花歩る木

山と旅がすきです

仏教伝来の道 東京国立博物館

2011-01-29 13:06:03 | 美術館

1月27日 東京国立博物館(略して東博と言ってます)
   特別展 「仏教伝来の道 平山郁夫と文化財保護」が行われています。

   2009年12月に亡くなられた平山郁夫さんの
   文化財保護活動に光をあてた展覧会です。
   
   奈良・薬師寺外では初の 「大唐西域壁画」 が公開されていて、
   平山さんの平和への願いを強く感じました。
   
   
   東京国立博物館です。          東博の平成館です。

   特別展は2部に分かれ、
   第1部は 「文化財の保護と継承ー仏教伝来の道」
   第2部は 「文化財保護活動の結実ー大唐西域壁画」 となっています。

   第1部ではインド、パキスタン、アフガニスタン、中国、カンボジアなどの
   仏像や平山さんの絵・スケッチなどが紹介されています。
   特にバーミアンの大石仏がタリバンにより破壊された後、
   それを復旧すべきかどうかを決める国際会議で
   平山さんが「あえて負の世界遺産として(現状のまま)残す」と
   発言されたことに感銘をうけました。


  
   これは現地から違法に持ち出され、日本のある骨董屋にあったものですが、
   アフガニスタンの受け入れ体勢が整ったらお返しする、
   それまでは日本で保護保存しようと平山先生は考えていらっしゃいます。


   第2部の 「大唐西域壁画」 は圧巻でした。
   奈良・薬師寺の玄奘三蔵院に奉納された 全長37mの大作です。
   平山さんはシルクロードに150回も行き、30年をかけて、
   4000点のスケッチをもとに13面に描きこみました。

   玄奘三蔵院にかかげられた額の「不東」は
   「インドへ行って仏典を入手し、本当の仏教をおさめないうちは
   東に向かって、中国には帰らない」と言う意味で 
   玄奘の決意をひしひしと感じました。
  
    
   「明けゆく長安大雁塔・中国」

  
   「西方浄土須弥山」
   平山さんが海抜4000mのヒマラヤ山中で高山病になりながら
   スケッチされたものを元にえがかれたそうです。

   「西方浄土須弥山」は玄奘三蔵院の「本尊」とされています。
   そのため、毎朝午前5時にこの前で お経があげられます。
   東博にても毎朝薬師寺から来られた僧侶により
   お経があげられるそうです。 

  
   「ナーランダの月・インド」            
                    ここに薄く人影が見られます。
                 玄奘として描かれていますが、高田好胤でもあり、
                 平山画伯でも あると考えられています。
  

   「大唐西域壁画」は「明け行く長安大雁塔」に始まり「ナーランダの月」に終わる、
   時間的にも朝から夜へ、そして中国からインドへの
   玄奘が3年かけて歩いた道のりを示しています。
   
  
                 山根基世さんの音声ガイドに教えてもらいました。 

       『20世紀は戦争の歴史。21世紀は戦争のない平和な世界にしたい』
       平山先生の平和にこめた願いを感じました。          
   

        
        
         07年5月 ツアーで15日間シルクロードを旅しました。
         西安(長安)から敦煌を通ってウルムチまででしたが、
         タクラマカン砂漠、鳴砂山(砂漠)、火炎山・・・暑かったです。
          時には、青空トイレもあったんですよ。それでも 現代の私達は
         エアコンの効いたバス、列車の移動でしたが、
                  木陰もない灼熱の砂漠を三蔵法師はどんな気持ちで歩いたのでしょうか?
                  シルクロードはどーろくるし(反対に読んで見て!) そのものでした。
               
   
   

            2月6日の「新日曜美術館」で紹介されるそうです。


歴代沈壽官展 三越

2011-01-26 12:30:48 | 美術館

1月25日 三越で『歴代沈壽官展』を見てきました。
   
   1月16日の日曜美術館で 沈壽官(ちんじゅかん)さんの
   紹介がありました。  「風濤を越えて、薩摩焼と生きた400年」
   
   パリで開催して好評だったこの展覧会の帰国展が
   31日まで、日本橋・三越で開かれています。
   会場に並ぶのは、鹿児島日置市で窯の火を守る沈家の
   初代から15代までの作品約100点。

   
   開店直前の三越本店             新館7階の展覧会場

   日曜美術館 司会の 姜尚中さんと中條誠子アナウンサー が
   鹿児島を訪ねていきました。

   
   
   薩摩焼は16世紀末、豊臣秀吉の朝鮮出兵で連れてこられた
   陶工により生まれました。生き延びるために初代は26年の歳月をかけて、
   山野をめぐり、白土を発見したそうです。
   薩摩藩主に重用された「白薩摩」は大名達への献上品となり
   生き抜くための道具になりました。
   12代は新たな技術を生み出し、透かし彫りや浮き彫りを考案し
   中興の祖といわれました。

  

  
   15代沈壽官さんと姜尚中さん
   「風濤を越えた」祖先のルーツは韓国 のお二人。

   
   薩摩獅子乗大香炉  
   12代が書き残した図案を15代が2010年に作品に仕上げたもの。

  
   15代作   乳白色の生地と透明釉を覆う微細な貫入(ひび)が
           高貴な品格を醸し出しています。            
                                          写真はNHKテレビより

   沈壽官さんのことも沈家のことも日曜美術館を見て初めて知りました。
   現代へ引き継がれているその作品の特徴は
   精密な描画、造形にあると言われます。
   象徴的な技法の一つ、「透かし彫」はとくに圧巻。
   「こんなにこまかい仕事がよく人の手で出来るもんですね~」と
   オドロキため息がでました。
   貴重な歴代の作品を一同にみられ、ほんとうに感激でした。
   とともに、背景の歴史に思い至った時 胸の詰まる思いもしました。


高尾山 (129)

2011-01-25 19:58:24 | 山歩き

1月24日高尾山へ行ってきました。

   冬は尾根道の稲荷山コースがお勧めです。
   道幅が広く、湿ったところが少なくて明るいからです。
   頂上近くなって、雪がうっすら積もっていました。
   多分昨夜降った高尾の初雪でしょう。  

   
   
                                    

         
   奥高尾へ行ったら、滑りやすい道にはムシロが
   敷いてあって、歩きやすかったです。
   

   稲荷山コース→高尾山頂→小仏城山→小仏峠→バス停→蛇滝バス停・・・高尾駅

   バス停に下りたら1時間に1本しか便がありません。
   仕方ない、バス道を行ける所まで歩こう。裏高尾散歩約30分。
   途中の「するさし」で、名物のお豆腐とおからドーナツをgetしました。
   
   9時に登りはじめ4時間半歩きましたが、
   雪景色を見られて、静かでケッコウな山行でした。       
   

 

 

 


Bunkamura ザ・ミュージアム

2011-01-19 15:26:41 | 美術館

1月19日 Bunkamura に行ってきました。
   
   「モネとジヴェルニーの画家たち」 が行われています。
   「モネ」も 「ジヴェルニー」も かなり知ってるツモリ(?)の私でしたが、
   今回の展覧会は行って見て 切り口が まったく違うので、
   ああ、来てよかった!  と まず思いました。

   クロード・モネ(1840-1926)が
   『私は舞い上がっています。ジヴェルニーは私にとって
   輝きに満ちたところです』(1883年) 
   といっているジヴェルニーは セーヌ川の右岸、
   パリから80キロ下流にあり、モネは1883年より
   死ぬまでその半生をそこで過ごしました。

  「 ジヴェルニー」 はモネの庭で有名ですが、実はモネを慕う画家や、
   風光明媚を好んだ画家などが集まる芸術家のコロニーだったのですって。
   その70%はアメリカ人で、彼らの作品の多くはテラ・アメリカ美術基金が
   所有しています。その協力があってこの展覧会が実現しました。

  
   モネ 「積みわら 日没」1891年 ボストン美術館蔵
   
   モネの描いた「積みわら」やジヴェルニーの風景、セーヌ川支流の
   エプト川の流れは他の画家にとっても格好の題材でした。
   中には同じ場所の積み藁の絵を時間と天候の変化に応じて
   24点もの連作を描いたアメリカ人も いました。

   『様々な効果を描く「積みわら」の連作に夢中で取り組んでいるのですが、
   この頃は日没がとても早く、追いつくことができません。』  モネ(1890年)

  
   モネの1885年の作品「ジヴェルニーの冬」 ポーラ美術館蔵
   
   左手にモネの家のあった村が描かれ、右手にモネが埋葬されることになった
   教会の塔が描かれています。
    私はジヴェルニーの雪景色をはじめて見ました。 !!
                                      
   
  
   モネの睡蓮の池はセーヌ川の小さな支流「リュ川」の途中にあります。
   会場にはいくつかの睡蓮の絵がありましたが、この絵はモネの晩年、
   白内障で目が不自由になった時の作品です。
   
    『おそらく私は花のおかげで画家になれたのでしょう』 (1924年)


      
       Bunkamura
         渋谷を本拠とする東急グループが文化の「発表」「創造」「出会い」の
         場をめざして、1989年にオープンさせました。
         開業準備室のプロジェクト名だった「文化村」が正式名称になり、
         より先進的なイメージを求めて、ローマ字表記になった・・・と
         先日の朝日新聞のコラムに載っていました。


 横浜ウオーキング

2011-01-19 12:46:24 | ウオーキング

1月16日横浜をウオーキングしてきました。

   NPO法人 「健康生きがい作り教室」の誘いで、
   横浜を見物してきました。

   
   山下公園への道路を横切る信号横の標識と 道路の飾り絵(?)

   
   山下公園から横浜港 ベーブリッジ
   
   象の鼻                   赤レンガ倉庫内のお店
  
  
   赤レンガ倉庫2号館(上)1号館(下)
   横浜赤レンガ倉庫は2011年に創建より100周年を迎えます。
   明治の技術の粋を集めて、国の模範倉庫として築造されました。
   しかし、関東大震災、第二次世界大戦を経て1989年には
   倉庫としての役割に終止符がうたれたのです。
   その後、国から横浜市が取得して 「港の賑わいと文化を創造する空間」 
   をコンセプトとして、2002年新たな文化・商業施設としてオープンしました。
                                            パンフレットより

  
  
   1号館の横のイベント広場でスケートを楽しむ日曜日のヤング達

  
   左の木はシンボルツリーのエノキ  
   右に見えるのが横浜三塔の1つ横浜税関の「クイーン」

  
   赤レンガ倉庫から 「汽車道」 を桜木町駅まで歩きました。
   レール跡は歴史の記憶として残されています。
   桜の咲くころはどんなに美しい風景に変化するのでしょうか?
   恋人同士でなくても、一人でもいいから来て見たいです。


       横浜はおしゃれで、垢抜けていて外国みたいなところですね。
       もっとじっくり、もっと広く、もっと深く味わいたい町でした。



  


日本のおしゃれ展 松屋

2011-01-17 13:50:30 | 美術館

1月14日 松屋の「日本おしゃれ展」を見てきました。

  

   日本を代表する着物デザイナーで、日本随一の着物コレクターでもある
   池田重子さんのコレクションです。

  
   着物の好きな人必見の展覧会

   池田重子さんの35年間の集大成といえる貴重なコレクション。
   帯留に合う着物、帯、半襟、袋物など 約8000点の中から
   約60点がボデイに着付けられていました。

   池田さんの着物のコレクションの始まりは
   三菱財閥の総帥・岩崎小弥太夫人の所蔵の帯留との出会いでした。
   その帯留の素晴らしさに感銘をうけた池田さんは帯留の
   蒐集を始め、それから帯留に合う着物、帯、半襟、袋物などを
   蒐集して日本随一の着物コレクターとなりました。

   「私は銘や箱書きによらず、胸がどきどきするような、
   自分の気に入ったものだけを集めています。」と池田さん。
   明治から大正、昭和初期までの和装品が
   究極の職人仕事で作られており、コーディネートされることで
   いっそうオーラを発しているといわれています。
   戦前の染色技術の高さを示す資料としても大変大切なコレクションだと思いました。



  銀座コアビルの9階 「大志満」でランチしました。

  

   大志満は加賀料理屋さんです。
   新宿、横浜、二子玉にもあって、そこの社長夫人が大の着物フアン。
   ご主人のリハビリのため今沖縄に住んでいますが、
   「おしゃれ展」が見たくて、上京してきました。
   折も折、おさな友達が集まって、新年会になりました。
 
   加賀の食材を使った、美しく繊細なお料理が現れます。
   行く度に食べるのが勿体無いような、なつかしいお皿が並びます。
   リラックスして寛げる私たちの銀座のオアシスなんです。
   お値段はリーズナブルですよ。


出光美術館 琳派芸術1部

2011-01-17 08:44:20 | 美術館

1月13日 出光美術館へ行ってきました。

   「琳派芸術 第一部  煌く金の世界」 光悦・宗達から江戸琳派
   
   10:30から学芸員さんの解説があり、うまい具合に間にあって、
   今日は「得したゾ」・・・の気分。「出光美術館」の古風なイメージとは違う
   若くて、かっこよくて、おだやかなイケメンさん。  うれしいな~。

  
   
   「紅白梅図屏風」 光琳
   左双に紅白梅が描かれていて、右双は白梅のみで、空間が広い。
   左右並べてより味わい深く感じられます。

   江戸琳派というのは師から弟子へ、親から子へというような
   伝え方でなく200年のスパンの中での
   大きな流れをいうところが他とは違う・・・んです。  

   2章の「金屏風の競演」はあまりのきらびやかさで度肝を抜かれました。
   「月に秋草図屏風」伝俵屋宗達 通常だと地平線とか地面とかを
   示すものが描かれているのだが、岩、水流などを描かず、
   空間を 見事に表しています。
 
   「四季草花図屏風」 伊年印
   まるで植物図鑑のように、百花繚乱、繊細な描写。
   この展覧会で1番好きで、惹かれました。
   宗達工房の製作で絢爛豪華、見事すぎて、しばしくぎづけになりました。

   「伊年印」といわれる丸に伊年と描いた朱色のしるしは「イネン」と読み
   俵屋門下の作品で日本に50点ほど現存しているそうです。
   宗達は扇子を作り売る工房を営んでいて、そのつくり、デザインが
   すばらしいので、「扇子といえば宗達」 と人気があったそうです。
   
   宗達に比べると光琳の出生はよくわかっていて、
   「雁がねや」という呉服屋の息子として恵まれた人生を送ったらしい。
   するどいデザイン感覚は生まれ育った環境で培われたようで、
   また、上層町衆や公家の文化サロンのようなものにも参加していて、
   そこで彼のセンスがますます磨かれたのだろうと言われています。


   大変な人気のある展覧会でした。
   平日だというのに、 とくに30~40代とおぼしき若い中年層が目立ち、
   多くの人の熱心にメモをとる姿に感心してしまいました。
   2月11日から第2部がありますが
   解説のある時間に是非また行って見よう!!  
        
                                       


 

  第30回 山岳写真の会「白い峰」 写真展

   出光美術館の後、六本木の写真展を見に行きました。

 
     

   山岳写真家 白はた史朗さんと仲間の1年間の傑作展。
   2010年は異常気象だったが、悪条件にめげず
   チャンスを勝ち取った労作を展示したもの・・・とか。
   「日本と世界の山岳」「富士山」のすばらしい作品の数々。
   女性が多いのには感心しました。どんな感性と体力を
   持ったかたがたなんでしょうね。
   最終日だったからでしょう、白はたさんのお姿も拝見できました。
   相変わらず、エネルギッシュなお顔をしていらっしゃいました。
                           先生 私もかくれフアンの一人ですよ!


浅草名所七福神

2011-01-10 16:14:09 | ウオーキング

1月8日浅草へ行ってきました。

   「M 山の会」の今年初めての計画で、
   「浅草名所(などころ)七福神」をめぐりました。
   9時に雷門集合。14人が集まりました。
   「浅草名所七福神」のスタートです。

  
                                         HPより

  
   さすがに絵になる雷門

  
   仲見世通りはまだ人の出は多くない。

   
   閉じたシャッターは三社祭りの絵     右手の路地からスカイツリーが見える。

  
  ◎ 浅草寺~『大黒天』 
   浅草寺は「観音様」の呼び名で親しまれています。
   東京最古の庶民信仰のお寺でしょう。
   そして、東京観光の一番の人気でしょうね。   

   江戸時代、八代将軍吉宗のころには、世も泰平が続き、
   江戸八百八町にはそれぞれ名所が開発され、観光と神仏詣でを
   兼ねた行楽が盛んになりました。
   江戸末期には、商売繁盛、大願成就、福運を求めて、
   七福神詣でが盛んになり、特に正月松の内にめぐって、
   1年の福徳を願うようになり、今日の七福神詣での
   形となったと言われています。

   浅草七福神は詣でる社寺が九社寺あります。
   「九は数のきわみ、一は変じて七、七変じて九と為す。
   九は鳩であり、集まる意味をもち、また、天地の至数、
   易では陽を表す」 という故事に由来しています。  案内パンフレットより

   福禄寿、寿老人が2社づつあるので、計九ヶ所です。
   リーダーに聞いたら、ややこしい事は気にしなくてイイヨ・・・でした。

  
  ◎ 浅草神社~『恵比寿』 三社祭りの神輿
   浅草寺のすぐ右横に位置します。「三社さま」の愛称で親しまれています。
   観音像を隅田川で発見した桧前(ひのくま)兄弟、
   浜成(はまなり)、竹成(たけなり)と、それを安置した土師真中知の
   三神を祀ったことから三社様といわれるようになった
。・・・そうです。

  
  ◎ 待乳山聖天~『毘沙門天』
   無病息災、子孫繁栄 を祈って大根(200円)を供えます。
   お下がりの大根を 「どうぞお持ちください」 とありましたが、
   重くて持ちたくないので、ご遠慮しました。 ホントは欲しかったケド。

  
  ◎ 今戸神社~『福禄寿』
   沖田総司終焉の地、招き猫発祥の地などイワレノある神社ですが、
   縁結びで有名らしいです。愛を求める若い人々の切実な願いが
   渦巻いていました。
   輪くぐりがあって、左から8の字に3回まわると運に恵まれるとか。

   ◎ 橋場不動尊~『布袋尊』


  
  ◎ 石浜神社~『寿老人』
   境内には富士遥拝所があり、道路をはさんですぐ隣には
   隅田川の堤防が続き、都立汐入公園が見えました。
   明るい雰囲気の神社でした。

   
   吉原を通りました。
   名残を惜しんでの「見返り柳」               ↑
   数代にわたり植え替えられたそうですが、       ↑
   何とも貧弱、時代の流れに 勝てませんか?     ↑ ◎ 鷲(おおとり)神社の絵馬?
   ◎ 吉原神社                     願い事を書いて納めると「叶う」 おおとり。

   
   河童橋も通りました。

  
  ◎ 矢先神社~『福禄寿』 ここが最後。
   七福神参り 満願です。 約3時間強のウオーキングでした。 

 
    
   高峰秀子さん (享年86歳)          中村富十郎さん(享年81歳)

   浅草公会堂玄関前のオレンジ通りに面している「スターの広場」に、
   日本のスターの手形が並んでいます。「案外小さいね」とか
   「体格がいいから手も大きいね」とかいって自分の手を重ねてみるのですが、
   昨年末亡くなられた高峰秀子さん、中村富十郎さんには
   白い菊の花が飾ってありました。 ご冥福をお祈りいたします。                 

                    

                   北国の人に申し訳ないような穏やかな一日でした。
                     知らない浅草を歩き、浅草六区のおもしろいところも
                     うろつきました。  幹事さん 楽しかったです。
                     


高尾山(127)(128)

2011-01-05 13:17:13 | 山歩き

1月3日高尾山へ初詣に行きました。

   
   
  ケーブルカーの清滝駅 人出も3日になると少なくなっています。

  
  
  薬王院本堂へ向かうお坊さん達
  
   薬王院の賑わい  交通整理のマイクの声が遠くからでも聞こえました。

   
    キジョランの葉を食べてるアサギマダラの幼虫を見つけました。

   
   「腰痛平愈」[健脚祈願」の小さい祠が人気ありました。           ↑
             3月10日に崩れたという吊り橋はこのお正月の間 暫定通過可でした。

   この季節、高尾山のセールスポイントは「シモバシラ」です。
   残念ながら奥高尾へ行かないと見れません。
   朝の出発が遅かったのと、夫も私もあまり足の調子が良くなかったので、
   奥へは行かず、高尾山をあちこち歩いて、それでも5時間遊んで来ました。


                            


 1月6日
  
   友達を誘って8人で高尾南口から初沢山へ
   簡単なハイキングをしてきました。
   一番の目的は初沢山、頂上直下のベンチ(テーブル付き)で、
   それぞれ持ち寄ったランチのバイキング。コンロも2ヶ集まりましたので、
   尾頭付き干物を焼いたり、お汁粉を作ったり。
   暖かな、風のない、ありがたいコンディションに恵まれました。
   「小寒」 だというのに、のんびりいつもの山行と違った、
   寛いだ新年会ができました。

   何時ものことながら、おいしい食べ物を前にすると
   写真を写すのを忘れてしまうクセがあります。
   せっかく豪華なメニューが並んだのにご紹介できなくて ザンネンです。

                                  


お年賀

2011-01-01 19:18:43 | いろいろ

2011年1月1日


   皆さん 明けましてオメデトウございます。
   昨年は大変お世話になり、沢山のことを教えて頂きました。
   今年もいろいろ学ばせて頂きたく、よろしくお願いいたします。                                           
   

   北の国や近畿、中国、九州からも積雪の報告が聞かれます。
   東京はおだやかな元日をすごしました。
   今日は義弟ファミリーが年賀にきました。
   明日は娘一家が訪ねてきます。
   3日は例年高尾山へ年賀のごあいさつに行く予定で、
   正月3ヶ日がたちまち過ぎてしまいます。

   お互い体に気をつけて新しい年をすばらしい一年にしたいものです。