を受けた。私は、再度、元居た作業所に問い合わせると、そこも、私を受けいれるのに難色を示し、余り芳しくない。
これで、私の想いは一気に、それらから離れ、今までの、私の生活の根本だった、日蓮正宗の菩提寺の、無量山寿海寺にもう一度、真面目になって毎朝通う生活に戻ろう、と思い立ち、今に至る。
そういえば、五月頃だったか、首を痛める事につながる、交通事故まがい、事故にはカウントされると警察の方は言っていたが、賠償金、保険が出る程の事故ではない、事故に遭った。煙に巻かれたようで、だから私は「事故まがい」と呼んでいる。
なんだか、私は、ジェットコースターに乗り、急降下で滑り落ちるが如くの、この一年だった。
看護師さんの、訪看さん、訪問看護婦さんとも言葉のあやでトラブった。お寺でも、これは去年からくすぶっていたが、複数の方と、もめるというか、あんまり平和的にはいかない自分であった。
だから、これは、今年の後半からの、今年十一月四日五日行って来た、総本山富士大石寺総登山での御祈りの誓いでの、今年から来年、年をまたぎ、来年は特に、私は「平和主義者でゆく」との根本の使命の思い願いで一杯である。これを、来年は私の目標とする、したい。平和的になって、私の和を重んじる自身の人生の力としたい。そう願う。余り怒りたくはない。怒らずに済むように、人生の処世術をもう少し学んでゆきたい。
あと、今年は、アマゾンを中心に、ほんの少しはケーズデンキでも、とにかく、アマゾンがひどいが、買い物が多過ぎた。皆、本当に自分で大事な物ばかり買っているのだが、ちょっとこれは、というのもあった。けれども、後悔はしていない。ほんの少しはお金の使い方に反省もしている。
お金を有効に使う。子供の時ならば、親や先生に、我慢を教えられた。徳川家康も、
一、不自由を常と思えば不足なし心に望おこらば困窮したる時を思い出すべし
一、及ばざるは過ぎたるよりまされり
一、勝つ事ばかり知りて負くる事を知らざれば害其の身に至る
一、人の一生は重き荷を負いて遠き道を行くが如し急ぐべからず
と言っている。
とにかく、「大人買い」という言葉もあり、そこが、大人の私と子供達との違いだが、私もどうも子供っぽい所だらけであるんだが。
まあ、来年こそは、中庸、中道主義&平和主義で、何事も適度に、過度ではなく、良い加減で、人生に立ち向かってゆきたい。
以上。よしなに。wainai