忘れもしない2009年2月26日。組合の臨時大会の日でした。診療所から往診が始まった直後、おそらく、はっきりとともさんの言葉というか叫びを聞いた最後だったと思う。ともさんが「いやいや」「さよさよ」と言った。そう聞こえた。この言葉をきいた私と義母は、「いやいや」は、診療所の医師と相談していた胃ろうをつくるかどうかは、嫌、「さよさよ」は、サヨウナラと思っています。その後、大学病院に電話して、大学病院では対応してくれないことを知りながら、無理やり、介護タクシ-で大学病院まで行きました。
その後、私の病院に入院になりました。口から食べられなくなった。ごっくんが出来なくなったため、IVHという管を肩から入れた。それを入れると妻の反応は、にぶくなった。一ヶ月間、私の勤務する病院に入院しました。朝、昼、晩と妻に会いに行った。うちの病院は、個室はいくないけど、差額ベットは、病院の方針でない。一ヶ月間、妻は、個室にいた。だから、私は、自分の都合のいい時間にいけた。義母に負担かけることなく、安心だった。
私の仕事的には、春闘のまっただ中だった。回答指定日という、回答してもらえる日に有額回答がなかったので、ストライキをしました。
都合のいいように、妻を一ヶ月入院させてしまった。あのとき、妻は、どう思っていたのだろう?
その後、このままでは、中途半端でお前は、絶対に後悔するとブロックで同した。春闘のまったただ中で、病院の給食を委託するかどうかの交渉の真っ最中でした。富山の市長選挙、議会選挙もあった。・・・でも、休むことにした。・・・そのことによって・・・新たな事件も生まれたが。
生きている人間は、ある時には、支えている側の状況や判断でそうせざるをじように組合の仕事をしている先輩に言われて、介護休暇を取ることにしま得ない時がある。必ず・・・。そのことは、誰も責めない。責められない。
生きていくことでしか答えはない。
その後、私の病院に入院になりました。口から食べられなくなった。ごっくんが出来なくなったため、IVHという管を肩から入れた。それを入れると妻の反応は、にぶくなった。一ヶ月間、私の勤務する病院に入院しました。朝、昼、晩と妻に会いに行った。うちの病院は、個室はいくないけど、差額ベットは、病院の方針でない。一ヶ月間、妻は、個室にいた。だから、私は、自分の都合のいい時間にいけた。義母に負担かけることなく、安心だった。
私の仕事的には、春闘のまっただ中だった。回答指定日という、回答してもらえる日に有額回答がなかったので、ストライキをしました。
都合のいいように、妻を一ヶ月入院させてしまった。あのとき、妻は、どう思っていたのだろう?
その後、このままでは、中途半端でお前は、絶対に後悔するとブロックで同した。春闘のまったただ中で、病院の給食を委託するかどうかの交渉の真っ最中でした。富山の市長選挙、議会選挙もあった。・・・でも、休むことにした。・・・そのことによって・・・新たな事件も生まれたが。
生きている人間は、ある時には、支えている側の状況や判断でそうせざるをじように組合の仕事をしている先輩に言われて、介護休暇を取ることにしま得ない時がある。必ず・・・。そのことは、誰も責めない。責められない。
生きていくことでしか答えはない。