8月23日 甲府の興因寺山(855m)~淡雪山(790m) を歩きました。
M山の会の8月のイベント。
ある人は青春切符を使って、JR甲府駅改札口で9:50 集合、15名。
久しぶりに会った人が多く、懐かしく、うれしい。
10:00にタクシーに分乗して、登り口の古湯坊温泉まで約15分。
途中、武田信玄が生まれたといわれる積翠寺や、要害温泉への道を
見送って、古湯坊温泉へ。
信玄の隠し湯 古湯坊温泉 → 「武田の杜遊歩道」の入口
道は整備されていて、標識は立派 ・・・なのはここまで。
武田の杜の分岐から 標識の最後。 踏み跡を探して歩く。
道なき道を「やぶ漕ぎ」しながら 興因寺山にたどり着きました。
鉄塔があるけど、ほとんど眺望なし。花らしい花には出会わない。
高校野球決勝戦のことを話題にしながら、木陰で軽い昼食をとりました。
12:20に腰を上げて、淡雪山へ。
松林の尾根上の踏み跡を上下して急な坂をグングン下りました。
分岐が出てきても道標が全くないのでリーダーも不安げながら
先へ進みましたが、どうも道が違うんじゃないかと、元来た道を戻ったり、
これ以外の道はないゾ・・・とまた戻ったり、ここで30分のロスをしました。
やがて花崗岩の白い岩が累々とした馬の背にでました。
今日のハイライト、“淡雪山” だったのに、1分の休みもなく、
写真も写していられず、岩場のトラバースも慎重にしていられません。
帰りのバスの時間が迫っているらしく、急ぐ、急ぐ。
ぎりぎり 1:21発 (1日3本のみ)のバスに全員無事乗れました。
男性4~5人は前に歩いたことのある山なのに、道に迷ったりしたのは
この山がいかにややこしい山か・・・ってことですよね。
甲府駅前のおそばやさんで、暑気払いの乾杯!
B級グルメグランプリ 鳥もつ煮をおいしく頂きました。
処暑なのに、猛烈な暑さ。
山で流した汗は、ビールがすっきり解消してくれました。
8月20日八子ヶ峰へ行ってきました。
霧ヶ峰と蓼科山の間に、草原の尾根を延ばしている八子ヶ峰。
10年ほど前にグループで行ったことがあって、優しいコースの上、花も
期待できるので、今回は東急リゾートからのコースに挑戦してみました。
家から車で3時間。高速サービスエリアの混雑にくらべて、
駐車場の車はウチだけ。涼しさと静けさは高原の風情を楽しむ期待感で
胸ふくらむ思いでした。9時半に登り始めました。
急な坂道や岩場を1時間登って尾根に出ると 360度の展望が開けました。
「お盆を過ぎると山は秋」 といいますが、ススキが出迎えてくれました。
稜線にでてしまえば、急な傾斜もなく、稜線漫歩が楽しめます。
30分ほどで“八子ヶ峰西峰 1833m”に着きました。
マツムシソウが咲き乱れて 蝶々、赤とんぼが群れ飛んでいました。
秋のお花畑です。ず~~っと蓼科山が見守っています。
蓼科山は 諏訪富士 とも呼ばれ日本100名山の1つです。
車山 ⇈ ⇈ 白樺湖
霧ヶ峰方面を見ました。 右下のほうが白樺湖です。
マツムシソウ
エゾカワラナデシコ トモエシオガマ
ハクサンフウロの白花 ウメバチソウ
左手に手の届きそうな距離の蓼科山を道連れにして西峰から1時間で
“八子ヶ峰東峰1869m”
山の頂上という感じではなく、広い草原で周囲の展望が開けて爽快な所。
フシグロセンノウ タカネトリカブト
駐車場までの帰り道の1時間半は原生林のなか。
急なすべりやすい坂道をロープを頼りながらの長い(と感じた)下り。
ルートをかえて、長い坂道をカットできれば、来年のグループ登山に
この山を提案できるかも・・・? 4時間のゆっくり山歩きでした。
8月16日 「読売日響の3大交響曲」 を聞いてきました。
読売日本交響楽団創立50周年記念事業の フェスティバル
「もっとクラシックを! 3大交響曲」
シューベルト 「未完成」、べートーベン 「運命」、 ドボルザーク 「新世界」
誰でも知っている、みんな大好きな曲ばかり。
しかも、指揮は「炎のコバケン」小林研一郎さん
コバケンさんは、小学校の低学年に両親に連れられて行った
演奏会で初めてベートーベンの交響曲第9番を聴いて感動し、
音楽家になろうと思ったそうですが、スポーツや学業も優秀
だったそうです。
今、趣味のひとつにゴルフがあり、持ち前の運動神経の良さを生かし、
コンスタントに80台で回り、同伴プレーヤーの各ホールの
ショットおよびスコアをすべて覚えている・・・そうです。
あまりのダイナミックな、身振りのはげしい指揮には、片時も
目を外せない情熱が伝わってきました。コバケンさん72歳だそうで、
いつまでもお元気でいてほしい、と 祈る気持ちでした。
3作品の密度が濃すぎて、アンコールはありませんでしたが
拍手喝さいがはげしく、長くつづきました。
今年一番の素晴らしい感動を頂いた夜でした。
8月16日 三越で エリザベート展が開かれています。
~8月20まで。
オーストリア皇妃エリザベートは、その美貌と悲劇的な
生涯で、本国のみならず、日本でも関心の高い貴婦人です。
フランツ・ヨーゼフ1世に見初められ、16歳でハプスブルグ家
に嫁いだ皇后。ヨーロッパ随一の美貌と言われ、
“シシィ”の愛称で親しまれていましたが、悲劇的な波乱に満ちた
生涯を送りました。
展覧会の入口
エリザベートはハプスブルグ宮殿の古いしきたりに耐えられず、
その心を埋めるように若さと美を追い求め、
身長172cm、W50㎝、体重50kg の体形を生涯 維持したそうです。
過酷なダイエットのメニュー、体操用具、W50cmのコルセット等が
展示されていました。
ですが、絢爛豪華な生活の裏には、哀しみも多かったようです。
4年前に、ウイーンを旅したとき、皇太子が情死したという 今は修道院に
なっている屋根裏部屋を見せてもらいました。あまりにリアルで、その時の
シシィの驚き、悲しみは いかばかりだったやら・・・と
胸が詰まる思いがしました。
シシィ自身も旅先のジュネーブのレマン湖の畔で、無政府主義者に
殺害されてその生涯を閉じたのです。 114年前に。
いまだにウイーンでは “エリザベート=シシィ”の人気は絶大で
土産物に 「シシィチョコ」など「シシィ」の名が付いているものが多かったです。
さて、目を転じて、「東洋一の美貌」 を鑑賞しました。
三越創立50周年記念として、1960年に建立された 天女(まごころ)像です。
豪華絢爛な木造の高さ14mの大作です。
天女像の後ろにパイプオルガンがあります。
毎日10:00,12:00,15:00と演奏されますが、
月に1度、青島広志さんが演奏されます。フアンが多いらしいですよ。
地下で食料品を買っただけで
今日も三越で楽しく遊ばせていただきました。
8月15日スカイツリーを見学してきました。
B山の会で、スカイツリーに登ろう!・・・という企画が実現しました。
1度は登ってみなきゃ~と団体で、夏休み中に、(何故か終戦記念日に)
行ってきました。
着工から3年10ヶ月、多くの人がその成長を見守り、楽しみにしてきた
スカイツリー。新たなランドマークへの関心と知識は今や日本人皆が万遍なく
持っていて、今更私が何をお伝えしましょうや。
真下にくると案外高さは感じられませんね。 人が多いんですよ。
スカイツリースタッフの制服、期待してたのに ・・・・
明るい黄色などを基調に、塔をデザインしたワンピース、他。
「スカイツリーの中で時を過ごす人たちが喜びを感じ、制服が楽しい景色の
1つになればと思います。」 とデザイナーの皆川明さんが語った記事を
新聞で見ましたが・・・・・・・・個人的には ? ?
この後、歩いて15分ほどのアサヒビール本社23階貴賓室で
山の会の納涼会が 行われました。 道中、業平橋の麓が
『大横川親水公園』 という 公園になっていて その角に大きな凸面鏡が
据えられてあり、スカイツリーが全身と撮影者が映る所に出ました。
公園の管理事務所は船の形
スカイツリーと不思議な記念撮影
スカイツリー印の出来立て生ビール
アサヒビール本社23階から見た隅田川
隅田川を越えて台東区側から見たスカイツリーとアサヒビール本社
こんな狭い土地に、こんな高いものを建てて 工事の犠牲者もなく、
事故もなかったという 日本の技術の高さに最敬礼!!
8月10日 映画「The Lady アウンサンスーチー 引き裂かれた愛」
を見ました
「The Lady」はミャンマーの民主化運動指導者、
アウンサン・スーチーさんの半生を描いた作品です。
2011年 英仏合作映画で、フランス人のリュック・ベッソンが 監督し、
マレーシアの女優 ミシェル・ヨーがスーチーさんを演じています。
ミャンマー本国では上映禁止。中国でも禁止だそうです。
現在、ミャンマーでは アウンサンスーチーの名を口にしてはならず、
かわりに “レディ” という呼称でよんでいるということにちなんだ
タイトルになっています。
左:アウンサン・スーチーさん。
ミャンマーの非暴力民主化運動の指導者、
1991年 ノーベル平和賞受賞 67歳
右:スーチーさんを演じる ミシェル・ヨー 48歳
ミシェル・ヨーはこの役を是非やりたいと熱望したそうで、
映画のためのミャンマー語の猛特訓、スーチーさんの面影と
似せるために、体重も極度に絞り込んだという努力のおかげで
本人そっくり。大熱演で見ごたえがありました。
ストーリー
英国で幸せな家庭生活をおくっていたアウンサンスーチーは
母の看病のために久しぶりに祖国ビルマに戻ることになった。
「ビルマ建国の父」と死後も国民から敬愛されるアウンサン将軍の
娘の帰国を聞きつけた民主主義運動家たちがスーチーに
自分たちのリーダーになってほしいと懇願する。
それは軍事独裁政権との長い闘いの始まりであり、
愛する家族との引き裂かれた辛く厳しい人生の始まりでもあった。
この映画製作の最大の難問は主人公であるスーチーさん本人と
直接会うことができなかったこと。彼女は長年自宅軟禁状態だったし、
彼女の友人の多くも投獄されているか、亡くなっているか、だから。
映画のエンディングの製作スタッフ欄にも、名前は極秘・・・になって
いたりして、『闘いは、まだ終わらない』 恐ろしさを感じました。
非暴力で民主化を目指した、ネルソン・マンデラ、ガンジー、
そして、今、アウンサン・スーチーが続くんでしょうか?
8月6日 日本橋・三越を見学してきました。
我が国最初の老舗百貨店、日本橋三越を、機会があって見学できました。
大正3年から昭和39年にかけて建設され、東京都選定歴史的建造物
第1号に指定されています。
開業以来、平成26年には100歳を迎えるという、都心の百貨店です。
左:正面入り口 風格を感じます。さすが三越! さすが本店!
右: 三越といえば ライオン。ライオン像も威厳を感じますね。
ライオン像は1914年に設置されました。
ロンドンのトラファルガー広場にあるライオン像がモデルとされ、
完成までに3年かかった青銅製。
受験生が誰も見ていない時にライオン像にまたがると志望校に
合格するという噂があって、夜中に実行する人がいたそうです。
今では四六時中防犯カメラが見ているから、もうダメですって。
左:開店3分前のセレモニー 「本日はご来店ありがとうございます
~~~~。」 タイムスケジュール通りに開店へ。
右:全売り場の担当者があいさつでむかえてくれます。
左:三越のはじまりは「越後屋呉服店」 呉服の売り上げは
今でも全国の売り上げ年間4000億円の1パーセントとか。
先染めの織の着物、後染めの友禅の着物の説明をしてくださる
特選呉服部の担当の方。お値段はどちらも100万は下らない。
右:76年経過した建築物を、建て替えずに現代の最新耐震技術で
314本の構造柱を1本数千万円かけて免震化した地下。
左:三越の隣の三井本館のマンダリンホテルから見た日銀の
本館の屋根。「円」の字に似ている。
右:東側には、雨もよいの空の中 スカイツリーが見えた。
「銀座線・三越前駅」は三越が直通出入り口を設けることなどを条件に
資金を負担して開業させた駅。 ゴージャスな雰囲気は駅の金色の
エスカレーターから始まります。
中央の1~5階までの吹き抜け。そのホールに建立された天女(まごころ)像。
時間をきめて演奏されるパイプオルガンの調べ。
昔は、「今日は三越、明日は帝劇」・・・(でしたっけ?)
今は、「飾る日も 飾らない日も 三越」 と うたっていますが、
買い物はなくても何度でも行ってみたい三越でした。
8月2日夜叉神峠から高谷山へ行ってきました。
夜叉神峠から白根三山が望めます。
峠にはヤナギランが咲きます。・・・私の頭にある夜叉神峠のイメージでした。
夜叉神峠登山口 ⇒夜叉神峠 ⇒高谷山頂上 ⇒夜叉神峠 ⇒登山口
登山口からはジグザグの登りやすい道でした。
カラマツ、ミズナラの落葉樹が多く、春の新緑、秋の紅葉が美しいでしょうが、
今は木々を渡る風が心地よくあまり疲れを感じませんでした。
1時間半ほどかけて 夜叉神峠頂上 に着きましたが、
アラ残念 白峰三山は雲がかかって見えないし、ヤナギランは1本もない。
⇈ 農鳥岳 ⇈ 間ノ岳 ⇈ 北岳
上の3山を 白峰(しらね)三山といいます。
雲に覆われて 頂きが見えませんが、南アルプスの名峰です。
北岳は富士に次ぐ日本第2位の標高3192mの高さ。
キタダケを冠した数多くの高山植物があることも人々をひきつけています。
私は2度しか登っていませんが、感動した山のベスト3に入れたい山です。
夜叉神峠山頂(1770m) 高谷山(1842m)
草花はなかったけど サルオガセ 夜叉神峠の石祠
が樹にまとわりついていた。 洪水や暴風雨を操る「夜叉神」を
鎮めるため建てた祠。
山小屋泊まりで、3,000M級の山へ登るのは、今年の私には無理ですし、
リハビリ中の夫もしかり。そこで今年は今まで登った素晴らしい山を
眺める山、・・・に軸足をかえて のんびり歩きをしています。
明野のひまわり畑
ぼやけて見えてる山は 南アルプスです。
反対側には 茅ヶ岳 が近い
帰り道に、明野のひまわり を見に寄ってみましたが、
山の花のような感動はわきませんでした。
地場産野菜を沢山買って、大いに感動!!