3月30日高川山(山梨県)へ行ってきました。
高川山(976m)は大月市と都留市にまたがる山です。
富士山を展望するには最高の山(富嶽十二景のひとつ)ですし、
駅から歩いていける山 としても重宝されています。
高川山の案内図 登山道は標識がしっかりしていて安心
高川山頂上 正面奥に富士山がうす~く見えました。
山頂は石がゴロゴロした小広場ですが、360度の展望が得られ、
またこの山を貫くリニアモーターカー実験線も眼下に見えます。
が、この日は富士山の展望はかないませんでした。
この山は4回目。以前はおとなしい野良犬が約10年にわたって住み着いていました。
「ビッキー」と呼ばれて、山頂付近で登山者を向かえて、一緒に登山するなど
“小さなガイド”として、高川山の「看板犬」として、愛されていましたが、
10年の10月老衰でなくなりました。
在りし日のビッキー(ビッキーアルバムより) ビッキーアルバムが納められている小舎
『高川山の孤高犬ビッキーにささぐ」 というアルバムが入っていました。
山頂の岩場に横たわり富士山の方角を眺めている彼女の写真が多かったです。
冬の間にきれいな富士山を見たかったのと、(これはハズレ)
ビッキーを偲びたかったので この山へいきましたが、
登りも下りも じぐざぐジグザグ。足元に花もなく、頂上以外は景色も芳しくない。
初めてではないので、感激が薄い山歩きでした。
ところが 帰りの富士急行線 田野倉駅から乗った電車が「トーマス号」。
子供でなくても楽しくなる電車でしたが、乗客はこの時期だけにまばらでした。
3月23日裏高尾を歩いてきました。
春は高尾の中でも、裏高尾の小仏川のほとりや
日影沢沿いの道を訪ねるのがたのしみです。
まだ風は冷たかったけれど、少しだけ春めいてきた日差しに向かって、
春の草花が命の躍動を歌いはじめていました。
白い清楚な花達 早春の花はみな可憐だ。
アズマイチゲ(東一花) 関東に多い。
キクザキイチゲ 葉の切れ込みがこまかい。
早春の木々の花はなぜか黄色が多い。
ダンコウバイ(檀香梅) 黄色の花には芳香がある。
アブラチャン 雌雄異株 和名は果実を灯用の油に使ったことから。
フサザクラ 雌雄同株 沢筋によく生える。
ネコノメソウ 渓流の縁などに生える多年草。
ヨゴレネコノメ ヤマネコノメ
ハナネコノメ
カンスゲ(寒菅)冬でも葉が青々としている。 裏高尾梅林の梅は最後の輝き。
小仏川に沿った“梅郷コース”は梅祭りが過ぎると、
訪れる人も少なく、静かな道です。 川のほとりの林床には
『春の妖精』 と呼ばれる可憐な花が 咲き競います。
いよいよ高尾に春が始まりました。
大震災から2週間、ある小学校の卒業式が行われ、
津波に流された孫の卒業証書を祖父が受け取っていました。
「自分だけ生き残ってごめんなさい」 と自分をせめていた祖父、
悲しい話です。 何時の日か平安な心がとりもどせますように、
祈るばかりです。
3月10日 出光美術館へ行ってきました。
琳派芸術ーー転生する美の世界
第1部 「煌く金の世界」 に引き続き 第2部 「転生する美の世界」が
2月11日より3月21日に公開されました。
まず驚いたのが、鑑賞者の多いこと。10時半から説明ガイドがあるためでしょうが、
(私もこのチャンスを狙っていきました) ほかに観光ガイドの方々のレッスンがあったり、
日本女性のグループに対して フランス語で説明している外人がいたり、
いつも静かな出光では こんな混雑は初めてでした。
第2部の主役は酒井抱一(ホウイツ)とその弟子鈴木其一(キイツ)です。
舞台は京都から江戸に移ったため 「江戸琳派」 と呼ばれています。
前回に続き学芸員の宗像さんの説明を聞きながら進みました。
まず最初に眼に入ってくるのが 其一の 「三十六歌仙図」
画面には35人しかいません。一番上の人が「あと一人は?」と探しています。
斎宮の女御が御簾の中に入っておられます。
その細かに華麗なこと。
次いで抱一の 「風神雷神図屏風」。 宗達、光琳と三人の比較したパネルが
展示されていて、興味をもちました。
抱一は先人のものを参考にしながらも絵に幅をもたせるような独自の工夫をしています。
次は今回のハイライト、抱一の 「八ツ橋図屏風」 。
ここにも抱一の工夫が、橋にしても宗達は単色で描いているのに、緑青をかすかに
加えたり、燕子花(かきつばた)の葉にしても裏と表で色彩を変えていたりしています。
部屋が変わって目に飛び込んでくるのが抱一の 「紅白梅図屏風」。目玉です
この作品に一番心惹かれました。モノクロームに近い絵ですが、地味なだけでなく、
梅の花のように凛としたたたずまいを感じます。
これは銀屏風で 「京都の金」 に対して 「江戸の銀」で対抗し
江戸文化の成熟度を表しています。
銀は月を表し、この梅は月の光で見たものかもしれない、「薄明の世界」です。
抱一が 「銀の画家」 といわれる由縁です。
抱一 「燕子花図屏風」 では 「たらしこみ」 (筆に絵の具をたっぷりとふくませ
その流れで微妙な濃淡を表す画法) の妙を観賞。
次も抱一の「12ヶ月花鳥図屏風」。伝統的には桜は二月の花で合わせる鳥は
雉と決まっているが、それをあえて江戸の人々の感覚にあわせて、桜を3月に
もってきて鳥も「小瑠璃」(ツグミ科)に変えています。
抱一は姫路城主の次男。お金持ちだから、超高級品の画材を使ったらしく
今も作品におとろえが少ないのでは・・・という話もききました。
其一は18歳の時に抱一の内弟子になり、彼が33歳の時に抱一がなくなったそうです。
その後其一は 「自分の画風」 を広げていったそうです。
今回の展覧会は、ほとんどが出光美術館の所蔵でした。
いろいろ楽しませていただきました。
3月21日まで開館の予定でしたが、大地震のため、3月15日で閉館したとの
お知らせをメルマガで知りました。
被災地の皆さんに 心からお見舞い申し上げ、
体に気をつけて復興に努力して下さるよう祈っています。
3月21日
あの日から10日たちました。お彼岸の中日だというのにこの寒さ、残酷です。
被災した方々には日一日と疲労が重なっていくんじゃないでしょうか?
でも、ほんの少しずつ自動車が通り、援助物資が届けられるようになってきました。
簡易お風呂に入ったり、村ごと他県へ移動したり・・・動きが進んでいます。
長い時間がかかるでしょうけれど、離れている私達にも何か出来ることはないか?
・・・という気持ちは これからももって行きます。
心からお見舞い申し上げます。
2004年の新潟県中越地震(震度6強)で 山古志村はおおきな災害にみまわれました。
棚田の美しい村でも有名で、その復興ぶりも見たくて、
3月31日~4月1日にグループで訪れる予定をしていました。
残念ながら今回は中止にしましたが、この村の観光課、宿の人たちの
親切な応対には素朴であたたかく、うれしくなる雰囲気があって、
改めてまたプランを立てたいと思っているところです。
東北にも5年後、10年後、この悲しみを乗り越えた姿を見に行きますからね。
3・11以前の記録をupします。
2月8日 栃木県足利市の行動山(ぎょうどうざん)へ行ってきました。
「B 山の会」の3月の計画、足利行動山(石尊山442m) バスで行ってきました。
関東の高野山といわれる行動山に登り、織姫神社まで歩き、
下山後、足利学校・ばんな寺を見学・参拝しました。
前日、ほとんど全国で雨か雪。東京でさえ朝から降り始めた雪が
瞬く間に雪景色になって、なかなか降りやみませんでした。
今回の世話係りは夫と私。昨年、 計画したプランを雪のため中止にした経緯があって、
今年は2度目の挑戦。また中止にするのも偲びがたく、
当日の天気予報が晴れマークなのを信じて、悩みに悩んだ上、
参加予定者の都合、バスの都合も考えて、決行することにしたのです。
新宿を7時に出発して、登り始めたのが9時半。
浄因寺境内にあったタラヨウの木 寝釈迦
タラヨウ(多羅葉) モチノキ属 岩山の頂に小ぶりの寝釈迦があり、
郵便局のシンボルツリーに指定されています。 石仏群が取り囲んでいます。
葉の裏に硬い尖ったもので字を書くと残ります。
「葉書」の語源といわれています。
行動山(石尊山442m)からの眺め。 大岩毘沙門天境内の1000年の大杉
春霞にぼやけて、かすかに男体山が見えた。
両崖山 かつて足利城の跡を示す石垣がありました。
標高はすでに200m台に下がっていますが、
かなりのアップダウンが続いて、へこたれました。
下山して(2時半)、足利学校、ばんな寺を見学。
足利学校にきました。日本最古の学校です。
受付で、参観料 400円(団体330円)を払うと 「足利学校入学証」を
もらえます。自学自習がモットーの学校なので「卒業証」はないそうです。
1549年にはフランシスコ・ザビエルにより
「日本国中最も大にして、最も有名な坂東の大学」 と世界に紹介されました。
明治5年幕をおろしましたが、平成2年に江戸中期の姿によみがえったので、
どこにも古さを感じませんでした。が、『めざせ! 世界遺産』と頑張っている町です。
ボランティアの長さんが説明して下さいました。
建物は8億、庭は7億かけて整備したそうです。 復元された方丈、庫裏
ばんな寺 とはこんな難しい字をかくようです。 境内(経堂)の桃の花
ばんな寺は足利学校同様、敷地全体が国の史跡の指定をうけています。
境内にある歴史的建物は重要文化財であり、ほかに美術工芸品や古文書など、
貴重な文化財の宝庫なのです。
想像以上の良い天気に恵まれました。
雪が一番心配でした。アイゼンを持ってきた人もいましたが
全く必要がなく、おだやかな陽だまりハイクができました。
下山して、日本史の勉強も少ししましたし、 良かったかな?
世話役としても満足でした。
3月18日
あれから1週間が過ぎました。
あまりにも規模が大き過ぎて、毎日の新聞、テレビの報道に
いまなお 胸が一杯になり、涙をこぼさない日はありません。
残念ながら私たちに被災者の皆様の悲しみやご苦労は、
充分に分かるはずがありませんが、
一刻も早く支援の手が届きますように、
必ず日本中が力を出し合って不幸な時期を乗り越え、
復興に協力してくれますように、
1日でも早い日常へ回復できますようにお祈りします。
地震、津波の被害に加えて、
今は原発のおそろしさが一番の脅威になっています。
政府やメディアが言う 『大丈夫です、心配ないです』・・・を
信用できず、遠くへ避難した人が私の周りにもいます。
いつまで遠くにいればいいのか? いつか脅威はなくなるのか?
怖ろしい事です。
あちこちの親戚が親切に 「おいで!」 と言ってくれますが、
年取った私達は 東京で 普段の生活をします。
先は遠いでしょうが悲しみを乗り越え、笑顔を取り戻せる日が
必ず来ると信じます。被災地のみなさん、体に気をつけて下さい。
春はかならずやって来ます。
3月3日 映画 「英国王のスピーチ」 を見てきました。
今年のアカデミー賞で、作品賞、監督賞、脚色賞、主演男優賞
の4冠に輝いた、今上映中の映画です。
HPより
ジョージ6世を演じたコリン・ファース
「英国史上、もっとも内気な王」といわれたジョージ6世の実話を映画化したもの。
言葉の障害から自由になろうとするとてもシャイな王の物語です。
ジョージ6世が吃音を克服し、ついにはナチスドイツの攻勢に立ち向かうよう
ラジオ演説で英国民を奮い立たせたラストシーンは圧巻で、
すばらしくいい映画を見たという印象が残りました。
HPより
実際のジョージ6世 すばらしく気品があって、美形ですね。
現エリザベス女王のお父上です。
この映画は、英国でもほとんど知られていなかった国王のエピソード だと
評判らしいです。国王の吃音症は王妃(後のエリザベス皇太后)にとっても
つらい思い出で、約30年まえに映画化の了解を求めた際には
「私の生きている間はやめて下さい」と固辞されたそうです。
今、エリザベス女王は観賞されて「感動的な作品です。」と話されたそうです。
英王室の歴史がこの春また新しくなります。
清楚な野の花のようなプリンセスを迎えて平和が続いてほしいですね~。
アカデミー賞効果でしょう、大変な人気で、映画館は満員。
ロビーはごった返し、館内には立ち見の人もいました。
上映時間より1時間ほど前に行ったほうがいいかもしれませんよ。
2月28日、3月1日 熱海へ行ってきました。
浜石岳(707m)へ登る予定でしたが、
2日とも予報通り 雨、冷たい雨の降る日でした。8人の山仲間の旅。
山はあきらめて、ゆっくり熱海を見物し、温泉でくつろぐ・・・
ことにしました。
まず行ったのは、起雲閣
緑豊かな庭園を備えた3千坪にも及ぶ敷地に
大正、昭和の浪漫を残す建物が見られます。
庭園を囲んだロの字型の回廊状の建物を左回りに見ていく順路でした。
正面玄関 広い庭園は散策もできますが・・・。
初めに見学できるのは「麒麟の間」 旅館の客室ではべんがら色の壁。
群青色の眼を見張るような青の壁が独特。
内田信也別邸時代の本館2階です。
金沢の白雲楼の桜井兵五郎さんが旅館をしていたころ、殿様(前田さま)にしか許されなかった
「群青色の壁」にしたのかな~~?・・・と思いましたが。
べんがら色の壁は加賀の立派なお座敷に今もあります。
1919(大正8)年に別荘として築かれ、「熱海の三大別荘」(岩崎別荘、住友別荘)と
賞された名邸でした。 ↑ 根津嘉一郎の別邸時代の洋館。ステンドグラス、タイル、
彫刻など、見所いっぱいでした。
1947(昭和22)年には旅館として生まれ変わり、山本有三、志賀直哉、谷崎潤一郎、
太宰治など、日本を代表する多くの文豪にも愛されていました。
2000(平成12)年より熱海市所有と成り、市の指定文化財として
一般公開されています。(入館料500円)
何度も熱海に来ていますが、起雲閣は初めて、雨のおかげで
素敵なところを案内してもらえました。
MOA美術館
MOA美術館の、一番いい時期に来られました。
玄関ホールのレリーフ ロビーからの熱海の海岸の眺望
国宝 紅白梅図屏風 尾形光琳 江戸時代 展示期間2月 HPより
誰もが知る、光琳画業の集大成であると言われています。
右そうに「青青光琳」 左そうに「法橋光琳」と落款がありました。
「どういう意味ですか?」と係りの人に尋ねましたが「知らない」と言われました。
来週、出光美術館で聞いてみよう。
国宝 色絵藤花文茶壷 野々村仁清 江戸時代 HPより
京焼色絵陶器の仁清の中でも、この茶壷は最高の名作として有名です。
ミュージアムショップで、籐花文写しの抹茶碗を自分の土産に買いました。
安かったけど、点て易く飲みやすい、ケッコウ気に入ってま~す。
黄金の茶室
「太閤の黄金の茶室」を復元したもの。
秀吉が京都御所に組み立て式の座敷を運び、自ら茶を点じて
天皇に献じた、その当時の記録に基づいて、忠実に復元したものです。
秀吉の権力の誇示であり、茶室建築とはマッタク異質なものでした。
幕山の梅林
3月1日午前中 雨が落ちてこないうちに
湯河原の幕山の観梅に行きました。 7分咲きでした。
運悪く、2日ともに雨で、目的の浜石岳は登山できませんでしたが、
それ以上の熱海をゆっくり、のんびり、深く、味わえました。
デラックスな宿で、高級なお料理を頂き、たっぷり温泉を楽しみました。
こんなゴージャスな旅を計画し、お世話して下さったみなさんありがとう!!