11月28日(日曜日)水澤山へ登りました。
水澤山(1194m)は榛名山の東端に位置し、
浅間山(あさまやま)とも 呼ばれていました。
坂東33ヶ所の16番札所の 水澤観音(水澤寺)があり、
その門前には 水澤うどんの大型店が軒を並べています。
ウチから夫の運転で2時間でした。
境内にある六角堂
水澤寺の脇から登山道が始まります。
林道を10分ほど行くといよいよ山道です。
30分ほどのところで、道がゆるやかになり山の形が見えてきました。
丁度1時間で中間点の 「お休み石」
休み場を過ぎると更に急な岩混じりの道になりますが、
それでもよく整備されていて、登りやすかったです。
雑木林のじぐざぐ急坂が続き、1時間半ほどで12体の石仏群に出会います。
見晴らしもよく、雰囲気のよいところです。
お寺の鐘の音に、SLの汽笛も聞こえてきました。
目指すとんがった水沢山の山頂部が見えてきました。
やせ尾根の道は展望もいいけど、ツツジの木が沢山ありましたから、
初夏はきれいでしょうね。アップダウンの岩場を登って、山頂に着きました。
標識の他、三等三角点、展望盤がありました。2時間で到着。
頂上は予想通り狭く、小春日和の日曜日だったので20人ほどが
座れたかな?混んでました。 北に谷川連峰、南に秩父連山と富士山、
西に浅間山や八ヶ岳、東に日光白根などがみえるらしいが
どれがなに山とはっきりと分からぬまでも、素晴らしい眺望でした。
下山して伊香保方面へ回り込んだ所から見た 「水澤山」
水澤山はあまり知られていない山ですが、展望抜群でした。
今回は水澤寺駐車場からピストン登山をしましたが、
頂上から伊香保温泉に下山できますし、バス便もあり、タクシーで
戻ることも出来ますので、温泉、うどん、お参りとおまけをつけて、
楽しめる山だと思いました。
軽井沢で泊まり。
11月25日大山下社から鶴巻温泉まで歩きました。
B山の会の11月のスケジュールは丹沢前衛の山、
大山から南に向かって伸びる尾根上の蓑毛越を起点にして
さらに南へ、浅間山、高取山、善波峠を通って、
鶴巻温泉まで約5時間晩秋の山を歩きました。
大山バス終点から、参道、女坂を登り、
先ず 大山寺の紅葉を楽しみました。
みつまたの蕾
参道に小学生の俳句が飾ってありました。
一番目を引いたのが 「大山の みつまた鹿さん 食べないで」
アベック地蔵さん 子育て地蔵さん
大山寺の紅葉
「オオサカズキ」という、大モミジの仲間で、大正3年大正天皇即位を
記念して植えられたものだそうです。(96才?)
一昨夜の雨でいっきょに4~5日紅葉が進んで、散りモミジになってきた
・・・と住職のお話でした。
お寺の片隅で一休みですか?
下社より大山山頂への道をとらず、右の山腹をたどって蓑毛越に向かう。
念仏山の地蔵さん
この山は、地図には記載されていないが、昭和15年ごろまで
麓の村人によって念仏講が行われていました。
念仏とは、仏を信じて「南無阿弥陀仏」を唱えることであり、
この山頂で唱えると、山裾の集落まで聞こえたといわれています。
念仏山の由来より
最後の休憩は 吾妻山
吾妻山の由来によれば
日本武尊は東国征伐に三浦半島から房総に向かう途中
急に海が荒れだした。そこで妻の弟橘比売(おとたちばなひめ) が
「私が海神の御心を慰めましょう」と言って、身を投じたら
海が静まり、渡ることが出来た。
征伐後、妻を偲ばれ 「あずま・はや」 と詠まれた場所が
この吾妻山だと伝えられています。
こんな話は聞いたことがありますが、
本当にここなんですか?
「仏と野菊の道」 となずけられた危険なところがない、静かな里山歩きは
申し分のないお天気に恵まれて、25名が充分満喫できました。
昨年雨で今年に持ち越したプランでしたが、それでよかった!!
Bリーダー、Sサブリーダー、アドバイザーのTさん ありがとう。ご苦労様。
11月14日北高尾山稜の八王子城山へ行って来ました。
八王子城山(446m) 北高尾山稜の東の端にあります。
麓の八王子城跡から登ってくると、50分ほどで見晴らしのいい広場に着きます。
今回は「のんびり登山」をしたくて、ここはどうかな?・・・と下見にきました。
JR高尾北口からバスで15分程。霊園前で下車して左に20分ほど歩くと
「八王子城址公園」です。
駐車場があることが分かりましたので、夫と2人で車できましたが、
好天の日曜日、10時到着ではほとんど満杯でやっと隙間に駐車できました。
ここは登山と史跡見学で人気が高いようです。
登山口まで行ってみました。
右膝が痛くて、朝からびっこをひいていた夫が、入り口の鳥居まできたら、
「足が治った、登れそう」・・というので、ホントカイナ・・と思いながら、
ゆっくり登って行く内に、だんだんよくなってきて、背筋を伸ばして歩いています。
狐につままれたような、神霊に撫でられたような、
でもありがたく頂上まで行ってこられました。
頂上はベンチがあって、見晴らしもいい。ほとんど苦労なしに
誰でも登れる山でしたので、安心して18日に仲間を案内できると決めました。
家に帰って、夫の足は又痛くなりました。一体なんだったのでしょうね。
11月18日八王子城山へ登りました。
7人で、頂上でトン汁とお汁粉をつくる予定でしたが、
城址公園一帯では火を使ってはいけないというので、
トン汁は取りやめ。お汁粉はYさんが小豆を煮て、白玉団子は私が作って、
後は熱いお湯を注いだらどうだろう?・・・程度の準備をしていきました。
登山口 イチョウの落ち葉を踏んで。
「今日はスカイツリーも見えるでしょう」と管理事務所の人が言ってましたけど。
夫々が持参したごちそうがにぎやかに並びました。ワインもあります。
写真を写しておくべきなのに、食べるほうが先になって、
気がついたら「ごちそう様」でした。
この一帯は戦国時代の山城である八王子城の跡地として、
国の史跡に指定されています。 「日本百名城」
北条氏照の城は1590年6月23日に豊臣秀吉の関東制圧の一環として
前田利家・上杉景勝らの軍勢によってせめられ
一夜にして落城したのだそうです。
加賀から、越後から・・・戦うために遠くから来たものですね。
ミシュラン高尾と違い閑散とした道を下りました。
公園の事務所までくると雨が降ってきたので、中に入れてもらって 厚かましく
火をお借りして、温かいお汁粉を作りました。チャッカリ。
雨のおかげで体も温まり、満足な「お三時」でした。
城址のボランティアガイドをお願いしました。 約1時間。
八王子城跡の紅葉
虎口 城の入り口のこと。
石垣や石畳はなるべく当時のものをそのまま利用し復元したもの。
石垣の隙間に住んでいるらしい。
曳橋 古道から御主殿へ渡るために城山川にかけられた橋。
御主殿の滝 落城時に御主殿にいた北条方の婦女子が
滝の上流で自刃し、次々と身を投じたといわれています。
その血で城山川は三日三晩赤く染まったと伝えられています。
現在滝の水は圏央道の工事で水量ががくんと減ったそうです。
行きにいやなことがありました。国道20号の八王子駅の手前に5差路
のような所があってそれを右に行かねばならないのですが、5差路の
ほんの少し手前に右折専用のレーンがあります。そこへ車が入って
しまって、あ~っと思ったけど右折せずに 直進したら、
バイクに乗ったお巡りさんに指摘され、罰金を払う破目なりました。
違反点数1点加算!6000円の罰金!30分の遅刻!(みなさんゴメンナサイ)
長年無事故無違反で来たのに 残念。
帰ってすぐにKさんからメールがありました。驚くなかれ ほぼ同じ場所で
彼女もつかまったんですって。「見逃してもいいんだけど」 といいながら
6000円の罰金。 45年無事故無違反だったのに、と悔しがっていました。
ネズミ捕り ってこういうこと?
高尾近くの甲州街道のイチョウは4キロ、770本あるそうで
見事に黄葉していました。
こんな日 Kさんと仲良く厄日を共有してしまいました。
11月13日小平まで歩いてきました。
小平の駅近くの文化センターで 小平市写真連盟の
「市民文化祭写真展」 がもようされていました。
山の先輩で、小平在住の Yさんの写真が展示されているので、
片道7キロを歩いていってきました。
クリックして見てください。
写真が大きくなります。
足速の秋、北緯64度 極北近し カナダ・ツームストーン 原野
今年の9月 山の仲間がカナダの紅葉とオーロラを訪ねて旅をした時の
風景です。(私は参加しませんでしたが)
ただただ 「雄大」 につきる景色の連続だったそうです。
この2点の作品は 題材 に関しては 117点中群を抜いていましたね~
左の作品には 「奨励賞・ネイチャー賞」 が授与されていましたが、
私は右の作品により惹かれました。
このYさん、ほんの先日 傘寿をむかえられました。
山の会を立ち上げて10年間会長として、今では50名ほどの会員を
引っ張って来てくださいました。知性と教養と健康のお手本みたいな人で
11月の東松山の3day march には、30キロを3日間 完歩なさったんですよ。
自分のハードルを高くおいて、そこへ至るために努力する。
「とにかくやってみる!」 その高揚感が堪らないんじゃないですか?
高い目標が達せられたあとは、「飲む」 に限ります。
酒を飲むことは人生を謳歌すること。・・・・・・と考えているんじゃないかな?
武蔵境から狭山まで全長10キロの散歩道があります。小平はそのほぼ中間点。
まだ名残の花が咲いていました。
何度も通っている道なのに、バラが満開に咲きほこっているところに
出くわしました。なんとここは「霊園」でした。
四季咲きのバラだと聞きましたが、ホント見事!
お墓をつくる石屋さんが霊園、バラ、集会所などを管理しているそうで
意外なバラの鑑賞ができるところを見つけました。
新しい発見があるものです。
11月11日高尾山に登りました。
1年前に山仲間のTさんが亡くなりました。
Tさんが好きだった高尾山で、紅葉狩りをしようと16名が集まりました。
小仏バス停から、小仏峠に登り、ここで一休みしました。
江戸から甲州へ通じる旧甲州街道の峠です。
昔はかなりな難所だったでしょうね。
明治天皇もここで休憩されて、お茶を飲まれたと言う碑が立っています。
小仏城山でお昼です。 下山したら食堂に行くから、軽めにしましょう。
「モミジの高尾」 は今燃えています。
皆さんが私の高尾山120回登山記念を祝って
拍手を下さいました。ありがとう!
昨年12月1日 Tさんが亡くなられました。
Tさんは登山が好き、カラオケと料理も好き。
地域の「男の料理教室」 を立ち上げた一人だそうで、
料理をする時は いつもシェフの帽子を被ってたそうです。
私のザックとお揃いで、「光栄ですね」と言って下さった時の
笑顔が忘れられません。
Tさん、あなたの好きだった食堂で、あなたを偲びながら
皆が又一段と仲良くなりましたよ。
11月10日 シタンゴ山(758m)に行ってきました。
中津川にかかる大寺橋を渡ると シダンゴ山と宮地山の分岐があり、右へいきます。
小田急線大井松田から行く 丹沢の山です。
私達は車で行ったので、麓の寄(やどりぎ)と言う集落を目指しました。
40台収容可能という駐車場をあてにしてましたら、
14日まで APECの警備のためのバスがとまるというので、使えませんでした。
横浜からこんなに遠い所まで厳戒態勢なんですね。
シダンゴ山 不思議な名前の山です。
名前の由来について山頂に解説板がありました。
漢字では「震旦郷」と書き、これは古名で中国のことだそうで、
6世紀末にシダゴンという仙人が住んでいたのだそうです。
寄(やどりぎ)はお掃除の行き届いたきれいな集落だと思ったら、
関東農政局選の 「美しい村」 に選ばれ、
環境庁認定の「ほたるの里」にも選ばれている所なのです。
茶畑をすぎると手入れが行き届いた杉林が始まる。
舗装道が過ぎるとトタンの扉があり、鹿よけで、必ず閉めて入山します。
シダンゴ山頂上からの眺めはすばらしく、塔の岳などの丹沢の山々や
富士が眺められます。富士山頂には雪がみられました。
頂上の広場は10年ほど前に来たときは、若草山のような
まあるい草ッ原でした。その後一面にアセビが植えられて、大きく育っているので、
360°の展望の視野が狭まった感じがしました。
麓に近くなると茶畑が続きました 野菊の種類が多かったです
丹沢の山並みが満喫できて、申し分のない展望と日当り。
らくらく登山が出来る山・・・と思って、18日に友達と登ろうと下見にきましたが、
登りがキツイ! 展望が前ほど感激じゃない!
残念ながら今度のグループ登山にはこの山は見送ります。
11月3日 東村山の正福寺の地蔵祭に行って来ました。
ほんのこの間まで、「東京で唯一の国宝建造物」 だった正福寺です。
(昨年ようやく2番目に 迎賓館・旧東宮御所が国宝に指定されました。)
この正福寺の2軒隣に住んでいるKさんにお祭りに誘われました。
ご本尊(江戸時代)の一般公開は1年に2~3回しかないそうです。
国宝の地蔵堂に入って、ご本尊に近づいてお会いできる機会は
めったにない上、小春日和にも誘われて、東村山へ行って来ました。
国宝ですよ~。東村山の鄙びた所にあって、気取らない身近な感じのお寺です。
屋根の反りが独特のムードがあって、中国の建物みたいです。
1407年に建てられ、中は壁画などはなく装飾もない、柱などもみな白木造り。
この地蔵堂は、昔は地域の人が藁をいれておく藁小屋だったそうです。
ご本尊 波型の欄間
無形民族文化財に指定されている「雅楽・浦安の舞」 が見学できました。
東村山は東京の西、まだ田畑や里山にかこまれたのどかな地域です。
Kさんが町を歩いていると何人もの知り合いと挨拶をしました。
Kさんが特別なのかも知れませんが、地元のまとまり、温かさを感じました。
「正福寺も地域の人のもの、地元の人に拝んでほしい」 とご住職の話。
地元の人に守られている・・・国宝でした。