タカ長にとって初めての山はわが裏山、極楽寺山でした。職場の先輩から誘われたとき
「何をしに行くのですか?」と真顔で聞いたことを今でもハッキリと覚えています。
それまでのタカ長にとって、山は薪などを取りに行くところでした。今日のような登山と言う認識はまったくありませんでした。
崩落した斜面に立って、先輩が持っていたピッケル、と言ってもステッキがわりの飾り物ですが、それを持って写真を撮ってもらったことも覚えています。
その日は極楽寺のそばで昼食をとりました。その場所もハッキリと記憶しています。
その極楽寺に初めて登ったのは小学生のときでした。
3月はじめに縁日があり、それを目指して麓の村から登りました。おそらく、昔からの生活道であった「椿尾根ルート」を登ったはずです。
山上には雪があり、ゴム草履で登っていた友だちが、足が冷たくなって泣きだしたのを記憶しています。
極楽寺のまわりには今でも原始林が残っていますが、今は公園化された蛇の池のまわりも同じような森だった記憶があります。
極楽寺山の、古い古い記憶です。
もし、、、、、、と考えても仕方ないのですが、、、、、、
もし、あの頃の森が今に残っていたら、全国から登山者を呼べる山だったように思います。
そのことを思うと無策な林業行政が悔やまれてやみません。
当たり前のことですが、一度失った自然は二度と帰ってきません。
「何をしに行くのですか?」と真顔で聞いたことを今でもハッキリと覚えています。
それまでのタカ長にとって、山は薪などを取りに行くところでした。今日のような登山と言う認識はまったくありませんでした。
崩落した斜面に立って、先輩が持っていたピッケル、と言ってもステッキがわりの飾り物ですが、それを持って写真を撮ってもらったことも覚えています。
その日は極楽寺のそばで昼食をとりました。その場所もハッキリと記憶しています。
その極楽寺に初めて登ったのは小学生のときでした。
3月はじめに縁日があり、それを目指して麓の村から登りました。おそらく、昔からの生活道であった「椿尾根ルート」を登ったはずです。
山上には雪があり、ゴム草履で登っていた友だちが、足が冷たくなって泣きだしたのを記憶しています。
極楽寺のまわりには今でも原始林が残っていますが、今は公園化された蛇の池のまわりも同じような森だった記憶があります。
極楽寺山の、古い古い記憶です。
もし、、、、、、と考えても仕方ないのですが、、、、、、
もし、あの頃の森が今に残っていたら、全国から登山者を呼べる山だったように思います。
そのことを思うと無策な林業行政が悔やまれてやみません。
当たり前のことですが、一度失った自然は二度と帰ってきません。